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少年時代の記憶は人生を通じて私を強く支配しているらしい

  • 2021/02/13 16:39

 ここ丸一年は日本をはじめ世界中をパンデミックに巻き込んでいる、新型コロナウイルスに関する情報が溢れている。もちろん私自身もこのブログを通じてそれに加担している。しかし、前回のブログの時もコロナウイルスの細かい話は止めると書いたが、今回もそれを踏襲するつもりである。
 さて、私に最も鮮烈な影響を与えた出来事のひとつは、アメリカの第35代大統領のジョン・F・ケネディ大統領が暗殺され、それが初めての早朝の衛星放送で伝えられた劇的なものがあったが、ここで話題にするのはそれではなくソビエト社会主義共和国によるスプートニク1号の打ち上げであった。

 実は私は父親の仕事(仁川高等商業学校の教師)の関係で朝鮮・仁川で生まれ、無用な太平洋戦争を引き起こし敗戦が決定的になっていた日本に5歳の時に急遽帰国した。その場所は父親の故郷である三重県多気郡三瀬谷村で、大台ケ原を源とする美しい宮川が流れる自然あふれる山奥、最寄り駅は紀勢東線の三瀬谷駅(今は紀勢線と統一されている)であった。私は地元の小学校中学校に通い、当時の学区制によれば高校は兄同様に県立相可高校を受験するのが普通であったが、父の指示で父の母校であった県立山田中学の後継県立宇治山田高校を受験することになり、幸い合格して宇治山田市(今の伊勢市)までの長距離を早朝確か5時50分頃に紀勢東線に乗り、相可口駅で参宮線(いずれも国鉄)に乗り換えておよそ2時間をかけて毎日通っていた。今から考えれば恐ろしいほどの通学経験であった。

 その通学途中のことである。スプートニク1号(83.6㎏、直径58㎝)の打ち上げは1957年10月4日にカザフスタンのバイコヌール宇宙基地から打ち上げられ、遠地点950㎞、近地点230㎞の楕円軌道に打ち上げられ、一周96分余りで周回していた。まさに歴史的偉業であるから、どうやってそれを見ることができるのか、あまり明るすぎず、しかし軌道のあたりは水平線からの太陽の光が当たって衛星がそれを跳ね返すことで地上から見られる可能性があった。幸い高度があまり高くないのでうまくすれば裸眼でも見ることができるというわけで、新聞には夕方の何時何分頃にどの方向に見える可能性があると毎日報道してくれていた。打ち上げから何日目のことだったかはもちろん記憶にないが、毎日夕方、確か6時ころだった記憶があるが、参宮線から尾鷲方面への紀勢東線に乗り換えるために相可口駅で降りてある時間を過ごしていたのであるが、その時が偶然ホームをうろうろしていた私たちの頭上をスプートニク1号が音もなく飛んでいたのである。当時はその時刻あたりにしばしば空を見上げていたのである。

 それで見ることができた衛星はまさに音もなく、滑るように星空の中を動いていたのである。それは私には衝撃的であった。とにかくそれは飛行機ではなく、何百キロ上空を、つまりその当時の私の頭の中では星の間を、つまりは訳が分からないが宇宙を星に交じって飛ぶようなものをソ連は作って飛ばしているんだ、というとんでもないことをやっている、いやそんなことを人間はできるんだということを実感していた。家に帰ってみんなに”見た見た!スプートニクを見たよ!!!”ときっと叫んだんだろうと思う。
 そんな衝撃的な経験をしながら、しかし高校での物理学の勉強は大嫌いで、これではどうしようもないということで、たまたま姉の知り合いでもあった高校の物理の先生宅に教えを乞うことになってしまった。しかしである。結局それもドタキャンして物理学を放り出してしまった。しかし自然豊かな山奥で育った私は昆虫採集に明け暮れ、農作業を手伝う傍ら畑には花畑を作り、家では当時アメリカ輸出で小遣い稼ぎになっていたカナリヤの繁殖・飼育や空気銃で小鳥を撃っては焼き鳥を楽しみ、また大好きな野球をとことん楽しみながら、結局は1年浪人後に名古屋の大学に入学し、その後理科系の勉強をすることになり、物理学も何となく少しは理解できるようにはなっていた。

 そして、大学で20年近く”生き物”の化学の研究をつづけ、しかし子供の頃に親しんだ生き物を、もっと生き生きと理解したいと腹をくくり、アメリカ カリフォルニアの大学に家族と一緒に渡米することとなった。そこで家族のみんなが日本から遠く離れた外国での生活に戸惑うことも少なくなかった。そんな中気になったことのひとつは国際電話での音声の遅れである。こんなことを考え始めてとうとう私の中に眠っていた幻が目覚めた。私はつたない物理学の知識で、やれ静止衛星だの、それに必要な36,000kmというとてつもない高度や、それに必要な速度(確か9.8km/秒くらい)などの話を子供たちとしばしば議論した思い出がある。いずれにせよ私の頭の中からは人工衛星の残像が離れてなかったのである。
 それ以降も私の頭の中にはいつも人工衛星がたたずんでいた。ロケットの打ち上げと言えばいつでも秘かにハラハラドキドキでそのニュースを見守っていたのである。特にそれが大きく目を覚ましたのは2003年5月9日に小惑星イトカワの探査を目指して打ち上げられてからである。そして、二度の絶望的な状態から予定より3年も遅れての地球帰還を2010年6月13日に果たした初代「はやぶさ」であった。そのことをブログに書き、泣きたくなるような印象的な写真を掲載したhttp://www.unique-runner.com/blog/index.php/view/112 )。それは地球帰還を果たして大気圏に突入する前にイトカワの貴重な試料が入っていると思われるカプセルを右前方に放出し、はやぶさ自体は燃え尽きようとしている写真である。このブログでも再掲したい。

 これを見た時私は胸が熱くなった。それは宇宙で二度も行方不明になったはやぶさをかすかな電波を頼りにして必死の思いで探し出し、それを再び手中に収めて巧みに制御し、イトカワの試料の入ったカプセルをもって地球帰還を成し遂げたJAXAスタッフの喜びと寂しさを感じたからである。それから4年後の2014年11月30日、しっかりと改良されたはやぶさ2が再び生命の起源という最大のミッションを掲げ、やはり小惑星のリュウグウに向かい,2018年に到着した。人工クレーターを作るという思いもかけない方法を駆使して多くの岩石などの試料を持って帰還するという輝かしい成果については昨年12月のことであり、皆さんは記憶に新しいことと思いますので、何枚かの新聞記事の写真を掲載して簡単な説明をするだけに留めたいと思います。1枚目の写真は初代はやぶさの帰還時に大気圏突入した時の写真、2枚目ははやぶさ2のカプセルがオーストラリア・ウーメラ砂漠に帰還した時の写真、3枚目から5枚目の写真は驚きのカプセルの中味についての写真である。

 こうして小惑星リュウグウから大量の岩石などの試料(ガスも回収されている)を持ち帰ったはやぶさ2本体は、初代はやぶさとは異なり本体にほとんど問題が発生しておらず、また十分な燃料を維持できていることもあり、拡張ミッションとして小惑星1998 KY26への飛行に飛び立っている。2031年7月に到着が予定されている。改めて今回のミッションを完璧に成し遂げたJAXAのチームに称賛の言葉を送りたい。JAXA宇宙航空研究開発機構相模原キャンパスは自宅から自転車でも行ける距離にあり、これまで何度も訪れてはやぶさの展示や様々なロケットの大きな実物モデルも展示されており大いに楽しませてもらった。近いうちにまた訪れてみたいと楽しみにしている。食堂もあるのでゆっくりご覧いただきたい。

 今回このようなブログを書いた目的は、この私のブログは私自身の日記帳であることと、自らの記憶に残っていることを子供たちに残しておくことが第一の目的であった。そしてまた一般的にもそうであるが私にとっても少年時代の経験・記憶が人生を通じで大きな影響を自分自身に与えていることから、そのような記憶や経験は極めて重要であり、子供たちが小学校から大学に至るまで受験勉強に忙殺されないように願いたいとの思いを書き残したいと思ったからに他ならない。だからと言って、私の経験が良いものであったかと言えばそれは分からない。個々人の人生はそれぞれにとって貴重な結果であり、評価があるとすればそれは歴史的判断であろう。なお、写真はすべて読売新聞のものである。拡大してご覧ください。

世界を大混乱に巻き込んでいる新型コロナウイルスが我々に突き付けている基本的な問題とは何か?

  • 2020/12/03 15:20

 もう3週間ほど前から日本全国で新型コロナウイルス感染者が急増し、メディアではステージ3だとか、いやもう4になっているとか大騒ぎになっている。しかし菅首相率いる政府の動きは相変わらず鈍く、また東京都を含む自治体との連携もうまくいかず、良く統制され制御された形での新型コロナ対策が動かないのにはほとほとあきれてものが言えない。私なんかは”経済も回さなけりゃ”などを考えるよりは、単純に”とにかく命を守るのが先だよ”と考えて事を運びたい。そう考える者にはお偉方の頭の中が全くよくわからない。世の中を見てみるとまずは感染を徹底的に抑え込んでそれから経済をと考えて動いた中国、韓国、またニュージーランドなどは感染の抑え込みと経済活動をうまく回しているのに、と思うばかりである。であるから、そのあたりの話は、もうほとんど語るのが嫌になったのでどこかにしまい込んでおきたい。日本のトップの方々のお手並み拝見である。

 というわけで、まったく別の話を紹介したい。それは、5月23日にNHKBS1のスペシャル番組「コロナ新時代への提言~変容する人減・社会・倫理~」で放映された、私にとっては刺激的な内容についてである。不思議なことに別の場所で見ていた家族も同様に興味深い内容であったと意見が一致したのはうれしかった。
 この番組は、コロナ禍であることを考慮し3人の識者に個別にテレワークでインタビューしたものを巧みに編集したものである。三人とは、哲学者の国分功一郎、人類学者の山際寿一、歴史学者の飯島渉の面々である。ここではあまり詳しく紹介することはできないので、彼らの主張と私の感覚が一致する部分を簡潔に紹介して皆さんに問題提起をしておきたい。
 歴史学者飯島は、人類と感染症の関係を考えるとおよそ1万年前あたりからのことを考えるのが妥当ではないかと主張する。その理由は、ちょうどその頃から人類は農業を始めて自然に負荷をかける、つまり草原や森林に入り込み、それまで未知であったウイルスや細菌に遭遇することが始まったと考えられるからである。その後文明の発展を支えたのは、同じ感覚に生きる人同士が”集まって”仲間を増やし、さらに多くの異なる集団との間で関係を取り結ぶために”移動”を繰り返してより大きな効率的で生産性の高い社会を構成するようになったと考えられる。つまりこの過程で必須であったことは”集まる”ことと”移動する”ことであったという。
 しかし、集まるという現象をより詳しく見ると、人類学者山際は人類に近いと考えられるゴリラの世界では、集団は日々個体が目の届くところにいて肌触れ合うことができる関係であることが必須だという。ただこの点に関しては、言葉を発見した人類の場合にはしばらくの期間離れていても再び仲間という集団に戻ることができる、つまり”離れ合う”能力を獲得しているとは考えられる。
 これまでこのような人間集団の形成に感染症がどのように影響したかについて歴史学者の飯島はハワイの例を挙げる。ハワイはかってヨーロッパの人たちによって発見され、その結果ヨーロッパからの感染症によって大きなダメージを受けた。そして労働力を補強する必要に迫られたハワイの農業は日本人や中国人を移民として取り込み、現在のハワイが出来上がったという。
 このようなことを考えた時、では、現在新型コロナ禍にある我々人類が置かれている状況とどのような接点があるのであろうか。現在感染症対策として日々我々に投げかけられているスローガンは、「3密回避」と「不要不急の外出回避」であろう。つまり、これまで人類が社会を構成するときに用いてきた基本的な動き、すなわち”集まる”と”移動する”を根底から排除することを要求されていることになる。もちろん、現在目の前にある「危機」から脱出するためにはやむを得ないことだからではある。今年になってもう半年以上も大学生をはじめとして小学生、幼稚園までまともに学校に通っているとは言い難い。今の世代の人間は”集まらない”、”肌触れ合わない”ということに徐々に無意識に慣れてしまっているのではないだろうか?いや、ちょっと考えてみると、我々はすでにそのような希薄な人間関系の中に放り投げられていて、その結果として登校拒否、引きこもり、独身増加、離婚増加、人口減少などが起きているのではないだろうかとの考えに行きつく。
 話を元に戻そう。ここに登場した哲学者国分は大事なポイントを突いてくる。しばしば外国で起こっている現象としてわれわれの目に留まるのは、多くの死者は友人・親戚に看取られることもなく(基本的に日本でも同様であるが)、また葬儀をされることもなく広い墓地にあたかも投げ入れられるように埋葬されている。このような現象を見てイタリアの哲学者ジョルジュ・アガンベンを紹介し、「死者は葬儀を受ける”自由”」さえ奪われている、と言う。このような現実を見て哲学者国分は、このように死者に敬意さえ払わなくなってゆくという現実に深い不安・違和感を感じると言う。
 さらに彼は、自由ということを考えるとき”移動の自由”ほど大切な自由は無いと言う。私たちが生きている社会における刑罰の一番厳しいものは死刑、一番軽いものは罰金、その二つの間はすべて移動の自由の制限の程度の差であるという。それほどまでに人間にとって移動の自由は大事なものとして私たちはこの社会で生きている。そして、ドイツのメルケル首相の有名な演説を紹介した。東ドイツ出身で、移動の自由の壁の高さを実感してきた彼女は、だからこそ新型コロナ対策でロックダウンという移動の自由を完全に抑え込む対策実施に際し、国民に対してそれを選択することの厳しさを説いた。その演説を私も知っている。まさに涙が出るような厳しい演説で、私たちにとっていかに移動の自由が重大かを感じさせる言葉の数々であった。
 そして哲学者国分は、「生存以外のいかなる権利も認めない社会というのはいったい何なんだろうか?」と、また「過去と生きることをしない、先人を尊敬することをしない、歴史と生きようとしない薄っぺらな社会とは何か?」と激しく私たちに問いかける。その薄っぺらな社会に生きているような感じがしている私自身にも厳しい言葉であった。
 実は私たちはこの新型コロナに襲われる前から「America First!」などと叫ぶような指導者が世界中にあふれる時代に入ってしまっている。つまりは自国第一主義である。つまりはグローバルな意味も含めてコミュニケーションが成り立たない時代である。それに輪をかけるようなことを迫ってくる新型コロナの前で果たして我々には何ができるのであろうか。人類が言葉を発明するより前からコミュニケーション手段として築かれてきた音楽ですら、その大声を出すという特性のゆえに忌避され、邪魔者扱いになっていてそれにも人は集まれない。そんな状況の中「自国ファースト」「自分ファースト」を叫ぶ人たちに未来はあるのだろうか?アマゾンの奥深い、通常外部と交流のないはずの原住民の中にも新型コロナは入り込んでいるという。もはや、自国ファーストや自分ファーストでは生きられないことは明白である。世界に秘境がなくなり、その結果氷や土の中から、あるいは海底深くからどんな感染症の原因物質が出現してくるかわからない世界は、さらに恐ろしい。それに立ち向かわなければならない時代にいかに様々な形のコミュニケーションの再構築ができるか、そこにこそまともな世界が作り上げられるポイントがあるのであろう。「・・・ファースト」などと宣う指導者は蹴散らしたい気分である。

安倍首相退陣の引き金を引いたのは、自らが招いた国民の不信感だ!

  • 2020/09/23 21:36

 2020年9月14日、安倍首相の辞任表明に基づいて菅義偉官房長官が後任の総裁に選任された。そして16日安倍内閣は総辞職し、菅内閣が発足した(写真は読売新聞9月16、17日朝刊)。

 この数か月安倍首相の体調不良がささやかれながら事態は膠着状態であったが、あっという間に持病でもあった潰瘍性大腸炎の再発(悪化)という理由で辞職に至った。歴代最長の総理大臣としての安倍首相であったが、このコロナ禍における何がこのあっけない幕切れを演出したのであろうか。
 この7年8か月の長期政権の中でもっとも私にとって衝撃的であったのが、それまで認めてこなかった集団的自衛権の行使を閣議決定で認めるという禁じ手を使い、あわせて安全保障関連法として2015年9月に強行採決して新たな日米同盟への道を切り開くことになった( https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/27208.html )。これは、核ミサイルを発射する能力を備え、切れ目なくミサイルを発射し続ける北朝鮮や、南シナ海に軍事的基地を求めて進出し、巨大な軍事国家を建設しつつある中国の存在が目を引くこともあって、国民の圧倒的な反対の下での政府の行動であったとは容易には言えない状況であった。しかし、これまでの日本の専守防衛の方向性を安易に変更しようとした試みは、世論調査において国民の過半数が反対に回るという大きな政治不信を招いたことは否定できない。
 そんなさなか、安倍長期政権に公私混同や集中力の不足、あるいは全く不適切な閣僚人事が頻発して大きな政治問題が勃発した。例を挙げれば、首相あるいはその関係者が関係する森友学園問題、加計学園問題、海外派遣の自衛隊における文書管理の問題、あるいは「桜を見る会」などの明らかに不可解な問題が頻発した。そして、中央官僚などが関与した文書改竄などあってはならない問題が発覚し、それらに関与させられた官僚の自殺を呼び起こしたという悲劇も発生した。このような政治不信の元凶となるような数々の問題が発生したが、これらの問題は国会での追及にもかかわらずまっとうな解決が図られたというには程遠い状況にあるといってよいであろう。だれも責任を取ってはいないのである。

 このような状況の中で発生したのが新型コロナウイルスによるパンデミック(世界的流行)である。世界的には2019年11月あたりから中国で発生し、国内では2020年2月くらいから問題になり始め、その後感染拡大・収束を繰り返して現在に至っている。近年、日本は隣国の中国や韓国と異なり今回の新型コロナウイルスのようなウイルスに対する感染経験(SARS、MERS)に乏しいこともあって様々な不手際が際立った。特に感染の有無を検査するPCR(Polymerase chain reaction)検査体制の不十分さである。つまり、当初厚労省はPCR検査を受ける条件を厳密に定めていた。しかし、その条件を満たしていても、しかもどれほど苦しい不安な思いをしていても容易に検査を受けることができない人たちが沢山出てきてしまったのです。しかも、極めて厳格な受診資格を敷いた理由が長い間知らされず、私はもちろん多くのメディア関係者ですら想像力をたくましくするしかなかったのである。その後それは検査能力の問題であるのはもちろんであるが、意外といえば意外だが、関係者の言葉尻などから医療体制の崩壊を避けるためだったらしいとして大きな不信感を私たちに与えた。このことは政府は我々国民に正確な情報を与えず、感染しても入院・治療も許さずに放置することをあからさまに示したことになった。これは当然のことながら強烈な反感を安倍政権に与えたことは当たり前であった。
 これに輪をかけたのは安倍首相が突如4月1日に国民一人一人に二枚ずつ、当時大いに不足だったガーゼのマスクを無償供与すると発表したことであった。しかし、その予算規模466億円を聞いて我々はあっけにとられたのである。おまけに、そのマスクの配布が遅々として進まず、さらに配布されたマスクに不良品が数多く発見されるに及んで、まったくの不評で税金の無駄遣いと揶揄されるに至った。
 その後、感染が拡大したため、政府・自治体は様々な紆余曲折を繰り返しながら特措法第32条第1項の規定に基づく新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言を4月7日に発動(発出)した。対象は東京都を含む7都府県で期限は5月6日までとし、その後4月16日に全国に拡大、5月4日には期間を5月31にまで延長した。その後、感染の様子が収束に向かいつつあることを考え地域を二度にわたって変更し、25日には最後まで残った東京都・北海道を含む5都道府県の解除を宣言した。この緊急事態宣言についても宣言の遅さなどをめぐって議論が絶えず、またこの間、私もこれまでのブログで問題にしてきたPCR検査能力の拡大が関係者が宣言するほど増えず、隣国の韓国や中国、あるいは西欧諸国に比べて圧倒的に低く、例えば特別給付金の決定やその給付にまつわるドタバタ劇など感染症に対する対応の遅れ、迷走は目を覆うばかりとなり、感染を恐れる多くの国民の強い反発を招くばかりであった。そして8月の世論調査の結果は、どの調査でもほとんど同じであったが、内閣支持率は32%、内閣の新型コロナ対策を支持しないとする国民は60%に達し、内閣の命運は風前の灯火となった。

 そんな中、安倍首相の体調不良説が現実味を帯び、ついに8月28日持病の潰瘍性大腸炎の悪化を理由に辞任することを発表した。潰瘍性大腸炎は難病に指定されている病気で、ストレスが悪化の大きな原因となるといわれている。確定的なことはなにも言えないが、安倍内閣の森友学園問題をはじめとする様々な不祥事や今年になってからの世界的な感染症への対策に苦慮し、国民から抜き差しならないほどの不満を浴びることになった。それが病気の悪化に拍車をかけたことは申すまでもないであろう。
 そうであればあるほど、次期自民党総裁の決定は国民に納得のいくようなやり方が要請されてしかるべきだったと思われる。しかし、ふたを開けてみれば何とも言えない小細工のオンパレードでしかなかった。安倍首相が辞任発表の席で、次期首相が決まるまでは職にとどまると表明したにもかかわらず、そんなことは忘れて、一刻の猶予も許されないと称して、地方の自民党員の投票権も満足に生かされない派閥政治の暗闇を見せつけてくれた。その辞任発表からの次期総裁決定への流れはあまりにばかばかしくて語るに落ちたというしかない。現時点では自民党総裁の座は日本という国の首相であり、国を代表する立場である。
 安倍首相の立場が追い詰められたのは新型コロナウイルスへの対応のまずさだけではなく、それまでに首相の座を脅かしてきた森友、加計、桜などの問題でみられた国民への説明の不十分さや隠ぺい体質、そしてその結果としての国民の政治への信頼感の喪失が根本にあったことは否めない。森友学園問題では、それに巻き込まれた公務員の一人が自殺するに及んだ。そのようなことがあってもこれまで首相をはじめ安倍内閣は何の責任も取っては来なかったと私は思う。今回、安倍内閣の官房長官を永年勤め上げ、たたき上げの政治家と言われる菅氏が自民党議員総会で圧倒的な賛成票を得て総裁に選ばれた。その過程では、あまり票を取りすぎては良くないとか、石破おろしとも称して岸田氏に”施し票”を回すなどという陳腐なことが公然と語られるなど、これが一国の総理大臣を選ぶ選挙かといぶかしく思った。なんともばかばかしい。それにくらべて一年をかけて大統領を選ぶアメリカの選挙は、とんでもない選挙戦を行いつつあるが、それでもその真剣さと透明度の高さは評価されるべき点が多々あるように思う。今の自民党のような選挙や個々の政策遂行を行なっていれば、いずれ国民からこれまで同様に信頼を失って政権を失い野党へと放り出される時が来ると言わざるを得ない。

 9月16日に菅内閣が発足した。しかし何度でも言いたいが、その選出過程は真っ暗闇で、いやある意味では分かりすぎてはいるが、どのように自民党党員の意思を集約しているのかは全く不透明で、国民に対する透明性は全くゼロである。例えば、年会費四千円を支払う全国の自民党員すべてに投票権を行使させる時間は十分にあったように思われるが、”一刻の猶予も許されない”との一言でそれも封じた。それほど切迫している新型コロナの状況であるなら、それについてもっと敏速で果敢な政策がそれまでにあっても良かったのではないか。野党の要求があっても国会さえ開催しなかったのである。今回の総理選出の茶番劇は、地方票に強いある候補者を葬るためだったとされる。そうなることは分かっているはずで、それを打ち破る何かの方策もありえたのではないかと思うが、何度も同じことを繰り返しているように思う。
 9月19-20日に行われた読売新聞の世論調査によれば、菅内閣の支持率は歴代三位の74%だった。新型コロナ対策でその脆弱ぶりが目に余ったデジタル化の貧弱さの克服、今回のコロナ禍においてもPCR検査の拡大を妨げてきた縦割り行政の打破などなど思い切った目標を掲げたこともあってか高い支持率を得た。しかし、菅内閣の新しさと期待感で高い支持率でスタートはしたが、総裁選の時の派閥政治のようなことをやっていると国民の政治不信が高まっていることでもあり、それを増幅することは間違いない。初心を忘れずにやっていただきたい。私から見れば、今の政策のネタとそれを克服しようとする政策は、自民党政権が自分たちで切り盛りしている、昔よく聞いた「マッチポンプ」という言葉に尽きるであろう。

追伸:それにしても、いつまでこんな状態なんだろうかといささか腹が立つ。実はいまYahooのネットニュースを見ていた( https://news.yahoo.co.jp/articles/09678563af06b6b3e35c44b367428d82e2b0f1ed

 )。そのニュース記事には「東京都によると、23日に都が確認した新型コロナウイルスの感染者は59人だった。3日連続で100人を下回った。(中略)60人を下回るのは6月30日以来となる。都が公表する感染者はおおむね3日前の検査が反映されるため、連休中に検査数が減ったことが影響しているとみられる」とある。新規感染者の数を公表されたとしても、検査数が公表されなければどうにも評価できない、ただの数字だということはこれまで何度も言ってきたし、散々様々な形で批判されてきたことである。3日前の検査数すら公表できないほどのデータの信頼性の無さとはなんと情けない行政なのであるか!!!

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