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東京マラソン2019が我が家の一大イベントの舞台に。(4)追補版:いまだにまだ書き残したことがあるんです・・・

  • 2019/04/17 13:38

 これまでになが~いブログを(1)(2)(3)と3つも書いてしまったが、それでもまだ何か書きたりないことが沢山ありそうで、思い出すまま、また皆さんの意見も聞きながら、長くなるのを覚悟の上で書いておきたい。文章ばかりでは読まされる方はたまったものではないだろうし、また記念品としてちょっと高いが無理をして購入したプロカメラマン撮影の写真も何枚か御覧いただきたい。

 まずは、1名足りないので全体として100点満点ではないが、感極まる直前のゴールライン上の写真を見ていただきたい(1枚目の写真)。それまでの苦しみを忘れて、いやそれだからこそのうれしい顔3つが並んでいる。その時点の数百メートル前で私たち3人はそれまで42キロ着てきたレインコートの類をすべて脱ぎ捨てて沿道の係りの人に渡して、寒さに震えながら大観衆の声援を受けてゴールに向かってきた。そして歓喜が待っていた。
 さて、そこからず~っと時計を巻き戻しての30キロ直前の銀座4丁目の角(2枚目写真の信号機にそれを示す標識)、少し先が見えてきて明るい顔をしている3人。マラソンは30キロからという金言を知ってはいるが、フルマラソンを何度も経験している我々3人は、タイムのことを脇に置けばなんとか我慢できることを感じていたからだろう。実にタイミングよく撮影されている。
 それから10キロほどゴールに近づいてもうゴール間近の40キロ過ぎ、次男と私がなんだか下を見ている3枚目の写真が面白い。次男は左手で下を指さしていて、そこにあるのはなんと“マンホールの蓋”である。このような状況は何度もあったことをブログ(3)に書いたが、こんな写真が撮影されているとは夢にも思わなかった。後半は私と並んで走っていた次男はこのようにして私の安全な走行を手助けしてくれていたことはお分かりいただけるであろう。もちろん、マンホールがなくても私が疲れてお尻が落ち、強い前傾姿勢で走っていると、しばしば私の顎の前あたりに横から手が出てきて前傾の修正を促された。そのたびに私は転倒の危機を遠ざけてもらっていたのである。
 もっと時間を巻き戻してみよう。ブログ(2)に書いたように3キロ過ぎの地点でトイレに入った関係で5.6キロの第一関門に引っかかる恐れが突然我々を襲った。さらにそのあとの第二関門が9.9キロとすぐそこにあることも分かり、にわかにペースを上げなければならない必要に迫られた。でも、この緊急性については並走していた私や長男はそれほど詳しくは知らされてはいなかった。しかしペースをコントロールしていた次男と長女が最後尾を示す公式のランナーと話をし、また沿道で我々の応援に来てくれていたサッカーチームTFCの仲間とスマホで交信して関門で止められることを避けるに必要なペースの計算をお願いしていたようである。私のGPS時計のデータによれば(ブログ(2)の3枚目の写真)、3キロまでの1キロを7分06、06、07秒で走っていてトイレ休憩に入った後は急ぎ6分31秒に上げ、第二関門も安全だと分かる頃のキロまでの1キロ毎を6分42,47,26,44秒とばらつきはありながら徐々にペースを落とし、脚の使い過ぎを微妙な数字でコントロールしていたことが分かる。ここに上げた数字は私の時計だが、実際の現場では沿道からの必要なデータを参考にしながら、長女が我々全体のペースを実測していたようである。恐れ入った緻密さのペースコントロールが私の脚を最後まで持たせてくれたのだろうと感謝しつつも、長男の脚を持たせられなかったのはいささか残念であった。考えてみればここまで今回のマラソンのタイムをなぜか書いてはいなかった。公式の記録証が届いたのでそれを4枚目の写真としてお見せする。グロスタイムは6:18:19で、ネットタイムは5:58:03であった。多分トイレ休憩や沿道の応援の方々との交流などを考慮するとおよそ5時間30分ほどのネットタイムだと思われる。
 さて、時計をもっと前に巻き戻して、つまりは走る前のことだが、書いておきたいことがある。それは薬の使い方である。ブログ(1)に書いたように原因がはっきりしない(脱水症状かも?)あちらこちらの筋肉痛などの違和感に私は悩まされ続けていた(これは現在も続いている)。それができるだけ走ることに邪魔にならないように乗り切るためにはたとえ一時的にせよ薬に頼るしかなく、どんな薬をどう使うかは悩みの種であった。私は親兄弟が薬剤師でもあったので若干の知識はあるが、スポーツ選手がたとえば消炎・鎮痛剤をどのように使うかは聞いてみないと分からないのでいろんな方にお聞きした。我が家の子供たちもそれを使った経験を持っていたのでそれも参考にし、その結果、私はロキソニンを、あるいは市販のロキソプロフェン(ロキソニンの成分と同じ)をレースの10日前から毎日1錠ずつを夕食後に飲み、レース当日は特別にスタート前に1錠追加した。この飲み方は、痛みの継続とそれによるストレスを抑えることを目的とした。このような薬の使用結果は大変効果的で、うれしいことにレース中全く痛みを気にする必要はなかった。
 実はすでに書いたことではあるが、ペースメイクなどのカギを握っていた次男は前日のサッカーの試合で右脚の腓骨筋の腱を痛め、まともに歩けない状態に陥っていた。幸いさとう治療院・佐藤千可生氏の的確な治療を受けることができて窮地を脱し、レース前に同様に消炎・鎮痛剤のボルタレンを飲み、特殊で強力なテーピングをし、さらにインストラクターでもある長女のストレッチを受けて危ないながらも走りきることができた。ロキソニンとボルタレンの使い分けについては個人の相性だと感じている方が多いようである。いずれにせよ、薬の使用は注意しなければならないが、しかし注意深く使用することで窮地を脱することができるのもまた事実である。
 さて、私が薬を飲まなければならなくなった筋肉痛のような全身的症状についてはブログ(1)に書いたがはっきりした原因はいまだ分かっていない。ただ、状況証拠は二つある。ひとつは、1月に引き起こした歯周病の治療に用いた抗生剤の点滴が強烈で4-5日にわたって激しい下痢に見舞われ、その後いつの間にか筋肉痛に見舞われていたこと、もうひとつは、私は従来から飲み会でビールなどをかなり飲んでも殆どトイレに行くことがなく、私自身の身体には水分が十分ではないと感じさせられていたからである(これについては同席の仲間が気にしていたらしい)。この二つのことにしてもそれが原因である確証はなく、下痢にしても冬に多いウイルス性の下痢かもしれず、それによる予想しがたい症状が出て今もそのウイルスが潜伏している可能性もある。そう考えるとなんだか恐ろしいストーリーで、手の打ちようがない。
 だんだん暗い話になってしまったが、そのついでに走っているときのことで特に長女に感謝しなければならないことが沢山あり、そのことを書いておこう。そのことごとくは私の身の回りの世話のことである。走り始めて最初の給水時から彼女が水の入ったコップを取ってきてくれることが分かり、終始それに甘えることになってしまった。それはコップを捨ててもらうことにもつながり、後半になると給食(エネルギー補給のための食べ物)で私が何が欲しいかと御用聞きさながらの役目までお願いすることになってしまった。特に身勝手だったのは、中盤から後半にかけて薄皮パンが食べたいかと聞かれ、粒あんのパンを食べたいと答えたらそれがなくてクリームパンを持ってきてくれた。が、それはいらないと断った。こんなことが二度三度とあったようで、しばらくの間そのパンたちは長女や次男のポケットにいたらしい。私がそんな拒否反応をしたのは、かって神戸マラソンの時にクリームパンを食べてあまり感じよくなかったことに起因する。でも、まったく身勝手なことだ。また、勧められるまま長女が持っていたエネルギー源のサプリを何個か食べてしまっていた。あ~ぁ、好き勝手をやってしまったな~と思いながら、すごくありがたかった。だからか、まったく何も考えずに走りに集中していたのか、神保町でカレーの匂いがしたとか、名古屋にいた頃には家族で何度も行った中華料理の味仙があったとかみんなが言っていたが、私には全く記憶がなく、ただ、沿道からの“なかにし~!”とか“おやじ!”、また“妹!”とかの声はなぜかよく聞こえてなんとか応答できた。
 とにかくいろいろなことはあったけど、我が家にとっては筆舌に尽くしがたい素晴らしい3月最初の週末であった。(でも、ホノルルマラソン2005では二人とも完走できたが、東京マラソン2019では残念ながら同時ゴールは果たせなかった長男との夢を、どうしたものかと頭を悩ましている。)

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