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[完全復元] 猛暑の高槻から、緑鮮やかな洛北・大原へ(1)阿弥陀寺

  • 2011/10/06 18:20

(この記事のオリジナルは2010年8月24日に書かれたものである)

 私たちの住処は高槻の北山、摂津峡に接するようにあるが、それでも今夏は特に暑くてやり切れない。そこをとにかく抜け出そうと京都の東の奥、大原へ車で出かけることにした。車に乗っている間は少なくとも暑さから逃れられるのである。大原訪問は私には初めてのことであったが、その緑の美しさを伝えたいと思い、書いている。
 最初の訪れたのは大原でも最も奥の古知谷にある阿弥陀時である。京都ハーフマラソンを何度も走って慣れ親しんだ白河通りを北に上がって宝ヶ池方面と別れて367号線、いわゆる鯖街道を走り、三千院などのバス発着場を過ぎてしばらく行き、阿弥陀寺の標識に従えば簡単にそこへの道に入ることが出来る。山門(唐門、1枚目の写真)写真はすべて拡大可能)を横目に見て上がるとすぐそこからはうっそうと茂った山の中であり、車が通る舗装道路もタイヤの跡以外は苔が生えていて美しい。途中から車を降りなければならないが、樹齢800年を数えるというカエデなどもあってとにかく美しい。
 この分野に不案内の私なのでいつものようにネットの世界に助けを求めた。Wikipediaによれば、「1609年(慶長14年)3月、弾誓上人が開山した念仏道場である。1613年(慶長18年)5月23日、開山の弾誓は、当寺の本堂脇の厳窟内で即身仏となった。その後、弾誓の遺体が石棺に納められ、本堂の脇にある石廟に安置された。開山の弾誓を本尊(「植髪 尊像」)として祀っているため、「弾誓仏一流本山」とも呼ばれるようになった。1721年(享保6年)2月4日には、開山の弾誓の遺徳を慕って訪れた近江国の念仏行者澄弾がやはり即身入定を果たしている。」とある。
 阿弥陀寺の縁起は他のお寺のそれとは明らかに異なっているが、それはともかく、そのお寺にたどり着くまでの緑の美しさが圧巻で、それをお見せしたいのである(2枚目の写真)。3枚目の写真は崖っぷちに立つ茶室であろうか、瑞雲閣と書かれた札がかけられた小さな建物を下から眺めたものであるが、全体の緑の中で美しい。
 境内は意外に狭く、それでもサルスベリ、ユリ、そして色づいているカエデ(種類が違うのであろう)などが美しい。4枚目の写真はその辺りの景色を表していて、右側に本堂、正面に宝物殿が見えている。長い参道とこの境内、お坊さんらしい方は1人しか見られなかったがきれいに整備されていた。
 宝物殿にはいろいろ展示されていたが、このお寺の圧巻はやはり石棺であろうか。生きながらにしてミイラ佛になられたという開祖上人はいまもその石棺に納められているといい、暗く冷たい石棺には霊気が漂う雰囲気があった。少し暑い境内から再び参道を降りるとそこには冷たい風が感じられ心地よかった(5枚目の写真)。これをきっと森林浴というのであろうか。この大原の地まで来ると夏山の緑がまるで新緑のように感じられる。

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