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[完全復元] 日韓併合100年の節目に思う

  • 2011/10/04 10:04

[この記事のオリジナルは2010年8月12日に書かれたものである。なお、最後に追記あり)

 菅民主党政権は8月10日、民主党政権として初めて歴史認識としての日韓併合についての首相談話を閣議決定した。その骨子は読売新聞(8月10日夕刊の一面と二面)にあるように、韓国に対する植民地支配を「韓国の人々の意に反して行われた」と位置づけ、痛切な反省と心からのお詫びを表明した。その談話は未来志向の関係構築を目指したもので、「これからの100年を見据えた」ものだと言われ、「朝鮮王朝儀軌」の引き渡しなどいくつかの項目が含まれている。
 この歴史認識の意義については、「自らの過ちを顧みることに率直でありたい」との意識を評価したいと思う。私はこの併合の時代に韓国・仁川で生まれた世代であることもあり、それなりに関心を持っている。歴史というものは、どこに力点を置いて評価するかによって結果は180度異なることは当たり前で、そのために政府は率直な評価を恐れ、常に玉虫色の決着を図ろうとする。そのことが1995年の村山談話までアジア諸国に対する明確な謝罪が行われてこなかった理由であろう。大戦終結後60年経ってやっとだったのであり、このことが韓国や中国との間で常に、例えば靖国問題などで執拗な論戦が交わされてきた理由だと私は考えている。
 今回の首相談話については政府・与党や野党にそれなりの批判が存在するようであるが、私はこの思い切った談話を歓迎する。それにしても自民党総裁の谷垣氏が「後ろ向き」との談話を発表しているのは不思議である。彼は来る15日の終戦記念日に靖国神社を参拝すると言う。彼は、首相になったら参拝はしないと依然述べているようであるが、立場が変われば行動が180度変わるというようなことは、国民を牽引する立場にある政治家としては慎んでいただきたい。ただただ馬鹿馬鹿しい!
 
 今回、この件をブログに書いた理由は、私たちの世代はもちろん今の若い世代も我が国の近代史・現代史はほとんど知らない現状を指摘しておきたいからである。別の言葉で言えばほとんど教育されていないのである。どの視点に立った歴史館であるかは別にして、考える材料が提供されていないのである。上にも述べたように歴史は複雑怪奇である。しかし、私たちには考える材料が提供されるべきで、それが教育というものであろう。いまはひょっとすると、NHKの大河ドラマなどの歴史ものの方がはるかに多くの事実を提供してくれている。
 確かに中国や韓国での歴史教育がどんなものであるかよくは分からないが、とにかく「行われている」のは確かであろうが、わが国では残念ながら「ほとんど行われていない」のである。その差が、論争になった時に私たちの世代ですら後ろ向きになってしまう理由である。
 この「日韓併合」にしても日清・日露戦争と複雑に絡んで起こったころであり、この100年の節目になにがしかの勉強をしてみたいものである。

追記:8月14日夜、NHKが「ともに語ろう 日韓の未来」という若い人たちによる討論番組を放映していた。そこでは貴重な有益な議論が行われていたが、その中で特に日本人の無知が問題になっていたようである。その意味でも私たちは少しでも勉強せねばと思う(2010年8月14日夜)。

追記2:復元のついでなので、読んで勉強になると私が思う本を紹介しておきたい。(2011年10月4日)
(1)「検証 戦争責任I、II」(読売新聞戦争責任検証委員会、中央公論新社、2006)
(2)「昭和史 1926-1945」(半藤一利、平凡社、2004)
(3)「昭和史 戦後篇」(半藤一利、平凡社、2009)

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