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八十歳への登竜門は身体の不調の当たり年

  • 2019/10/24 10:41

 1939年生まれの私は先日80歳に突入した。実を言うと昨年春から椅子にしばらく座っていてさて立ち上がろうとすると太腿の裏のハムストリングに張りというか、なにがしかの違和感を感じることが常態となってきた。これはそれまでなかったことで、いよいよ私の身体も高齢化して危うくなってきた。そんなことを裏付けるように、昨年7月にランニング途中に左臀部に強い違和感が残るようになり、お世話になっている佐藤治療院の診察では坐骨結節障害と診断され、それを乗り越えるストレッチの方法とランニングの心得を伝授され、その結果11月中旬の神戸マラソンを前にした11月上旬に一応完治したが、練習不足は当然であった。とにかく年齢枠でのシード権をいただいての神戸マラソンの結果は惨憺たるもので、5時間41分34秒で、一昨年の4時間46分58秒を考えると1時間近くどこかをヨチヨチと走っていたようであった。それにもかかわらずレースの後に高槻の友人たちが開いてくれたパーティは最高で、その時の写真(畑野勝義氏撮影・編集)を再度見ていただきたい。

 さて、今年になってからはもっとひどい体調不良の連続で、1月中旬に私の持病である歯周病を悪化させ、簡単な抗菌剤を2種類飲んだだけでは完治せず、街の歯医者から市立病院に送られ、別の抗菌剤の点滴によってやっと歯周病を抑え込むことができたが、その代償として数日にわたる強い下痢に見舞われかなり憔悴し、貧血状態に近かったことを覚えている。それからは家族みんなで参加することが9か月前から決まっていた東京マラソンに向けてのトレーニングが始まった。子供たちからは東京マラソンに出場できないような病気を見つけないようにと念を押され、それも乗り越えた。最終的には鎮痛・消炎剤を飲んでうまくハムストリングの違和感などを抑え込みながらタイムはともかく東京マラソンを立派に完走した。それについてはまず3月9日に書きあげたブログ 「東京マラソン2019が我が家の一大イベントの舞台に。(1)速報ーレースの準備からスタートライン、そしてゴールまでの苦闘」から始まって追補版(4)に至る長文のブログに精一杯記録した。お読みいただければ幸いである。(http://www.unique-runner.com/blog/index.php/view/307 )
 そのブログ書きが済んでさて秋の神戸マラソンと意気込んで5月を迎えた。実は今年の神戸マラソンは昨年の記録が最悪で予想通りシード権がもらえず抽選に任せたところなんと当たってしまったのである。そんなことでまた走れると喜んだのであるが、5月半ばにまた肉離れを起こしてしまった。比較的軽かったのではあったがそう簡単には完治せず、恒例の6月後半の座間市青年会議所が運営する「座間坂道マラソン」は到底走れず無念のキャンセルとなってしまった。
 その後トレーニングを再開したが相変わらず調子が上がらず、また昨年痛めた坐骨結節障害のような状態になり、9月になるとなんと台風15号、19号と連続して関東および東北地方が襲われ、特に強風吹き荒れた15号では、普通より苦みも少なく少し大きいもの、サラダにも使いやすい細長いもの、そして白いゴーヤなどを沢山収穫して皆さんにも喜んでいただき(2枚目の写真)終盤を迎えていた畑のゴーヤ栽培が打撃を受け、垣根に括り付けてあった支柱は折れるなどの被害も出て今年のゴーヤの終わりになってしまった(3枚目の写真)。そんなこともあり、神戸マラソンの前哨戦ともくろんでいた北千住・荒川河川敷でのタートルマラソン(ハーフ)も台風19号の豪雨により河川敷コースが使えなくなりこれも中止になってしまった。でも、いまになってもまだ坐骨結節障害は完治ではないので、たとえ開催されていてもキャンセルしたであろうことは確実であった。
 そんなことあんなことで、もたもたしていた9月の後半に思わぬ病魔に襲われた。というか何が私を襲ったのかは不明だが、ほぼ一週間体の表面のあちらこちらに発疹が出現した。痒くて赤い発疹で、比較的大きく、身体のあちらこちらを動き回っているような感じで、背中から始まって首、頭、腕、大腿部の表や裏、また膝から下のふくらはぎ部分、それに足の甲や裏にも出ていた。こんな状態で走るわけにも行かず、ただおとなしくしているほかなかった。皮膚科の医師の診断では多形滲出性紅斑と診断された。脚の部分しか写真が撮れなかったので参考のためにその部分の写真を出させていただく(4枚目の写真)。10日ほどで完治した。見てあまり気持ちの良いものではないが、お許し願いたい。

 とにかく、なんといろいろあったのかと我ながら驚く次第です。あとは無理をせずに坐骨結節障害を治し、タイムはどうでもよいから10月で80歳になった私はまだ走っていますよ、と宣言して今年は終わりにしたいものである。そして、来年は心機一転体調をもどしてもう一度サブファイブを達成し、さらにしばらくランニングを楽しむことができるようにしたいものである。皆さんの応援を期待したい。

 なお、ここに恥を含めて書かせてもらったことは私自身の記録や自らへの警告でもあるし、さらには仲間の皆さんも加齢が進んでゆけば私のように故障や怪我だらけになってゆく姿の見本として皆さんへ警告でもある。しかし同時に前向きに、皆さんが同じ年齢では追いつけないようなタイムを積み重ねて皆さんを叱咤激励するためのものでもある。

日韓の醜い対立、でも、本当の問題点はどこにあるのかよく分からない

  • 2019/10/11 23:34

 日本と韓国の間には、日本が朝鮮半島を統治していた時代に引き起こした太平洋戦争に起因する徴用工問題や従軍慰安婦問題がある。また、日本が降伏し、サンフランシスコ条約が締結されて韓国独立が認められた1951年の2年後に李承晩韓国大統領は、突然半島を取り巻く海域に”李承晩ライン”と呼ばれる一方的な線を引き、竹島を独島として自国領としたことから、この問題がそれ以降大きな問題となってしまった。このサンフランシスコ条約に違反する李承晩ライン、また1965年に結ばれた日韓請求権協定(「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」)、さらに記憶にも新しい2015年に合意された慰安婦問題日韓合意などがことごとく一方的に韓国側に破棄され、日韓間の信頼関係が極度に失われ、日韓間の関係が不可逆的な方向、つまり破壊に向かいつつあるように見える。

 この解決のため、としか言いようがないが、日本政府がとった行動について日本経済新聞と"hunade"と称する二つのウェブサイトを参考にして、自らに理解しやすいことを心掛けながら、しかし簡潔に以下に書いてみたい。

二つの政策を簡単に言えば、
 (1)一つ目の日本政府の行動は、半導体や軍需物資の製造や使い方によっては大量破壊兵器などの製造に使われる可能性のある原材料である3つ、「フッ化水素」、「フッ化ポリイミド」と「レジスト」の輸出手続きを厳格化する。
 (2)二つ目は、上にも書いたように使い方によっては危険な原材料{技術も含む)、さらに特殊な金属や工作機械などの輸出についてこれまで手続きを優遇していた国(これをホワイト国という)から韓国を外す。

 今回の以上二つの政策を打ち出すに至った原因と根拠は何か、というのが私たちがこの政策を理解するときに一番大切なことである。もっともありそうなことは、ここしばらく前から日韓請求権協定に反するとして激しく日本政府が反発している徴用工問題に起因すると考えられる。しかし、そうではないと経済産業省はたびたび反発している。つまりは単純な二国間の政治的な問題に対する報復の一環としての政策で自由貿易を損なうものではないと主張している。それではいったい何が引き金を引いているのか。
 これについて経済産業省や政府はきわめて具体的に問題点を明確にすることを避けながらも、日韓の信頼関係が著しく損なわれたと言わざるを得ない状況、あるいは別の言葉で、輸出管理に信頼関係を持って取り組むことが困難になっていると述べている。また、韓国に輸出された物品の管理をめぐり不適切な”事案”が発生しているとも述べている。
 それはどのような”事案”であるのか。日本が信頼関係の下に輸出手続きを簡易にして優遇しているということは、たとえば日本から輸出された物品が、それにかかわる技術的問題も含めて、日本が推測していないエンドユーザーに渡っている、あるいは予想外の目的に利用されるようなことがあったのかなどと、私は推測する。そんなエンドユーザーが韓国外のたとえば北朝鮮であったらどうだろうか。それを北朝鮮と名指しすることができるであろうか。
 現在日本と北朝鮮との間の関係は良くはない。平和条約はもちろん結ばれてはおらず、当然日本が植民地化していた時の賠償は行われておらず国交も回復されてはいない。ましてや、北朝鮮が行った拉致問題が未解決で、考えようによっては人質を取られていると考えることができる。つまりは北朝鮮が絡んだ問題は外交政策上非常に難しい対応が求められることは想像に難くない。でも、拉致問題もすでに世界の世論で白日のものとなっているのである。いや、まったく違う話なのかもしれない。それが分からない。
 ここに書いたのは私の推測でしかない。現在の日韓の状態はマスメディアを含んで双方の言い合いになっており、その言い分には感心できない発言が数多くあるようである。それを止めるまたは改善することが醜い日韓間の対立を少しでも和らげることにつながると思われる。もちろん、両国の国民が単純なナショナリズムに基づく発言を検証しなおすための勉強が必要だと思われる。しかしそれ以上に、日本政府が韓国に対して今回のような厳しい政策をとった理由をもっと明快に、外交問題の厳しさがあろうとももう少し踏み込んで我々国民に、そして世界の世論に明らかにすべきと思われる。そうしなければ我々は自国の政策を真に理解できず、またこの議論がWTOを含めた公の席での議論になったときに、必ずしも相手を圧倒することは難しいと感じる。私がここに推測で書いたことが的を得ているかどうかは明らかではない。このような曖昧さが、もしも根拠のない集団によるヘイトスピーチのようなものにつながるとしたら悲劇である。

 なお、写真の説明をしておくと、1枚目は分かりやすいように日韓の国旗、2枚目は戦後の日韓の間の問題を作り出した李承晩ラインの分かりやすい図を外務省のウェブサイトから引用した。

災害列島日本、思い切った策がなければ日本は自然災害で沈没する(2)

  • 2019/10/09 12:00

 昨日、同じタイトルのブログを書いたばかりだが、今日(10月9日)が台風15号の千葉への上陸からちょうど1か月目であることから読売新聞に格好の記事と写真が掲載された。それを使わせていただいてもう少しだけ書き加えておきたい。

 1枚目の写真は千葉県鋸南町の写真で、ブルーシートに覆われた民家の屋根が痛々しい。もう1か月経っているこの地域は新しい住宅街のように見えるが、それにもかかわらずこの始末である。さらに古い住宅の場合には屋根瓦が現在すでに製造されていないものが使われているケースも多いようで、全面的な復旧はなかなか難しいようである。なお、最新のデータによれば住宅被害は34,714棟、また停電についての東京電力の発表によれば、台風襲撃約2週間後には最大641,000件に上ったが現在はおおむね復旧したとされるが、作業が困難な山間部ではまだ部分的に残っているとされる。早い復旧を願う。

 2枚目の写真は、もはや建て直すことすらできない荒れはてた自宅を嘆く住民の姿である。高温多湿の日本では除湿などを素早く行わなければただちにカビが生えて修理は不可能となることが多い。現状の復旧工事の状況ではそれは望むべくもない。彼女は住み慣れた鋸南町を離れ、長男の下に身を寄せるという。このようにして日本の過疎化と国土の荒廃は否応なしに進んでいくのであろう。それはちょうど後継者不足や経済環境の変化によって人々が賑やかで活気のあった商店街がいつの間にかひとつふたつとシャッターを閉め、そしてやがて暗くて寂しいシャッター街になってゆく光景を思い起こさせる。

 これは間違いなく現在進行形の現象である。このことを的確に見据え、その端緒を国土の再開発に求めて、急ぎかつ長期的な視野のもとに計画・実行できるリーダーが必須である。残念ながらいまそのような政治家も見当たらない。2枚目の写真の下の記事に書かれているように、大型で猛烈な台風19号がこの週末に日本列島を直撃しそうである。台風15号で大きな被害を受けた千葉県をさらに痛めつけ、さらに広い地域を荒廃させる危険が大きい。いまのままでは、このように毎週のようにやってくる台風によって引き起こされる災害に、残念ながら勝ち目はないと知るべきである。

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