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“野口みずき”よ、よくぞ戻ってきてくれた、感激した!

  • 2012/03/12 11:26

 ロンドン五輪の女子代表選考レースである名古屋ウィメンズマラソンが行われた3月11日、私は友人の応援と写真撮影のために京都マラソンの、最も過酷と思われる急坂「狐坂」のコースに立って仲間を待ち続けていた。でも、本心はそこに行くのは後ろ髪を引かれる想いであった。
 最初の写真をご覧ください。その写真は2004年8月27日の読売新聞の写真である。茶褐色に変色した写真は、我が家の食卓そばの冷蔵庫の側面に7年半も貼り付けられ、私が毎日眺めてきた写真である。写真につけられた説明には、「ゴールのパナシナイコ競技場近くにさしかかり、大声援を受ける女子マラソンの野口みずき(松本剛撮影)」とあり、その構図がなんとも素晴らしい。
 野口みずきは私と同様三重県の出身で、同じ中学校を卒業した後輩である。そんなこともあるが、彼女の小柄な体に似合わない豪快な、力強いストライド走法と積極的なレース運びが大好きで、北京五輪直前の故障による出場辞退はことのほか残念であった。そんな彼女が2大会ぶりに出場なるかの選考レースは昨年の大阪国際女子マラソンであったが、またもや故障発生で名古屋にスライドさせての背水の陣であった。とにもかくにも何とか彼女を復帰させてやりたいとの私の希望が、あの写真を7年半も貼り付け続けさせたのだろうと思う。その野口みずきのアテネオリンピックの時のことをWikipediaから引用しておきたい。
 「2004年8月22日(日本時間23日)、アテネオリンピックの女子マラソンは、気温30度を超える酷暑の中でのレースとなった。25km付近で野口がロングスパートを仕掛けると、優勝候補の世界記録保持者ポーラ・ラドクリフ(イギリス)やヌデレバらの強豪選手達が遅れ始めた。28km過ぎではただ一人ついていたエルフェネッシュ・アレム(エチオピア)もついていけずに後退し、野口の独走となった。後半の32km辺りからゴールまで約10km続く下り坂に入ると、一旦遅れたヌデレバが追い上げて2位に上がり、ゴールに向け野口との距離を詰めるが、12秒の差で野口が逃げ切って優勝。シドニーオリンピックの高橋尚子に続き、日本に2大会連続のオリンピック女子マラソン金メダルをもたらした。記録は2時間26分20秒。(土佐礼子は5位、坂本直子も7位で、日本勢は3選手とも入賞を果たした。)」
 こんな事情もあって昨日の私は京都・宝ヶ池球技場脇の坂を上った22キロ地点で無数のランナーの中から目当ての3人を探し出して撮影するのに目が離せないため、マラソン事情に詳しい息子に名古屋ウィメンズマラソンのテレビ中継によるレースの進行状況を、メールで報告してもらうことになっていた。スタートから15キロまで順調な報告が届き安堵していたが、17キロになって突然野口が遅れ始めたと聞いて、やはり4年4か月以上も走っていないフルマラソンはそんなに甘くはないのかとの思いが頭をよぎり、もうこれまでかと思いしばらくは仲間のランナー発見に集中していた。しかし、28キロの報告が来た時にそれを見てびっくり仰天した。そこには「野口とトップ集団の差が10秒を切った!」とあるではないか。
 そして29キロの報告は、なんと「野口追いついた!すごい!!」だった。次の30キロの報告には、「1時間42分31秒。野口が一気に集団の一番前に。腰の位置も高く安定している。最初よりいい走り。トップ集団は野口と入れ替わりで1人落ちて7人。」。32キロの報告では遂に「尾崎がスパート。・・・」となり、追い上げに脚を使った野口には苦しい展開になり、そして最後にはまた尾崎がスパートしてこのレースを勝ちきることになった。でも、「名古屋フィニッシュ」と題する最後の息子からの報告では、「優勝はマヨロワ。尾崎1位。中里3位。渋井が4位!野口は6位で感極まった感じでのゴール・・・。今日のレースは、選手のプライドやオリンピックへの思いがぶつかり合った素晴らしいレースでした。」
 今回のレースは、私へのこれらの報告に全て書き込まれている感じがしました。撮影を終わって帰宅し、録画してあった中継画像を見ました。想像通りの素晴らしいレースで、特に一時は30秒、およそ150メートル離されても追いついた野口の、“決して諦めない!”の執念と見事な脚力にただ圧倒されるばかりで、同じようにマラソンを走る私には衝撃的でした。彼女の涙は、“残念!”という涙であると共に、レースの現場にやっと戻ってこられた喜びの涙でもあったのだろうと、苦しく過酷なレースを走った後のゴール時に私でも出る涙を考えるとただ共感を感じるのみです。私は本当にうれしかった!!!これからの活躍をまた期待したい。2枚目以降の写真はネットに出された写真で、ここに使うことをお許しいただきたい。ただただその喜びの涙だとしてここに載せておきたい。それ以上何の説明もいらないであろう。
 なお、私の当日の撮影は、3人のうち2名を発見して撮影し、もう1人の仲間のカメラマンが私が見逃した1人を見つけて撮影してくれた結果、100点満点と申し上げておこう。その写真は別のブログに使うつもりである。来年はランナーとして参加できることを祈っている。

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