一体アメリカはどこへ行く?
- 2018/09/20 17:07
今季最後のテニス四大大会の全米オープンは9月8日(日本時間9日)にニューヨークで行われた。決勝は第20シードの大阪なおみ(20)と第17シードのセリーナ・ウィリアムズ(36)の戦いとなり、驚いたことに大阪なおみが6-2,6-4で百戦錬磨のウィリアムズを圧倒して優勝した。四大大会での優勝は日本人はじめてのことで、早朝のゲームをかたずをのんで見守っていたのはもちろんである。
それほどうれしい大会であったにもかかわらず、全く残念なことがあった。それは第2セットの途中から三度にわたってセリーナ・ウィリアムズが主審カルロス・ラモスの判定や警告に性差別的と異議を唱え、猛烈に口汚く抗議を続けたことであった。その抗議は、しかし、彼女だけではなくスタンドの観衆もまたそれに加勢し、試合が終わっても、そして表彰式になってもブーイングは続いたのである。このような状況は初めて見たし、それが何を意味するかもつかむことは難しかった。このような状況はテレビで世界中に放映され、そのもテレビニュースなどで繰り返し報道されたことから私がここで詳しく書き記すこともないであろう。
でも、私が気になるのはそのことだけではない。なぜ、あのような抗議が観客と一体となった形で持続し、それが表彰式にまで及ぶと言う信じられない形になってしまったことである。もちろん、かって悪童と言われたジョン・マッケンロー氏のように彼女の性差別的だとの判定・警告に対する主張は正しいと支持するかってのレジェンドもいる。しかし、最も強く批判しているのは、もちろんレジェンドであるマルチナ・ナブラチロワ氏で、彼女の意見を含めて展開されているネットの記事では、男性プレーヤーに対する警告などは女性プレーヤーに対する警告よりも高い頻度で行われているとデータを持って主張している。いずれにせよ、この問題は今後ともテニス界をはじめとしてスポーツ界での論争に発展する可能性が高い。
この問題で私が感じているのは、スポーツである限り対戦相手への敬意は必須である。その意味で、今回の大阪なおみの置かれた立場は悲惨であった。この表彰式の場面に至ってもブーイングは止まず彼女は涙にくれるしかなかったのである。全体のブーイングが止んだのは、大阪なおみが半ば謝罪のような雰囲気の”こんな形でごめんなさい。試合を観に来てくれてありがとう”との言葉を発した後であった(3枚目の写真)。大阪なおみが初の四大大会優勝と言う喜びを爆発させたい表彰式でこのスピーチは悲しすぎる。今回の大会ではセリーナ・ウィリアムズは24回目の四大大会優勝を出産後最初の大会で飾りたかったのであろう。でも、それでもダメだ。戦う相手への敬意をなくした選手はプレーする資格はないし、それを感じない観客は観戦する資格もない。
これまでもアメリカの社会は世界の指導者的立場にいながら、相手民衆へのレスペクトを忘れてすぐに爆撃や武力行使などに訴えるという歴史が多すぎ、トランプ大統領が登場した後もたびたび”アメリカの分断”が叫ばれてきたし、その分断が固定化されてしまっているように思える。相手への敬意がなければ分断は解消できない。今回の“事件”もそのひとつかとも思ってしまうのが残念である。あのような光景はもう見たくない!見たくはないが、アメリカで最近出版された“FEAR”(ボブ・ウッドワード著)の内容が漏れ伝わるのを聞くと、ますます恐ろしくなってくるのはいかがなものか。
なお、写真はすべて9月9日の読売新聞の記事である。写真がきれいに仕上がっていないのはお詫びしたい。クリックで拡大してご覧ください。