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第2回淀川国際ハーフマラソンで自分自身の現状を占う

  • 2012/03/22 22:55

 2月11日の法隆寺マラソンで7年ぶりにハーフマラソン1時間50分を切ることができ、自分自身の復活ぶりに驚いた(http://www.unique-runner.com/blog/index.php/view/137 )。そんな回復ぶりが持続的なものか、たまたまではないのかを知ることは、4月に今シーズン最後の大イベント長野マラソンに臨む心構えを考える上で大事なことであった。そのために選んだレースが、淀川下流域の河川敷コースで開かれる「第2回淀川国際ハーフマラソン」であった。このレースは有森裕子が主宰するNPO法人「ハート・オブ・ゴールド」を基盤にチャリティレースとして開催され、参加者一人当たり100円を3・11の子供被災者の支援に充てる狙いで開かれている。そのためか、ハーフだけで男女を合わせると4千人弱の参加申し込みがあったと報告されていた。
 このコースは河川敷にあることからそれほどの高低差も考えにくく、急な曲がり角が驚くほど沢山あった法隆寺マラソンより条件は良いのではと、前向きに考えていた。大阪地下鉄谷町線の終点の一つ手前の守口駅で下車し、きれいで穏やかな雰囲気の街並みを10分も歩いて堤防道路を超えると、そこには広々とした河川敷が広がっていた。そして、そこには大勢の参加者が種々のレースの参加を待ちわびていた(1枚目の写真の左部分)。
 気温は11℃の予想であったがかなり暖かく、無風であったが、当初の予定通り長袖シャツにランシャツを重ね着して参加することにした。ハーフのスタートはお昼前の11時45分で、よくあることであるが徐々に風が吹き始めていたのを感じていた。地図上にコースの概要を示したのが2枚目の写真で、淀川河川敷を7キロ上流に上ってから折り返し、スタート地点を通り越して17キロ地点で二度目の折り返しからスタート地点であるゴールに戻るコースであった。
 スタートレーンに並んで見て参加者が多いのには驚いた。アナウンスで4000名のランナーが走るので混雑にご注意くださいとのことであったが、コース幅はそれなりに確保されていたにもかかわらず案の定前回の法隆寺に比べて2キロまでに1分以上タイムをロスし、その後もしばらくは走りにくい状況が続いた。3枚目の写真は、Garmin Forerunner 110による1キロ当たりのラップタイム、心拍数、それに標高のデータである。心拍数は問題なく安定し、ラップタイムが安定した数値になるまでにかなりの距離が必要だったことがよくわかる。
 それらのデータを数値で表したのが4枚目の写真で、より詳しいデータが分かるが、最後の3キロのラップタイムが前半よりも良いというのがうれしい点である。実はこれには裏があり、コース左側に立てられた1キロごとの表示が後半は全くいい加減で、時にはキロ6分を過ぎるタイムまで出たために危機感を抱いて走ったことも影響しているかもしれない(私は時計を2つ持って走っていて、ひとつはキロ表示ごとにボタンを手動で押して計測している)。なお、今回ゴール時点で時計を止め損なって3分ほど歩いてしまったためにタイムと距離に間違ったデータが出てしまっていることをお許しください。公式記録によれば、グロスタイム1:51:40、ネットタイム1:50:14、男子ハーフマラソンの種目順位としては855/2695であった。
 記録を考えてみると、最初の混雑でのロスタイムがそのまま響いて法隆寺マラソンの1:48:40に及ばなかった感じである。それでも後半の強い向かい風や厚着をしてしまったことなどを考えると今回のタイムは十分なもので、昨年秋からの新しい走法での復帰以来、いずれのレースでも、レース全体で安定したラップで走れ、十分なスタミナが蓄えられていることを証明したと判断できよう。
 最後に、このレースは有森裕子が代表を務めるNPO法人の元で運営されており、レース後もいつまでもランナーの求めに応じてサイン会を催していた(5枚目の写真)。彼女の献身的な活動に対して敬意を表するとともに、だからこそ後半の距離表示をもっとしっかりしてもらいたいと関係者に望みたい。
 今回は、ジム仲間の田中氏とともにかっての大学仲間3人も久しぶりに参加できて幸せであった。同じジム仲間で京都マラソンに参戦した菅原氏が、私をぶっちぎった田中氏と私のレース中の写真を撮ってくださったので、それを使わせていただいた。ここにお礼を申し上げる。

第1回京都マラソン、楽しめる大会にもう一段の努力を望む

  • 2012/03/15 11:04

 栄えある「京都シティハーフマラソン」の後継レースとしての京都マラソンが、やっと開催されたというのが私の感慨である。京都シティハーフマラソンは1994年に初めて開催され、2009年3月8日の第16回大会を最後に休止状態になっていた。その理由は京都市の財政状態で、聞くところによれば真偽のほどはともかく、このハーフマラソンに対しても6000万円ほどの赤字補填をせざるを得ず、それが重荷になって休止に追い込まれたとのことである。このレースは古都京都を走るということもあり、全国的に大変人気で制限時間2時間にも関わらず申し込みが殺到していた。それなら参加人数を増やし参加費を倍増すれば赤字にはならないのにと、何度も参加してきた私としては歯ぎしりするほど残念であった。
 そんなこともあって新しい「京都マラソン」を楽しみにしていた私ではあったが、抽選発表がなんと1か月も遅れる醜態を事務局が演じた上に私は落選で無念の一言であった。それでも気を取り直し、仲間三人の応援と写真撮影に友人ともども出かけた。天気はよく適度な低温で風も弱く、絶好のマラソン日和になった。今回のコースは京都市の西南部の西京極から北部の宝ヶ池方面までの広い範囲にわたっていたが、比較的私に土地勘のある北山通りから宝ヶ池方面に撮影ポイントを絞ることにした。京都駅から地下鉄で私は北山駅で下車してよく子供たちのサッカーを応援した宝ヶ池球技場から急坂を上った23キロ地点、友人は松ヶ崎で下車してランナーが何度も折り返す北山通りで応援と撮影を行った。
 1枚目の写真は、そのコース周辺の雰囲気を表したもので、左下は北山通りから宝ヶ池球技場方面を見た構図で、左側に給水場所が映っており、右側に伝統の五山送り火の「妙」の字が見える。右下には水を入れたコップを並べるボランティアの姿、そして左上はその道を北に上ったところの過酷な急坂、それを登ってトンネルを過ぎ、宝ヶ池を折り返してほっとして坂を下っているランナーたちの姿がある。左下には宝ヶ池球技場がわずかに見える。右上は、ランナーが来る前に、トンネルを通って戻る地点での撮影の準備をするプロのカメラマンたちである。右の真ん中の写真は、18キロ地点で撮影した鴨川べりを走るランナーが遠くに見え、全体として穏やかな天気の中のレースを印象付けている。
 2枚目、3枚目は仲間の写真で、これを見ていると北山通りのコースの狭さが大変気になるところである。4枚目は狐坂と言われる急坂をほぼ上りきった地点での別の仲間の写真であるが、左上にはここにやってきたトップ集団の写真で、大変厳しい表情が見える。この地点は高低差があるため写真には大変向いた場所ではあったが、苦しくて足元を見て走ってくるランナーが多く、仲間の発見も難しいうえに相手もこちらを見つけにくい難点があることを実感した。
 最後の写真は、特に何かがあるというよりはただのトピックスである。上の2枚はこの地点が30.5キロの第五関門であることを示している。スタート後4時間23分に閉鎖される数分前の様子で、時計の下にある幅の広い白い布をその時間になればランナーの通路に広げてランナーをストップするのである。私もその瞬間を見ていたが、この時間にやってくるランナーの多くは疲れ果てて自主的にリタイアするものも多く、トラブルは全くなく穏やかなものだったのにはちょっと拍子抜けした。それ以外の写真は、芸人の「女と男」やTBSアナウンサーなどのタレントの写真で、それ以外に所々に今回の写真を撮ったカメラマンが隠れている。
 今回のレースには14,000人を超えるランナーが参加し、完走率は95.4%と高く、応援も活発で問題がないように思われるが、私が見聞きしたことなどを含めて問題点を提起しておきたい。そのひとつは京都市という狭いところでフルマラソンのコースを設定するという難しさのためか至る所に問題があったようである。折り返しが多いことや、なんと8キロ地点辺りで大勢のランナーが数分間全く動かないストップ状態になり、その説明が全くなく、あるいは緊急車両通行のためだとかの誤った情報が伝えられたことがあったらしい。なんだか福島原発事故の時に起こった状況と似ていて、また“想定外”だったのかと思うと嫌な感じである。
 私が見ていた範囲でも、例えば北山通りなどの走路は極めて狭く、混雑した状態では危険でさえあり、ランナーには強いストレスがかかる。また鴨川の河川敷は舗装されていなかったようで、雨が降っていたら恐ろしいと伝えるランナーもいた。また、特にスタート地点ではトイレの数が少なかったとのことで、これはランナーにとってもっと困る問題であろう。さらに応援する側にも難しい問題がある。特に北山通り周辺はランナーが折り返しなどで長時間にわたって道路の横断が禁止されているため、地下鉄の出入り口が交差点の四方にない場合には市民や応援者が道路の反対側に移動できないことがある。これに関しては、京都には景観の関係か歩道橋が少ないのがその原因のひとつになっているらしい。しかしこれもコース設定などで何とかなるはずで改善されるべきと思っている。
 runnetのウェブサイトに寄せられているランナーからの評価によれば満足度は75.1%と決して高くはなく、多くの苦情が寄せられているのは残念である。でも、その中には、この狭い京都で行われるのだからその辺りのことはやむを得ないと考えるべきで、もっと楽しんで走ればよいのではとの意見もある。それも一理あるが、ランナーには、楽しんで走る人と自分へのチャレンジで時計を睨んで走る者も多く、その両方を満足させる実行力が主催者には課せられていると考えるべきである。
 それが出来ないのであれば、東京マラソンに誘発された大都市フルマラソンの誘惑に負けずに、広々とした道路を悠々と走らせてもらえるなど、立派にそして極めて良好に運営されていた、私が大好きだったかっての「京都シティハーフマラソン」に戻せばよいのである。赤字をなくす手段などいくらでもあるのだから。

追記:書き忘れたことがあります。記録についてです。最近はフルマラソンでは普通に行われている「ランナーを追跡するシステム」が動いていないことには驚きました。また、ゴール後に出されるランナーの記録の速報性も悪く、普通にできていることもできていないのはまったく残念です!特に、走っているランナーの、例えば5キロごとの通過タイムは応援する側にとっては必須のデータです。それがなければ大勢のランナーの中から目的のランナーを探し出すことは不可能なんですが、そんなことも分からないで大会を運営しているのかと思うと、だんだん怒りが増してきます。しっかりやっていただきたい!!!

“野口みずき”よ、よくぞ戻ってきてくれた、感激した!

  • 2012/03/12 11:26

 ロンドン五輪の女子代表選考レースである名古屋ウィメンズマラソンが行われた3月11日、私は友人の応援と写真撮影のために京都マラソンの、最も過酷と思われる急坂「狐坂」のコースに立って仲間を待ち続けていた。でも、本心はそこに行くのは後ろ髪を引かれる想いであった。
 最初の写真をご覧ください。その写真は2004年8月27日の読売新聞の写真である。茶褐色に変色した写真は、我が家の食卓そばの冷蔵庫の側面に7年半も貼り付けられ、私が毎日眺めてきた写真である。写真につけられた説明には、「ゴールのパナシナイコ競技場近くにさしかかり、大声援を受ける女子マラソンの野口みずき(松本剛撮影)」とあり、その構図がなんとも素晴らしい。
 野口みずきは私と同様三重県の出身で、同じ中学校を卒業した後輩である。そんなこともあるが、彼女の小柄な体に似合わない豪快な、力強いストライド走法と積極的なレース運びが大好きで、北京五輪直前の故障による出場辞退はことのほか残念であった。そんな彼女が2大会ぶりに出場なるかの選考レースは昨年の大阪国際女子マラソンであったが、またもや故障発生で名古屋にスライドさせての背水の陣であった。とにもかくにも何とか彼女を復帰させてやりたいとの私の希望が、あの写真を7年半も貼り付け続けさせたのだろうと思う。その野口みずきのアテネオリンピックの時のことをWikipediaから引用しておきたい。
 「2004年8月22日(日本時間23日)、アテネオリンピックの女子マラソンは、気温30度を超える酷暑の中でのレースとなった。25km付近で野口がロングスパートを仕掛けると、優勝候補の世界記録保持者ポーラ・ラドクリフ(イギリス)やヌデレバらの強豪選手達が遅れ始めた。28km過ぎではただ一人ついていたエルフェネッシュ・アレム(エチオピア)もついていけずに後退し、野口の独走となった。後半の32km辺りからゴールまで約10km続く下り坂に入ると、一旦遅れたヌデレバが追い上げて2位に上がり、ゴールに向け野口との距離を詰めるが、12秒の差で野口が逃げ切って優勝。シドニーオリンピックの高橋尚子に続き、日本に2大会連続のオリンピック女子マラソン金メダルをもたらした。記録は2時間26分20秒。(土佐礼子は5位、坂本直子も7位で、日本勢は3選手とも入賞を果たした。)」
 こんな事情もあって昨日の私は京都・宝ヶ池球技場脇の坂を上った22キロ地点で無数のランナーの中から目当ての3人を探し出して撮影するのに目が離せないため、マラソン事情に詳しい息子に名古屋ウィメンズマラソンのテレビ中継によるレースの進行状況を、メールで報告してもらうことになっていた。スタートから15キロまで順調な報告が届き安堵していたが、17キロになって突然野口が遅れ始めたと聞いて、やはり4年4か月以上も走っていないフルマラソンはそんなに甘くはないのかとの思いが頭をよぎり、もうこれまでかと思いしばらくは仲間のランナー発見に集中していた。しかし、28キロの報告が来た時にそれを見てびっくり仰天した。そこには「野口とトップ集団の差が10秒を切った!」とあるではないか。
 そして29キロの報告は、なんと「野口追いついた!すごい!!」だった。次の30キロの報告には、「1時間42分31秒。野口が一気に集団の一番前に。腰の位置も高く安定している。最初よりいい走り。トップ集団は野口と入れ替わりで1人落ちて7人。」。32キロの報告では遂に「尾崎がスパート。・・・」となり、追い上げに脚を使った野口には苦しい展開になり、そして最後にはまた尾崎がスパートしてこのレースを勝ちきることになった。でも、「名古屋フィニッシュ」と題する最後の息子からの報告では、「優勝はマヨロワ。尾崎1位。中里3位。渋井が4位!野口は6位で感極まった感じでのゴール・・・。今日のレースは、選手のプライドやオリンピックへの思いがぶつかり合った素晴らしいレースでした。」
 今回のレースは、私へのこれらの報告に全て書き込まれている感じがしました。撮影を終わって帰宅し、録画してあった中継画像を見ました。想像通りの素晴らしいレースで、特に一時は30秒、およそ150メートル離されても追いついた野口の、“決して諦めない!”の執念と見事な脚力にただ圧倒されるばかりで、同じようにマラソンを走る私には衝撃的でした。彼女の涙は、“残念!”という涙であると共に、レースの現場にやっと戻ってこられた喜びの涙でもあったのだろうと、苦しく過酷なレースを走った後のゴール時に私でも出る涙を考えるとただ共感を感じるのみです。私は本当にうれしかった!!!これからの活躍をまた期待したい。2枚目以降の写真はネットに出された写真で、ここに使うことをお許しいただきたい。ただただその喜びの涙だとしてここに載せておきたい。それ以上何の説明もいらないであろう。
 なお、私の当日の撮影は、3人のうち2名を発見して撮影し、もう1人の仲間のカメラマンが私が見逃した1人を見つけて撮影してくれた結果、100点満点と申し上げておこう。その写真は別のブログに使うつもりである。来年はランナーとして参加できることを祈っている。

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