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寒風の中 淡路島を駆け抜ける (3) 洲本城

  • 2012/02/05 23:51

 ホテルで朝食を済ませてから、時間に余裕があったので近くにある洲本城に向かった。それは三熊山ドライブウェイを10分も上ったところにあり、よく整備されているが現在もさらに整備のための工事が行われていた。あるWeb Site(みんカラ、http://minkara.carview.co.jp/userid/157690/spot/401277/)によれば、「洲本城は戦国時代の山城(上の城)と、江戸時代の平城(下の城)と2つあります。大坂夏の陣の後淡路は徳島藩の蜂須賀氏の所領となり、家老の稲田氏一族が由良城代となりましたが、寛永8(1631)年、由良は淡路の東南隅にあり、土地も矮小で城下の経営も出来ないことを理由に、洲本に淡路の拠点を移しました。これは城下町ごとの大移転であったため俗に『由良引け(ゆらびけ)』と呼ばれています。
この時築いた城が、平城で『下の城』といわれる洲本城です。家老の城だったせいか、『城」』の呼称をせず『お居館』と呼ばせていたそうです。明治5(1872)年の廃藩置県まで稲田氏が城主でした。現在は裁判所、検察庁、拘置所、淡路文化資料館用地になっています」とある。実はこの平城らしきものが、城に上る前の展望台から右側遠くに見えた。不思議にきれいに整地された場所だったので、写真にとって拡大してみると石垣なども見え、これがきっと平城だと思われる(1枚目の写真の下部分)。
 とにかくこの洲本城は複雑な経緯をたどってきたらしい。さらにさまざまなサイトで勉強すると、戦国時代には畿内・阿波国の権力者であった三好長慶が洲本城も管理したようで、さらに私が住む高槻の三好山にあった山城・芥川城も彼のものであったということで、なんとなく親近感を感じてしまう。それにしても彼は、ちょっと変わった戦国大名のようで、キリスト教の布教を許し、彼の周りでは多くの者が洗礼を受けたという。
 そんなことはまあいいとして、洲本城の山城には昭和天皇を記念して昭和3年に天守閣を模した模擬天守が展望台として造られたが、最近それにひびが入ったとして補修が行われている。その傍からは洲本の街や港がよく見える。また、このお城には「芝右衛門狸のおはなし」との伝説も伝えられており、狸も祀られていて面白い(2枚目の写真)。
 でも、私にとって最も奇妙なのは石垣である。立派な石垣がたくさん残されているが、そのほとんどに大きな木が根っこを張っていることである。こんな石垣は見たことがない。このお城(石垣)は500年の歴史があるが、そんなことを彷彿とさせるが、これは由良に城を築くときに廃城とした後に石垣に生えた木が根を張ったのであろうか、あるいは何かを意識してのことなのであろうか。私には石垣に根を張れば石垣の崩壊につながるように思えるのだが、いかがであろうか。でも、面白いお城を見せていただいたと思っている。

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