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摂津峡に「藤島部屋」がやってきた!

  • 2012/03/11 17:16

 高槻市の観光名所のひとつ摂津峡、その出口にあたる下の口には二つの大きな温泉旅館があった。しかし3年程?前からその内のひとつ「かじか荘」が営業不振のためか閉館し、その後がどうなるかがなかなか決まらず、関係者あるいはその周囲の方々は気をもんでいたのだと思う。ところが、八百長問題などで昨年の大阪の春場所を中止した大相撲が今年は二年ぶりに開催されることになり、その問題に変化が起こった。
 実は、驚いたことに閉館(休業中?)した旧かじか荘は噂によれば、近くのもうひとつの旅館である「山水館」に買い取られたとのうわさである。その旧かじか荘が大相撲藤島部屋の宿舎になったのである。現在の藤島部屋は藤島親方(元大関武双山)の師匠で、元横綱の三重ノ海や武蔵丸などの年寄りが所属している。2枚目の写真にあるように雅山や翔天狼など14人の力士が在籍している有名な部屋である。その部屋が旧かじか荘に置かれた2月終わりから、旧かじか荘前の芥川沿いの柵や、近くにあって山水館が経営している温泉施設や、土俵が造られたその施設の車庫の周りには、1枚目の写真のように何本もののぼりが立てられた。
 そんな相撲部屋が置かれ、毎日稽古が行われていると知られるにつれ、多くの人が行き交うようになってその界隈はにぎやかになってきた。その場所は私の家から歩いて10分ほどのところで、力士の稽古などまともに見たこともない私たちにはちょっと珍しい、貴重なチャンスであった。そこで春場所が開かれる3日前の早朝、力士の稽古を初めて見物に出かけた。
 車庫の中に作られた土俵では力士たちが激しいけいこを行っており、彼らの予想外の巨大さに圧倒されながら、しかし、私たちとあまり変わらない体格の可愛い力士も居てなんだか心和む感じもあった。その力士たちの中には、私たちもよく知っている雅山や、いまが年寄で元横綱の武蔵丸が黙って稽古を見つめる姿もあった。3枚目の写真は、稽古が終わり土俵から離れてリラックスしている力士たちの写真である。
 また、土俵を使っての稽古が終わった後、土俵のそばで若い力士に何かを教えている元武蔵丸や雅山の写真を撮ることができたので、それを4枚目と5枚目の写真としてご覧に入れたい。今日は春場所の初日であったが、雅山も翔天狼も白星だったようである。彼らのこれからの活躍を祈りたい。

こんな政治家に地方は蹂躙されているのだ!

  • 2012/03/08 10:53

 2012年2月20日、河村たかし名古屋市長の不用意というかバカな発言が波紋を投げかけている。それを報じたWebニュースは次のように伝えていた。
 「『南京事件はなかった』 河村・名古屋市長が発言 2012/2/20 12:35(配信) 名古屋市の河村たかし市長は20日、名古屋市内で、表敬に訪れた中国共産党南京市委員会の劉志偉常務委員に対し『一般的な戦闘行為はあったとしてもいわゆる南京事件はなかったのではないか』と発言した。旧日本軍が1937年に南京で大量虐殺したとされる事件の後、45年に現地に駐屯していた父親が住民に優しくもてなされたことを理由に挙げた。
 劉常務委員は『今年は日中の国交回復40周年。両国関係も不惑の年になると思っている』と述べた。名古屋市と南京市は友好都市提携を結んでいる。」
 これに対して中国側は激しく反発し、9日に行われる予定だった南京でのイベントを即刻中止として、さまざまな強い反応を見せ始めた。これの驚いた河村市長は、「何十万人という大虐殺はなかった」との趣旨だったと釈明に追われる羽目になっている。河村市長は全く個人的な理由を挙げたが、そのことすら考えようによっては“それほどの虐殺があってもなお礼儀正しく対応してくださった”とも解釈できる内容である。そのような例は敗戦時に帰国のため満州から朝鮮を通って逃げまどう日本人に、北朝鮮の人々は貧しい中暖かい援助の手を差し延べてくれたとの実話もある(藤原てい著、「流れる星は生きている」、青春出版社。http://www.unique-runner.com/korea1.htm )。私には、日中国交回復40年の節目の年にそのようなことを軽々に発言する意味が全く分からないばかりか、河村氏の政治家としての資質を問う。
 昨日の読売新聞の社説を写真に示してある。そこにも書かれているが、日中歴史共同研究の報告書には「南京大虐殺」あるいは「南京事件」に関しての中国側の主張の30万人に対し、日本側は20万人を上限として、4万人、2万人など様々な推計がなされている」とある。私にとっては、4万人であれ2万人であれ、十分な「大虐殺」である。なお、半藤一利著の「昭和史」(平凡社)の194-195ページにも旧日本陸軍の集まりである偕行社(かいこうしゃ)が出した「南京戦史」や中国側の公式記録「南京衛戍軍戦闘詳報」なども加えて次のように言う。「・・・これらがすべていわゆる不法な行為によって殺されたとすれば、三万人強がその数ということになりましょうか。(中略)・・・南京で日本軍による大量の「虐殺」と各種の非行事件の起きたことは動かせない事実であり、私は日本人のひとりとして、中国国民に心からお詫びしたいと思うのです。」
 同じ読売新聞の社説には「がれき広域処理」について「受け入れ拒否が復興を妨げる」との記事がある。そこには「首長や自治体が受け入れに動こうとしないのは、放射能汚染のゼロリスクを求める一部住民らの声に配慮せざるを得ないからだ」とある。なぜそれに配慮しなければいけないのかは私にはわからない。そして「全国の知事や市町村長は、被災地支援の観点から住民を説得すべきだ」と書かれている。全くその通りである。それが説得できない理由は一体なにであろうか?選挙が怖いのであろうか?案外そんな自己保身が行政を動かしていると考えるのが妥当なのかもしれない。政治家は世界中どこでも選挙が怖いようであるから。それにしても情けない首長や市町村長を抱えているものだと落胆するばかりである。しかし、残念ながらそれは私たちが選んだのであり私たちの責任でもある。

第41回いかるがの里・法隆寺マラソンを楽しむ

  • 2012/02/12 12:13

 一昨年に初参加し、そのめまぐるしく変化するコースはランナー泣かせであると共に結構面白い法隆寺マラソン。昨年は大雪のために中止され、2年ぶりに開催である。一昨年は雨模様の天候であったが、今年は快晴だが、スタートの頃には冷たい風が吹き始めた。でも、絶好の条件ではあった。
 今回もGarminのForerunner 110のGPS機能を使って、タイム、ラップタイム、コースとその標高差、そして心拍数をチェックしたので、そのデータを以下にお示しする。1枚目の写真は、コースをGoogle Mapに重ねたもので、法隆寺を中心にして北の中宮寺、法輪寺、それから藤の木古墳、そして南の田園地帯の曲がりくねったコースを走り、途中には人家の間で幅2メートルほどしかない道もある。そのカーブであるが、あまりに曲がり角が多いので先ほどざっと数えてみた。驚いたことに60前後ある。急角度で曲がるカーブは我々素人が走るスピードでも脚に負担がかかりなかなかきつく、その都度スピードも落ちるので厄介である。この数は、たとえば先月走った武庫川新春ロードレースの場合は(http://www.unique-runner.com/blog/index.php/view/127 )数は7つ、11月に走った大阪リバーサイドマラソンの場合は(http://www.unique-runner.com/blog/index.php/view/101 )12前後と比べると法隆寺マラソンの60前後は圧倒的に多い(写真はすべてワンクリックで拡大できる)。
 さらにこのコースの難儀で面白い点は、アップダウンのきつさだ。2枚目写真のグラフをご覧ください。青い線は1キロ当たりのラップタイムで、5キロ地点の値を除けばキロ4分53秒から5分18秒の間におさまっており、緑色の標高の変化を考慮に入れればほぼ完全なイーブンペースで走れていることがわかる。このデータの元になっている数値は3枚目の写真の表であるが、右端の方にある「上昇計 m」と「下降計 m」はその1キロ内での上昇したメートルの合計や下ったメートルの合計を表している。その合計は上昇が157メートル、下ったのは153メートルで、差が4メートルあるがスタート、ゴールが同じなのでこれは誤差である。使うGPSの数の問題もあって計算は水平距離に重点が置かれていて高低差の誤差は大きいと言われている。それにしてもこれだけのアップダウンがあるのはハーフでは珍しいと思われ、それなりに面白い。そんなこともあって私はかなりアップダウンのある自宅の裏山を走ってトレーニングはしてきた。なお、赤い線は心拍数で、スタート直後に少し高くなっているが全く何も感じない値で、外の気温が下がった秋後半から走り始めに少し心拍数が上がる傾向があるが、すぐに落ち着いてくるのが分かっているので安心である。
 レース前から身体がよく動いてはいたが、それでもこのチョット難しいコースで公式タイム1時間48分52秒、ネットタイム1時間48分40秒はご褒美ものである。心臓の手術からのカムバックを図ってきた昨年10月の「あざいお市マラソン」の1時間59分、大阪リバーサイドマラソン1時間56分、武庫川新春ロードレースの1時間53分、そして今回の1時間48分と順調にタイムを短縮し続けてきた。もはや50分を切るのは難しいだろうと思ってはいたが、でももしかしてと思ってやってきた走法の改善やトレーニングなどが着実に実を結んできたようだ(http://www.unique-runner.com/blog/index.php/view/126 , http://www.unique-runner.com/blog/index.php/view/128 )。幸い故障の発生もなく、50分切りはなんと2007年の「マキノ健康栗マラソン」の1時間47分以来である。
 案外、この難しい変化に富んだコースがランナーには意外なモチベーションになっている可能性もある。皆さんも来年のこの大会に是非参加されてこのコースを楽しまれることを期待している。私は今回かなりスピードのある仲間と一緒に走っていたが、彼は東京マラソンへのトレーニングなどのこともあり、6キロあたりから私の後をゆったりと追走していたようである。私は自分の走りに集中していて一度も振り返ることもなかったが、ゴール直前に一緒になり同時にゴールした。この集中力もよいタイムに貢献したのかもしれない。

追記:書き忘れたが、実はゴールしたとき時計のスイッチの押し方不十分で14秒ほど動いていたことから、21キロから最後のタイムと速度やラップの計算はもっと異なったものになる。1時間48分40秒というのは主催者発表のネットタイムである。
追記2:スタート直後から数分間の高い心拍数については、その後の検討から、心拍計と胸部前部との密着性が不十分のためである可能性が高いと判断している(2月20日)。

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