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東京マラソン2019が我が家の一大イベントの舞台に。(1)速報ーレースの準備からスタートライン、そしてゴールまでの苦闘

  • 2019/03/09 11:32

 昨年の夏前の6月の頃だった。以前から私はいつか子供たち3人と一緒にマラソンを走りたいとの希望を持っていた。もちろんそれまでに長男とはホノルルマラソンを、次男や長女とは長野マラソンを何度か走ってはいたが全員で走る機会はなかった。2019年は私も80歳になることでもあり、4月の長野マラソンを欠場した親父を見てその頃が潮時だと誰かが考えたのであろう。私たちも神奈川に引っ越したこともあり、みんなは東京マラソンのチャリティ枠での出場ができれば同時に走ることも可能だと判断した。そして、なんとそれが現実になったのである。では、それから東京マラソンを走るまでに起こった出来事を時系列に沿って書き記しておきたい。
 昨年7月の初め、親子4人パソコンに張り付いてエントリー枠の取得にまい進し、見事出場枠を取ることができた。しかし、それからの8か月が苦難の始まりであった。私としてはそれなりのトレーニングをして10月のタートルマラソンに出場したが、2時間17分程度のあまり芳しくないタイムで、おまけに後半は暑さに負けたか自分の身体をコントロールできない危ない走りとなってしまった((http://www.unique-runner.com/blog/index.php/view/300 )。そんな調子を引きずったのが11月の神戸マラソンで、なんと5時間40分台というタイムに終わってしまった。
 さらに別の苦難が続く。年が明けて1月8日ころから歯周病に原因する歯茎の腫れを引き起こし、いつもの抗生剤では収まらず、医師は用心して私に市立病院行きを命じた。そこで点滴を希望するかと医師に尋ねられたので、飲んでダメだったので希望すると答えた。これが問題の引き金だった可能性がある。点滴のおかげか腫れは3日ほどで完全に引いたがきつい下痢が4-5日ほど続いた。その間脱水状態になることを次男から指摘され、経口補水液を飲み始めた。抜歯を含めて歯の処置が済んだのが2月の初めで、そこから急ぎ走り始めたが数日後から体のあちらこちらに筋肉痛が発生し、トレーニングのできる状態ではなくなってしまった。
 要するに臀部、ハムストリング、ひざ裏、膝蓋骨周辺などに違和感が出てきた。横浜・市ヶ尾の佐藤治療院の佐藤先生、先生から紹介された東芝林間病院・スポーツ外来の鳥居先生などのご意見をいただきながら議論し、最終的には下痢を引き金にした脱水症状による筋肉痛と推定することになった。そこで経口補水液を一日できれば1リットルほど補給することを続けた。その効果が出たのか、少しずつ動けるようになってきた。でもレースまであと2週間ほどしかなかった。しかし佐藤先生の指示は、1日おきに30分限定でゆっくりしたランニングをして、決して無理なトレーニングをしないことだった。私はそれを守るしかなかったため、3月3日の4日前までにランニングをしたのはたったの4日だけだったのである。しかし、いまから考えるとここで体力を温存できたことが今回の結果につながった可能性が大きいと考えている。
 あと4日という2月27日にがん検診で行った血液検査で思いがけないことが分かった。通常13.8-16.8g/dLであるはずのヘモグロビン値が12.9しかなく、慌てふためいて佐藤先生の指示で貧血の薬ファイチを薬局で購入し、たった4日間ではあるが飲むことにした。
 さらに苦難の道は続く。東京マラソンの前日の3月2日、抜けられないサッカーの試合に出場した次男が右脚腓骨筋の腱を痛めたことを当日朝私は聞かされた。3枚目の組み写真の左部分でふくらはぎにきつくテーピングをしているのが彼で、そのあとトレーナーでもある長女からストレッチを受けていた。その甲斐あってか少しびっこを引きながらではあるが歩き始め、十分に私たちを引っ張る走りができそうな気がしてきた。
 最後の問題は気象条件である。前日の昼間の天気予報は、東京地方の雨は夕方か夜からになるでしょうというもので、ほっと一息ついていたというのが本音であった。ところが夜遅くから気配はおかしくなり、朝5時前に起きた時には6時ころから雨が降り始める可能性があると、ビックリするような予報に急転していた。ランニングウェアなどを変更し、レインコートなどを増やしたりあわただしい時間を過ごし、6時06分の小田急線に乗って新宿に向かった。新宿に着く頃にははっきり雨が降っていることが分かった。
 そして、周到に準備をして荷物を預ける頃には雨は強くなり、それからスタートまで約40分間極寒の中を移動しスタートを待ってたたずむことになったのである。そして9時10分に号砲が鳴って先頭はスタートし、我々はおよそ20分遅れの9時30分にスタートラインを通過することになった。その時とゴールの時の”東京”の気象データを示したのが4枚目の組み写真である(気象庁発表)。気象庁のデータでは9時の時点では4.4℃、我々がゴールする3時ころには6.2℃となっていたが、スタート地点ゴール地点のデータは少し違って朝が1.3℃高くなっている(プレスリリース)。それにしても気温は真夜中から朝9時に向かって急降下し、その後少し上昇するも6.2℃くらいで頭打ち。プレスリリースのデータを考えると、ゴール地点の気温も6.5度ほどで頭打ちでスタート地点より少し暖かそうに聞こえるが、実は湿度が朝の58%から4時ころには95%まで跳ね上がっていた。こうなると、汗で熱を放出することができず、逆に冷たい風で汗が冷えて低体温症の危険が出てくる。今回の完走率は94.31%でこれまでで二番目の低さであった。我々はゴール近くになって写真を意識してレインコートを脱いで走ったが、猛烈な寒さを感じて恐ろしかったことをまざまざと覚えている。

 とにかくスタートできて80点だと少し安堵しながら走りながら、いろいろなことがあったが徐々にペースが安定し、ペースメイカーの見事なコントロールや多くの応援団の強い支えに助けられ、わずか数回の歩きだけでとにかく最後まで走りきることができた。その辺りの話は次のブログに任せたい。この間ただただ残念だったのは、長男が寒さと右ひざの痛みに耐えかねて20キロあたりでリタイアを余儀なくされて三人のゴールになってしまったことで、しかし彼の健闘に感謝一杯である。最後の組み写真は、日テレのテレビ画像から撮らせてもらったもので、上はほぼゴールラインの上の画像で、黄色いT-シャツの私が左の次男と右の長女の手を取り合ってゴールしているのが分かる。また下側の写真は、ゴールラインを過ぎてすぐ手をおろし、私を中心に顔を見合わせ安堵している様子がうかがえる。ただ、ゴールしたことが分かればよいと考え、粗いけど出した写真である。
 このブログはこのあたりまでにしておきたいと思う。なお1枚目から4枚目までの写真の説明をしておこう。1枚目は、3月1日の受付時にSEIKOのブースで撮影したもの、2枚目は同じときに東京メトロのブースで撮影したものである。3枚目の組み写真はGate 3を入ったところで、スタート前に着替えをしているところでの写真で、左側はふくらはぎにテーピングする次男、右は私、真ん中は4人でスタートブロックに出かける前の写真である。4枚目は、プレスリリースの気温と風のグラフである。

  なお、このブログは私の日記帳でもあるので事細かい記述が多いこともお許し願いたい。(つづく)

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