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秋の山口・萩から長門(仙崎)を行く (4)長門国・仙崎に「金子みすず記念館」を訪れる

  • 2012/10/22 21:28

 二日目の長州の国の散策は雨に降られはしたが、それほどひどくもなく「金子みすず記念館」を長門の国・仙崎に訪れた。萩市から車でゆっくりでも1時間もかからない近さにある。童謡には全く疎い私には思いがけない感動を味わうことになった。彼女についてWikipediaは次のように言う。
 「金子 みすゞ(かねこ みすず、1903年(明治36年)4月11日 - 1930年(昭和5年)3月10日)は、大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した童謡詩人。本名、金子テル(かねこ テル)。大正末期から昭和初期にかけて、26歳の若さでこの世を去るまでに512編もの詩を綴ったとされる。1923年(大正12年)9月に『童話』『婦人倶楽部』『婦人画報』『金の星』の4誌に一斉に詩が掲載され、西條八十からは若き童謡詩人の中の巨星と賞賛された。…(中略)… 山口県大津郡仙崎村(現・長門市仙崎)出身。郡立大津高等女学校(現・山口県立大津緑洋高等学校)卒業。父・庄之助は、妻(みすゞの母)の妹の嫁ぎ先である下関の書店・上山文英堂の清国営口支店長だったが、1906年(明治39年)2月10日、みすゞが3歳のときに清国で不慮の死をとげる。劇団若草の創始者である上山雅輔(本名:上山正祐)は彼女の実弟であるが、幼くして母の妹(みすゞにとっては叔母)の嫁ぎ先である上山家に養子に出されている。叔母の死後、雅輔の養父・上山松蔵とみすゞの母が再婚したため、みすゞも下関に移り住む。同時に、みすゞと雅輔は実の姉弟でありつつ、義理の姉弟の関係となる。
 1926年(大正15年)、叔父松蔵の経営する上山文英堂の番頭格の男性・宮本啓喜と結婚し、娘を1人もうける。しかし、夫は正祐との不仲から、次第に叔父に冷遇されるようになり、女性問題を原因に上山文英堂を追われることとなる。みすゞは夫に従ったものの、自暴自棄になった夫の放蕩は収まらず、後ろめたさからかみすゞに詩の投稿、詩人仲間との文通を禁じた。さらにみすゞに淋病を感染させるなどした事から1930年(昭和5年)2月に正式な離婚が決まった(手続き上は成立していない)。みすゞは、せめて娘を手元で育てたいと要求し、夫も一度は受け入れたが、すぐに考えを翻し、娘の親権を強硬に要求。夫への抵抗心から同年3月10日、みすゞは、娘を自分の母に託すことを懇願する遺書を遺し服毒自殺、26年の短い生涯を閉じた。
 代表作には『わたしと小鳥とすずと』や『大漁』などがある。仙崎は古くから捕鯨で成り立っていた漁師の村であった。鯨に対する畏敬の念から鯨墓が存在する。金子みすゞは鯨の供養のために、鯨法会をする地域の慣わしに感銘し『鯨法会』という作品を書いている。自然とともに生き、小さないのちを慈しむ思い、いのちなきものへの優しいまなざしが、金子みすゞの詩集の原点とも言われ、『お魚』『大漁』などに繋がっている。」
 その「大漁」であるが、その詩は以下のとおりである。
 
 朝焼小焼
 大漁だ
 大羽鰯の
 大漁だ

 浜は祭りの
 ようだけど
 海のなかでは
 何万の
 鰯のとむらい
 するだろう

 記念館でこれを読んで、ハッとした。なんて隅々まで暖かく優しく物事を見ているのだろうと。そして館内でいろいろと読んでゆくと、記念館のパンフレットにあるように、「この世のすべてに温かいまなざしを向けたみすずの作品」とあるのが本当だと分かる。そんな金子みすずはこの地の人に愛されているのだろう。記念館の中に唯一写真を撮ってよいとされている場所がある。そこには、12万人分の顔写真を繋ぎ合わせて作られた金子みすずの「みんなちがって、みんないい」という言葉を入れた180分の1に縮小されたタペストリーが飾られている。それはすべてこの地に住む人たちの顔写真で作り上げられているのである。
 そして観覧した最後に、「金子みすず童謡集」とみすずの作品二つが書かれたノートのはがきを買うことになった。この二つの童謡は、昨年3.11の東日本大震災後特にテレビCMで流されていて、しばしば耳にして記憶に新しい。買ってきてから時々その本を眺めている。
 1枚目の写真は、彼女の生家の後に作られた「金子文英堂」という本屋かつ「金子みすず記念館」の写真である。上は入口、下は出口を組み合わせてある。2枚目は館内に飾られているタペストリー、3枚目は私が買い求めた文庫本、そして4枚目と5枚目は「こだまでせうか」と「私と小鳥と鈴と」の実際に彼女のノートに直筆で書かれたそのままのハガキの写真である。この文庫本とて彼女の童謡512編のうちの5分の1程度を収容しているだけである。
 なお、みすずとよく似た視点を持つ詩人であり書道家である相田みつをとコラボレーションした企画展“詩人の魂 相田みつをと金子みすゞの世界”が近くの「ルネッサながと」で開かれていたのでそれも併せて見学し、さまざまに感じることがあった。また、我が家には画家中島潔の「中島潔の世界1968→2004」(平凡社、2004)があり、そこには金子みすずの「大漁」をモチーフにした素晴らしい絵があり、また、中島潔がその同様のモチーフで2010年だったか京都・清水寺の襖絵を作成したことも改めて自覚することができた。
 今回の「金子みすず記念館」訪問は、様々な意味で、私にとっては衝撃的な出来事であった。皆さんもぜひ一度訪問されることをお勧めする。なお、写真であるが、1枚目は記念館の入り口と出口(下の部分)で、2枚目は「みんなちがって、みんないい」のタペストリー、3枚目は私が購入した「金子みすず童謡集」の表と裏、そして4枚目と5枚目は「こだまでせうか」と「私と小鳥と鈴と」の直筆のノートをハガキにしたものの写真である。「こだまでせうか」のハガキは既に孫たちに手紙を書いて送った。いずれもう一枚も送るつもりである。

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