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2018年05月05日の記事は以下のとおりです。

スポーツは政治のオモチャじゃない!!!

  • 2018/05/05 18:58

 最近朝鮮半島情勢の急展開で思わぬことが当たり前のように起こっていて気分が悪い。2月の平昌冬季五輪でも突然の北朝鮮と韓国のアイスホッケーチームの統一チーム形成で驚いた。このケースもとっくの昔にエントリーは締め切られていたはずであったが、五輪は世界平和への貢献が目標であるとの決め台詞の中で突然のチーム名や構成の変更が行われた。これとて強引でその主人公である選手たちの完全な合意の上で行われたとはとても思われなかった。
 しかし今回の卓球の世界選手権団体戦での北朝鮮と韓国の合同チーム結成はもっとひどいものだ。すでに予選リーグが終了して決勝トーナメントが始まっているにもかかわらず、準決勝で直接対戦することになっていた両チームが、互いに戦いたくないとして合同チーム「コリア」を結成して準決勝に進むことになったのである。それを報道したのが5月4日の読売新聞の記事の写真である(1枚目の写真)。その最後にはこう書かれている。連盟は声明で「卓球はスポーツを通じて平和に貢献する手段であることを示している」

 その結果、お互い負けることなく3位決定戦を行わない大会のため準決勝に進出したチームとしてメダルが確定し、両国ともメダル獲得国としての名誉を得ることになったのである。この合同チーム結成についての複雑な事情についてもう一つの記事を読売新聞は書いている(2枚目の写真)。そこには連盟関係者は表立っての批判は避けてはいるが戸惑いは隠せないとしている。しかし、早稲田大の友添秀則教授(スポーツ倫理学)は「決められたルールを後から、特定の参加者に有利なように変更してしまった。スポーツそのものや大会運営の根本を崩す、ありえない行為。政治の状況とスポーツは一線を画さないといけない」と批判したとされる。かって読売新聞はスポーツの本質として「ルールの前の公平さだ」と書いている(http://www.unique-runner.com/blog/index.php/view/286 )。今回の件のどこにルールの前の公平さはあるんだろうか。
 繰り返さないが、誰にだってわかる当たり前の批判である。スポーツは政治に従属するものではない。それは文学や絵画や音楽などと同様に人それぞれが時には命がけで表現する文化の一つである。私個人が必死になって走ることもその例外ではない。なぜか最近政治はあらゆることに優先するかのような風潮があふれていて危険である。これまでの過去の多くの政治的行為がどれほど危険なものであったかは知らぬ人はいないであろう。その都度その時の政権も常にスポーツをその先兵に使い、何百万人もの犠牲を我々の先達に払わせてきたのである。馬鹿げたことをやるんじゃないよ、ただただ腹立たしい!

 幸いその合同チームと対戦した日本チームは、その両国のエースがそろった「コリア」に勝利した。いや、日本チームが勝ったとかはどうでもよい。二人目に登場した石川選手は、最後のゲームでジュースに入ってから三度もあったエッジボールの不運に負けなかった。日本の勝利が決まった後石川選手は涙を流していた。それは、突発的な合同チームの結成などで大きな心理的不安とプレッシャーを抱えてゲームに挑んだからだと言う。こんなありえないような苦しみを選手に与えるのは連盟のやるべきことではないであろう。そうでなければ、スポーツそのものが面白くなくなる。今回の決定は我慢の限界を超えているとしか言えない。IOCや連盟のお偉方が政治家として振る舞い、スポーツを品のない遊びに貶めることは止めていただきたい。

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