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[簡易復元] 高槻の紅葉 (2) 本山寺

  • 2011/11/30 14:20

 本山寺については「[簡易復元] 高槻の5月、ポンポン山、本山寺、鯉のぼり、そしてジャズ・ストリート」に少しそのいわれについて述べた(http://www.unique-runner.com/blog/index.php/view/61 )。もうすこし詳しくWikipediaに聞いてみると次のように言う。
 「本山寺(ほんざんじ)は大阪府高槻市にある天台宗の仏教寺院。山号は北山。本尊は毘沙門天。鞍馬寺、朝護孫子寺とともに「日本三毘沙門天」とも言われている。寺伝によると、持統天皇10年(696年)に役小角が葛城山で修行中に北西に紫雲のたなびくのを見て霊験を感じ、北摂の山に来て自ら毘沙門天像を彫り、堂を建てて修験の道場として開山したのが始まりと伝えられている。その後、宝亀年間(770年頃)に光仁天皇の子・開成皇子が諸堂宇を建立して本格的な仏教寺院として創建したと伝えられている。北摂三山寺として、根本山と号する神峯山寺、南山と号する安岡寺とともに北山と号して天台宗に属している。
 天正10年(1582年)の山崎の戦いの際に高山右近の兵火に罹り焼失したが、慶長8年(1603年)、豊臣秀頼が鐘楼、楼門などを再建。宝永年間(1705年頃)に5代将軍徳川綱吉の生母・桂昌院が大改修を加えた。現在の中の門は、伏見桃山城から移築されたと伝えられる。戦国時代には、松永久秀がこの寺で立身出世を祈願し、その後望みがかなったことから五百住にある所領の良田を寄進しているほか、芥川山城より機内に権勢を振るっていた三好長慶や、キリシタン大名としても知られる高山友照・右近親子、甲斐国武田信玄の信濃侵攻により駆逐され三好家に身を寄せていた前信濃守護・小笠原長時らが寺領の安堵状を出している。また江戸時代には、高槻城主・永井氏や皇室などの崇敬を受けている。」
 なんと、このお寺といい先に述べた神峯山寺といい戦国時代の武将たちに大いにお世話になっているのだと痛感する。上に言う北摂三山のひとつ安岡寺も我が家から走ったら10分で行ける距離である。まだきちんとお参りしたことはないが、その内にと考えている。もちろん、この地は継体天皇陵と思われている今城塚古墳もあり(http://www.unique-runner.com/blog/index.php/view/18 )、古墳時代から様々な歴史の舞台になってきたところで、少しずつそれが実感できたらと思っている。
 さて、本山寺の写真であるが、1枚目は本山寺入口のの勧請掛の手前に建てられている看板の写真で、そこに由来が簡単に書かれている。また、2枚目は本堂に上る長く急な石段の写真である。さて主題の紅葉であるが、写真は昨年秋にかなり盛りを過ぎたときに訪れた時のもので、お寺は黄色に輝く紅葉に取り囲まれていた。その写真3枚をお見せする。なお、もし今年もっと良い写真が撮れた時には写真を入れ替えさせていただこうかと思っている。

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