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「ヒ素生物」と「ヒッグス粒子」???

  • 2012/07/11 10:13

 1枚目の写真にあるように、昨日の読売新聞朝刊に興味深い記事が載っていた。それが1枚目の写真である。タイトルは「ヒ素で生きる細菌 否定」で、2010年12月にNASAがかなり大々的に発表した内容を米科学誌サイエンスが掲載したが、今回はそれに対する反論を同科学誌サイエンス(電子版)に掲載したようである。最初の発表に対して私は2010年12月にこのブログに次のように書いた(http://www.unique-runner.com/blog/diary.cgi?no=114 )。
 「これまで私たちが知っている地球上の生き物には、炭素、水素、窒素、酸素、リン、硫黄の6元素が必須であった。今回の発見はこの考えを覆すもので、リンの代わりにヒ素があれば生きられる生き物がいるということである。それを発見したのは、カリフォルニア州にあるNASAの合衆国地質研究所所属のFelisa Wolfe-Simon博士らのグループで、・・・モノ湖の泥から発見した細菌類の中にそんな生き物が潜んでいたのである。右側はその研究に主たる役割を果たしたWolfe-Simon博士である(Science, Vol. 330, 1302, 2010)。モノ湖は高い塩分濃度で知られ、しかもヒ素が高濃度で含まれている。
 彼女たちはその泥から分離した細菌をリン元素を含まず、その代りにヒ素を加えた培養液で培養し続けても、遅い速度ではあるが分裂・増殖し続ける細菌が存在することを発見した。そして、通常ならリン元素を確実に含んでいるDNAやタンパク質などを特殊な方法で調べたところ、リン元素は存在せず、ヒ素元素が含まれていることを証明した。いまのところ、ヒ素元素が普通ならリン元素が存在する化合物に同様の化学結合で存在しているかどうかの証明はないが、多分リンの代役をしているのだろうと推測されている。」
 今回の発表について私はまだ詳細を読んではいないが、新聞記事によれば微量のリンが存在しなければ成長できないと報告しているという。何が真実であるかは今後の展開を待たねばならないが、このような論争が公に行われるのは正常である。発見の真偽はともかく、慎重に計画された実験で慎重に出される大胆な仮説は科学を大いに進歩させる原動力になるもので、最終的な結果を恐れるべきではないと私は思っている。
 暫く前に、ニュートンの相対性原理に反して光速を超える速度で飛ぶ素粒子が存在するとの大胆な実験結果が発表されたが、残念ながらその結果は間違っていたとして訂正された。この7月4日には欧州合同原子核研究機構(CERN)は「ヒッグス粒子とみられる新粒子を発見した」と発表した(2枚目の写真)。このことを説明する力は私にはないが、おおよそのことを言えばその粒子は、ノーベル賞受賞者の南部陽一郎氏らの理論を基にして英国物理学者のピーター・ヒッグス氏らが提唱したもので、素粒子に質量を与える重要な粒子と考えられてきた。今回その探索が始まってから40年でやっとその存在の端緒をつかんだとの発表であった。そして当然のようにノーベル賞に値するなどの評論が見られた。
 このような宇宙創成に関わるような課題が大量の資金の投入を受け、また生命誕生の根幹にかかわるような課題が地味ではあるが同様にマスメディアなどで大いに取り上げられることは別に悪いことではない。ただ、その取り上げ方は純粋に科学的営為に対する評価であるばかりではなく、どちらかといえばノーベル賞などと関連して国威発揚に大いに関係しているように思われて気になる。
 気になるといえば私の場合にはもっとこじんまりしていて、通常そのようなところまで問題点が煮詰まらず、未だ個々の研究者の好奇心の領域にとどまっているような課題に対しての話で、それを言えば現在の状況は悲観的である。そのような状況の課題で研究費を求めようとしても、それが実際にこの一般社会で“なんの役に立つのか”との見通しを、その見通しがなくとも書かねばならないのは悲劇である。生物・医学系で言えば、しばし前までは誰しもが“がん”について一言居士にならざるを得なかったのである。いまではさしずめ“再生医療”とでも書けばよいのであろうか。
 一昔前まではそんな訳の分からぬ研究こそが“まともな”研究者の、また国立大学の研究者のやるべきこととされてきたように思う。私が退職した2003年頃から国立大学は“独立行政法人”となり、研究費は自分で稼ぐものとされ始めた。いまは上に述べたようなビッグプロジェクトにお金は出ても、なんの役に立つか分からぬ研究には研究費が供給されない、私から言えば不遇の時代である。この傾向は特に日本では著しい。だから、日本からではなくアメリカから「ヒ素生物」の話題が出てくるのである。これではまともな研究者は日本では育たなくなると危惧するのは私だけではあるまい。みんな若い時から研究費のことばかり考えて研究をするのである。いつの間にか基礎研究者までも金の亡者になってしまっているといっても過言ではあるまい。科学とはそんなものだったのだろうか?このことについてマスメディアはどんな考えを持っているのだろうか。 古いかもしれないが、私にとって科学とは、また仕事とはそれがいかなるものであれ“自分”を育てるためのものだと思っている。職業に貴賤なしとはよく言ったものである。

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