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初めての関東、そぞろ歩き(1) 江の島・弘明寺・小田原・秦野など

  • 2016/08/03 15:55

 昨年1月に関西から引っ越して1年半を過ぎました。さっぱり分からないこの関東を知ろうと、交通の便の良さを利用して時間のある時にただ歩いてみて撮ったわずかばかりの写真の保存アルバム、備忘録です。そうでもしないとまたお蔵入りになってしまうので・・・。
 昨年の春、最初に訪れたのは江の島でした。何か修学旅行で訪れた記憶がかすかにある、そんな場所でした。小田急江ノ島線の片瀬江ノ島駅を出たらそこに江の島があった、そんな感覚でした(1枚目の写真、左上。左下は江の島側から見た片瀬地区とのつなぎの橋である)。
 私が物事を調べるときの常とう手段、Wikipediaに尋ねると次のように言う。「江の島(えのしま)は、神奈川県藤沢市にある湘南海岸から相模湾へと突き出た陸繋島。また、同島全体を指した地名。片瀬地区(旧片瀬町地域)に属する。…(中略)… 湘南を代表する景勝地であり、古くから観光名所となっている。神奈川県指定史跡・名勝、日本百景の地である。交通機関の駅名などでは江ノ島と表記することも多いが、住居表示・公文書等で使われる公称地名は「江の島」と表記する。…(中略)… 周囲4km、標高60mほどの陸繋島である。三浦丘陵や多摩丘陵と同様に第三紀層の凝灰砂岩の上に関東ローム層が乗る地質である。古来は引き潮の時のみ洲鼻(すばな)という砂嘴(さし)が現れて対岸の湘南海岸と地続きとなって歩いて渡ることができた(トンボロ現象)。関東地震で島全体が隆起して以降は地続き傾向にある(2m隆起したという、筆者注)。…(中略)… 四囲を海蝕崖に囲まれた険阻な地形、海蝕洞「岩屋」の存在は、古来宗教的な修行の場として江の島を特色づけてきた。」なるほどと思う話もある。日米修好通商条約から1899年(明治32年)までの40年余り、横浜の外国人居留地に住む人々は、行動範囲を居留地から10里以内に制限されていた。その制限範囲内にあり、風光明媚で宿泊施設が整っていた江の島には、明治初期以来多くの外国人が訪れるようになった。東京大学の初代動物学教授エドワード・S・モースは1877年(明治10年)7月から8月まで、シャミセンガイ研究のために江の島に日本最初の臨海実験所を開いた。」そうだったんですか、という感じである。あまり引用すると長くなるので以下簡単に記すと、江戸時代後期には江戸庶民の行楽地として大山ー江の島―鎌倉ー金沢八景(金沢と聞くと北陸かと思ってしまう私だが・・・)の寺社巡りを含む観光ルートが大いに流行したようだが、大正12年の関東地震、明治時代の廃仏毀釈(写真右上の神社は元はお寺で、宿坊は一般旅館に変わったという)などで混乱したようであるが、後に小田急江ノ島線の建設などが観光地としての確固たる基礎を与えたという。それにしても調べてみると江の島界隈は江戸末期からの日本の動きをよく写し取っているように思われ興味深い。なお、同じ写真の中下は狭い参道、右下は湘南の海を象徴するヨットハーバーである。こんな風に調べてみて、片瀬江ノ島行き小田急電車の素性がやっとわかってきた。
 さて話は変わって、江ノ島線の湘南台から横浜地下鉄ブルーラインに乗るとほどなく弘明寺駅に着く。駅を降りて門前町かと思うアーケードを通り抜けるとそこには長い階段を上がったところに坂東33か所観音霊場の14番札所で、珍しい屋根の構造を持つ高野山真言宗の弘明寺がある。鎌倉時代からの横浜最古の古刹として知られ、国の重要文化財である(2枚目の写真)。ここも明治維新の影響を強く受けたようで、当初門前町の一角かと思ったアーケード街は、実は戦後の闇市からできあがったもので、本当の門前町はこの地から北西に1キロほど離れた蒔田(まきた)のあたりだったという。昔の寺院は広大な領地を持っていたのである。
 弘明寺からアーケード(同左下)を通って鎌倉街道に出るまでに横切る大岡川の両岸は横浜屈指の桜の名所と言われる。また、鎌倉街道の向こう側にはかって横浜国立大学工学部があって学生街としてにぎわったようであるが、今はそれも移転し以前の面影は薄れている。
 さて、小田急小田原線を終点まで行くとそこは小田原市である。戦国時代、徳川秀吉が天下統一を掲げて北条を滅ぼしたが、その中心が小田原城であった。駅から歩いても近いところにあり、その面影は3枚目の写真にある。残念ながら改修中のため中を見ることはかなわなかったが、その雰囲気を知ることはできた。ただ不思議だったのは、写真にあるように海抜わずか10.9mという低地から城が立ち上がっていてよくぞ津波の被害を受けなかったものだと思ったものである。ここを訪れたのは昨年であったが、いまNHK大河ドラマの「真田丸」が佳境を迎えている。
 小田急小田原線の下りの後半にある渋沢駅を降りてバスで15分ほどのところに広大な神奈川県立秦野戸川公園が広がっている。大山からさらに西側に広がる丹沢山系の表丹沢を背景に広がる公園で、中心部を貫く水無川を挟む長さ267m、高さ35mの「風のつり橋」と呼ばれる橋がなかなかの圧巻であった(4枚目の写真)。私たちが訪れた時にはアジサイが満開でそれ以外にも様々な花が咲いていたが、なかでもネットで調べたところ“ルドベキア・オータムカラー”らしきこげ茶と黄色の花がたくさん咲いていてみごとであった(5枚目の写真)。豊富な緑と子供が安全に遊べる水辺、そしてなによりもおいしい空気と澄みきった空が素晴らしい公園であった。

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