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[簡易復元] 大分から熊本までの九州横断ドライブ310キロの旅ー(1)湯布院

  • 2011/09/16 21:23

 残暑厳しい8月末、二泊三日で大分から熊本まで、九重・阿蘇を眺めながら旅をすることにした。新大阪から小倉まで新幹線で行き、特急ソニックに乗り換えて大分まで出かけ、そこでレンタカーを借りて気ままに横断旅行を始めた。まずは湯布院である。Wikipediaによれば、「湯布院町(ゆふいんちょう)は、大分県のほぼ中央に位置し、大分郡に属していた町である。町内に3ヶ所の温泉地がある町として町名は有名であった。2005年10月1日に郡内の挾間町、庄内町と合併し、由布市(ゆふし)となり自治体としては消滅した。現在「湯布院町」という地名は、旧町域にある大字の頭に付く形で残っている。・・・(中略)・・・町名とインターチェンジは「湯布院」であるが、駅名と温泉名は「由布院」である。しばしば「湯布院温泉」と表記されるが、実際には「湯布院温泉」なる温泉地は存在しない。 1955年に由布院町と湯平村が合併した際、新しい行政区域が湯布院町として誕生した。湯布院というのは,本来自治体名・町名である。ところが、1959年5月4日に、湯平温泉と由布院温泉、塚原温泉が国民保養温泉地に指定された際、指定名称が湯布院町内の温泉を対象とする意味から「湯布院温泉」の名となった。この国民保養温泉地の新名称が「湯布院温泉」という架空の温泉名が流布するきっかけとなったという説もある。」
 とにかく名前の由来はややこしくてよくわからないが、我々としては落ち着いて楽しめればそれでよいのである。街中は清里のようにでかすぎず小規模で、食べ物屋や土産物屋もたくさんあってウィークデーにもかかわらず女性を中心としてにぎわっていた(いったい男はどこに行ってしまったのだろうかといつも思う)。そんな風景の写真が1枚目の写真である。町の背後には由布岳が控えている。
 湯布院にはいくつかの美術館があるが、そのうちのひとつが山下清の原画を展示している場所がある。それが2枚目の写真で、私はこれまで原画を見たことがなかったのでそれを見ることにした。あまりしっかりとはしていない建物の二階に原画が展示されていた。その原画の数々は唖然とするほど素晴らしいもので、その色使いといい構成といい申し分なく、私の心にしっかりと根ずく様な出来栄えであった。沢山の花火の絵に交じって虫の絵もたくさんあり、驚いたことに真っ黒な背景に描かれた烏(からす)の絵は素晴らしい構成であった。残念ながら写真を撮ることができなかったのでネットに出ている写真を使わせていただくことにした。それが3枚目の組み写真で、「長岡の花火」と「烏」である。
 彼が生きた時代は紙が必ずしも十分にあった時代ではなかったようで、いろんな材料にちぎり絵が描かれていた。団扇やお盆などなんでもござれであった。そんな山下清像についてWikipediaは次のように言う。
 「山下 清(やました きよし、1922年3月10日 - 1971年7月12日)は、日本の画家。日本中を放浪していたことで知られる。東京府東京市浅草区田中町(現・東京都台東区日本堤)に生まれ、翌年には関東大震災によって田中町一帯が焼け、両親の郷里である新潟県の新潟市(現:中央区)白山に転居するが、その2年後の3歳の頃に重い消化不良になり、一命は取りとめたものの、後遺症で軽い言語障害、知的障害に進行。1932年(昭和7年)に母ふじが再婚。1934年(昭和9年)の春に、母ふじが清を含む子供3人を連れて北千住(足立区千住)の木賃宿へ逃れるが、生活が困窮し、すぐに杉並区方南町(現:杉並区方南)にある母子家庭のための社会福祉施設「隣保館」へ転居。この頃に母ふじの旧姓である山下清を名乗るようになる。その後知的障害児施設「八幡学園」へ預けられる。この学園での生活で「ちぎり紙細工」に遭遇。これに没頭していく中で磨かれた才能は、1936年(昭和11年)から八幡学園の顧問医を勤めていた精神病理学者の式場隆三郎の目に止まり、式場の指導を受けることで一層充実していった。八幡学園での在籍期間は長かったものの、18歳の時に突如学園を後にし、放浪の旅へと出て行った(1940年から1954年まで)。・・・(中略)・・・驚異的な映像記憶力の持ち主で、「花火」「桜島」など行く先々の風景を、多くの貼絵に残している。とりわけ、花火が好きだった清は、花火大会開催を聞きつけると全国に足を運び、その時の感動した情景をそのまま作品に仕上げている。花火を手掛けた作品としては、『長岡の花火』が著名である。しかし、旅先ではほとんど絵を描くことがなく、八幡学園や実家に帰ってから記憶を基に描くというスタイルだった。このエピソードから、清はサヴァン症候群であった可能性が高いといわれている。」
 このサヴァン症候群とは、一度聞いただけの音楽でもそれを見事に演奏できる驚異的な記憶力の持ち主であったり、普通のことはそれほどできるわけではないが圧倒的な記憶力の持ち主のことを指しているようだ。その能力を開花させたのが山下清であったようである。それにしてもそこに展示されていた日記を見る限り、しっかりとした文章ときれいにまとまった字が印象的であった。
 さて、湯布院といえば四方山に囲まれた盆地のようなところで、静かに温泉に浸ることのできる田舎との印象がある。夕刻予約したホテルに着いてみるとまさにそんな雰囲気の場所であった。夜ゆっくりと温泉を楽しんだ翌朝外に出てみると、昨夕見事に見えていた由布岳は雲に覆われ、朝霧がきれいに周りの山すそを取り囲んでいた。その朝霧は刻々とその姿を変え、何とも言えぬ美しい雰囲気であった。その変化を組み写真にしたのが4枚目と5枚目の写真である。湯布院の雰囲気がよく表れていると思っている。

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