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[簡易復元] 『勝負は、還暦を過ぎてからだと思う。 』 村田兆治、61歳

  • 2011/10/30 18:13

(この記事のオリジナルは2011年2月12日に書かれたが、ファイルが失われたため新たに書き直す)

 旧ロッテオリオンズに所属し、豪速球投手として鳴らした村田兆治氏は、32歳の時突然肘を故障し、再起不能と言われた。しかし、後悔しないためにもと、当時タブーと言われた手術を受けるために渡米し、その後2年間の必死のリハビリの後投手として見事に復帰し、40歳に引退するまでさらに59勝をあげ、合計215勝で40歳に引退した。
 今年2月読売新聞のサントリーの広告に登場した彼は、「勝負は、還暦を過ぎてからだと思う」と言う。それは彼が離島を訪れては子供たちに野球を教えている生活と関係があるであろう。彼は子供たちに本当のプロの姿を見せるために必死のトレーニングをして、いまでも140キロの速球を投げている。そのことについて彼が、「特に子供たちは素直なんです。どんなに往年の大投手と言われても、目の前で見せる球が遅ければ、なんだプロってこんなものかと思うでしょう」と言う。そんな子供たちとの真剣勝負の世界を維持するためにも彼は自分の身体を見つめ、ケアし、メンテナンスするのである(1枚目の写真、読売新聞広告欄)。是非お読みいただきたい。
 そんな村田兆治氏とは違うが、同様に身体のケアを最も大切なことと説く元巨人の投手・桑田真澄氏がいる。どのスポーツも激しいことに変わりはないが、やはりスポーツは子供の時代のためにあるというよりは、大人になってからのためにあると考えるのは自然である。もちろん、アスリートになるための激しいトレーニングはあるにせよ、そこには合理性もなければならないと諭すのである。私も同様に考えており、20年ほど前に我が国の少年時代のスポーツの過酷さについて少なからず調査し、本を書こうと考えていた。もろもろの事情で未完に終わったが、その一部は私のホームページに書かれている(「日本のスポーツの限界(未完)」、http://www.unique-runner.com/book.htm )。
 桑田氏はプロ野球選手としてのキャリアを終えたのち早稲田大学大学院に入って研究し、「『野球道』の再定義による日本野球界のさらなる発展策に関する研究」との修士論文を発表し、同大学院をトップの成績で終了したことはよく知られている。その内容について彼は様々な機会に自らの見解を発信し、それが読売新聞に「未来のチカラ」として2回掲載されている(2枚目および3枚目の写真)。簡単に言ってしまえば、日本のスポーツの現場に「子どもに無理をさせるスパルタ指導が根強く残っていること」についての心配である。身勝手な指導者に少年たちの身体を壊す権利はないということも主張されなければならない。
 この2つの記事の内容について私がごちゃごちゃ言う必要はない。是非、読んでいただきたい。クリックすれば拡大されるので確実に読めるはずである。最後にまとめて言えば、少年であると大人であるとを問わず、自分の健康な身体あってのスポーツであり、幸せな生活であるはずである。そのことを間違えてはならない。是非お読みください。

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