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少年や女性たちの加入でアンプティサッカーはさらに拡がりつつある

ファイル 278-1.jpg 昨年、大いに感動した下肢や上肢に障害を持つ人たちのサッカー、いわゆるアンプティサッカーの第7回アンプティサッカー日本選手権を今年もまた観戦する機会に恵まれることになった。なお今年の観戦記を書く前に、このサッカーの成り立ちやルールなどの基本的な情報は昨年書いたブログ“アンプティサッカー(Amputee Soccer)、その凄さを知る”(http://www.unique-runner.com/blog/diary.cgi?no=253 )にかいてあるので、ぜひそれをご覧いただきたい。
 1枚目の写真は、大会のパンフレットの写真と観客席に立ち並んでいた旗、それにこのアンプティサッカー協会に多大な貢献をされているセルジオ越後氏の閉会式での挨拶と彼の穏やかな表情の写真である。
 さて、今年は日曜日に会場の富士通スタジアム川崎に訪れたからかもしれないが、ファイル 278-2.jpgバックスタンドにまで多くの観客の姿を見ることができ、大きな広がりを肌で感じうれしい限りであった。とにかく、できるだけ写真で今回の観戦記を書いてゆきたいと思う。
 前回も書いたが、松葉杖、すなわちクラッチを巧みに使っての攻防は、スローインの代わりにキックインを使うルールの影響もあってかゴール前の闘いが激しい。そのシーンの写真を数枚掲載した。それが2枚目3枚目の写真に表れている。3枚目の写真を少し解説すると、右上は強烈なシュートのキーパーによるパンチング、右下は少年選手が左サイドに入ってきてゴール前にボールをあげたいのだが、キックする脚は右足なので非常に苦しいのがよくわかる。また、左上の写真は左側からの8番の選手の強烈なシュートだったのだが、そのシュートを打った選手を拡大したのがその下の写真である。要するに、キックするときには完全に上半身が宙に浮くことになり、その時体を支えるのは2本のクラッチであることがよくわかる。ファイル 278-3.jpgこのようにクラッチをいかにうまく操るかがスピードあるランニングやドリブル、そしてシュートのカギを握っているように感じる。
 4枚目の写真は決勝戦、東京都のFCアウボラーダ vs 大分市のFC九州バイラオールの戦いの様子である。聞くところによれば今回を含めてこの同じ組み合わせの決勝戦が4年連続で続いているようで、強豪同士の戦いが予想されたがその通りであった。左上は決勝戦の前に関係者から激励を受ける選手たち、その右の2枚はゴール前での戦いである。前半1点を先行したFC九州が押し切るかと思われたが終盤に追いつかれて延長戦となった。延長戦でもつばぜり合いは続き、逆に先行したFCアウボラーダだったが終了直前にFC九州チームが追いつきPK戦に突入した。しかし、信じられない強烈なシュート合戦が続いてなかなか決着がつかなかったが、やっと6人目(おぼろげだが)にFCアウボラーダが外し遂に決着がついた。右の真ん中はPK戦の様子、ファイル 278-4.jpgそして右下は最後のシュートが決まって歓声を上げて飛び出している白いユニフォームのFC九州、そして抱き合って喜ぶ選手たちの姿が左下の大きい写真である。
 5枚目の写真は優勝チームの写真を真ん中に、さらに左上にはもっとも私の印象に残り、最優秀選手(間違いないと思いますが)のFC九州バイラオールの萱島比呂選手の写真である。今年6月ポーランドで行われた第6回Amp Futbol Cup 2017で日本は3位となり、萱島選手は最優秀選手賞を受けた世界のトップ選手である。そのドリブルのスピードやシュート力、そしてゲームコントロールには驚かされた。もちろん、それ以外にも多くの優れた選手が見られ、中でも活発なコーチングや正確極まりないゴールキックを蹴るFC九州のキーパーはすごく印象的であった。
 そのような優秀な選手とは別にこの大会を盛り上げたのは多くの少年や女性の参加だったようだ。ファイル 278-5.jpg閉会式では関係者の皆さんがこぞってそのことに言及したのは印象的で、写真に撮れていた皆さんはできるだけこの5枚目の写真に入れようと努めた。新しい世代と女性の参加はこれからのアンプティサッカーの未来に明るい光をもたらすと確信する。また来年が楽しみである。

国内国外を問わずの汚い言葉の投げつけ合いに嫌気がさして・・・

ファイル 276-1.jpg 国内では、なりふり構わず野党側の窮地を狙ったとしか思えない安倍首相の突然の解散劇と、それに伴う政界の混乱と汚い言葉のやり取り。そして国外では、北朝鮮の核武装と核ミサイルを巡ってのガキ大将同志の汚い言葉の投げ合い。さらに今朝の新聞にもあるようにトランプ大統領による国連ユネスコからの脱退宣言など、一体何を考えているのだろうかと唖然とするばかりで、そんな大統領を何ともできないアメリカ国民とアメリカメディア。いつなんどき何かのはずみで攻撃のボタンが押されるかもしれない。それがないとの保証もない。そんなトランプに愛想よく付き合うわが首相を担ぐ我々国民とメディア。我々はどちらを、どこを向いていればよいのだろうか?
 そんな気分のなか、少し出かけてきた。まずは、東京都文京区駒込にある六義園(りくぎえん、と呼ぶ)。これは都立文化戝9庭園のひとつである。ファイル 276-2.jpgそこのパンフレットの冒頭に次のように書かれている。「六義園は五代将軍・徳川綱吉の信任が厚かった川越藩主・柳沢吉保が元禄15(1702)年に築園した和歌の趣味を基調とする『回遊式築山泉水』の大名庭園です。当園は池をめぐる園路を歩きながら移り変わる景色を楽しめるせんさいで温和な日本庭園です。江戸時代の大名庭園の中でも代表的なもので、明治時代に入って、三菱の創業者である岩崎彌太郎の別邸となりました。その後、昭和13(1938)年に岩崎家より東京市(都)に寄付され、昭和28(1953)年に国の特別名勝に指定された貴重な文化財です。」
 その記載通り、庭の門を入った正面にある池を中心として、その周りを巡る、いわゆる回遊式の庭園で、その静かなたたずまいを楽しむことができる。残念ながら私はこの手の文化財について解説を加えることなど不可能で、ファイル 276-3.jpgただその雰囲気を伝えられるように3組の組み写真をお届けする次第である。1枚目はこの庭園の正門と江戸から明治にかけての変遷を残すように洋風のレンガで作られた塀とその説明、およびこの庭園を造営した柳沢吉保が故郷和歌山を意識しての庭園構成の簡略図を示す写真などである。2枚目は庭園の中心である池周り全体の雰囲気を示す写真で、取水場には水の方向を分ける珍しい水分石も見られる。3枚目は、柱と梁に滅多に使われることのないツツジ(3本はサルスベリ)で建てられた簡素な「つつじ茶屋」と、それより下ったところにあり、甘酒や和菓子を楽しませてくれる「吹上茶屋」の写真である。そこに外国のご婦人が座ってゆっくりと庭園全体を眺めている姿はよい風景である。この茶屋は、2枚目の写真に池の反対側からも見えている。この茶屋の屋根上に猫が寝そべって毛づくろいしているのもゆったりしていてよい。
ファイル 276-4.jpg この庭園を訪れたのは10月の初めで、ちょうど花が少なかったのが残念だったが、桜の季節には園の入口にある巨大なしだれ桜が見ものであろうし、秋にはつつじ茶屋に山側から覆いかぶさるようなモミジは壮観であろう。ぜひまた訪れたい。
 その数日後、テレビで小田原城下での“小田原おでん祭り”の報道があった。何を思ったか、いや小田原名物のおでん食べたさに、1時間少しで行けることもあり一人で出かけた。もちろん前回小田原城に出かけた時には天守閣耐震補強などの工事中で中に入れなかったこともあった。まず、小田原城に行き、小田原城とそれを巡る様々な出来事や小田原城がその始まりとされる“総構え”を城内での展示などで勉強させてもらった。ただ惜しむらくは、たとえば彦根城のように築城当時の天守閣内部の様子を見ることのできないのは残念である。
 4枚目の写真は、きれいな白壁が光る天守閣とその天主の展望デッキから見える海側の写真である。ファイル 276-5.jpg右下の写真の左側には遠く伊豆半島があり、その左側の写真の左端にはわずかに三浦半島を望むことができる。右側中断の写真はその間の海側である。風もないこともあってか少しかすんで見えている。戦国時代には海側の防御にも神経をとがらせていたのであろう。5枚目の写真は、城を見物した後二の丸公園で開かれていた骨董とおでん祭りに出かけた写真である。なお、左上の写真は、天守の展望デッキから右を見た、つまり伊豆半島側の方向の下に見える小田原駅あたりの写真で、小田原城は駅がすぐそばで観光にうってつけの場所にあることがわかる。というわけで、練り物のかまぼこで有名な小田原のおでんをしっかりいただいて、うっとうしいニュースがテレビから聞こえる我が家に戻ることになった。

驚異の電磁パルス(EMP)攻撃によってますます安易に使われかねない核爆弾の脅威

ファイル 275-1.jpg 2017年9月3日に6回目の核実験を強行した北朝鮮は2日後の国連軍縮会議で、6回目の核実験は「米国への『贈り物』」とした上で、「無謀な挑発や圧力を続ける限り、米国はさらなる贈り物を受けることになるであろう」と警告したという。その記事が1枚目の写真である。その記事の右下には、今回の核実験の規模は、ヒロシマ型原爆の10倍を超え、水爆であった可能性もあるとのことである。
 それまでのICBMの連続発射実験や今回の実験を含め、何が北朝鮮の強気を支えているのかを示唆する記事がその一日後の読売新聞で見られた(2枚目の写真)。それによると北朝鮮は3日の核実験の中身は、「高空で爆発させて広大な地域に対する超強力な電磁パルス攻撃をできる熱核弾頭だ」と主張し、初めてその開発に言及したという。そしてその記事は、うかつにも私など全く考えてもいなかった電磁パルス(EMP, ElectroMagnetic Pulse)攻撃の実態を示すものであった。いかにその内容を少し引用しよう。
 米エネルギー省が1月に公表した報告書によれば、「EMP弾は、最高400キロメートル程度の高高度での核爆発によって生じる電磁パルスにより、人を直接殺傷したり建物を崩壊させたりせずに電気、通信、交通など社会インフラ全体を壊滅させる核攻撃だ。たった一発で甚大な被害を与え、高度に電化された先進国ほど影響を受けやすい」、という。また、2004年に米議会に専門家委員会から提出された報告書によれば、ファイル 275-2.jpg「米国全土で社会インフラが崩壊し、復旧に数年を要した場合、食糧や燃料、医薬品などの不足と衛生状態の悪化が起こると指摘。深刻な疫病と飢餓が生じる結果として『1年後には米国人の90%が死亡』」と予測しているという。とんでもない話である。日本の上空100キロで10キロトンの核爆弾が爆発した場合、ほぼ日本全域に上に述べたようなことが起こりうると考えるしかないのであろう。もはや自衛隊が持つ地対空ミサイルでどうにかなるような話ではないのであろう。
 このようなEMP攻撃に対する防御策は乏しく、米国などはかなり気を使っているようだが、上のような報告書が出るようではそれほど対策が進んでいるようには思えないし、日本や韓国などはほとんど何もないに等しいような気がする。要するにこの電磁パルス攻撃とは、先日来話題になった太陽フレアで小規模ながらオーロラが見られるかもという話だったり、通信が混乱したりGPSによる位置情報が狂ったり(事実3倍程度の誤差)、または日本の衛星が使い物にならなくなったりという話と原理的に同じである。ファイル 275-3.jpgこのブログを書き始めた時に私が住む地方では落雷があり、瞬間的に停電したが、これを防ぐにはいまだに怖い怖いと言って地中深く潜るか、鉄の塊の中に入るしか手がないのであろう。このような雷が散発するような簡単な話ではないのが面倒で、どうにもならないと言ったほうが間違いがないのでであろう。
 なお、このEMP攻撃については、短くコンパクトにまとめられた読みやすいコラムが9月8日の同じ読売新聞にある(3枚目の写真)。時間のない方はそちらをご覧ください。
 このように考えると、核爆弾は持ったほうが勝ちなのである。だから北朝鮮はそれを熱望し、中国は「北朝鮮は雑草を食ってでも核戦争の準備をする」と断言する。同時に核を持たず、幸か不幸か電子化された社会に住む我々にとっては、直接人を殺傷したり建物を壊したりしないEMP攻撃は核使用のハードルが随分下がるように思えて益々嫌な気がする。
 では、一体どうしたらよいのだろうか。こんな時代にもはや圧力一辺倒なんてありえないと思う。日本と北朝鮮の関係は小泉首相時代の短い期間を除いて圧力一辺倒しかなかったといっても過言ではない。近代日本の朝鮮半島政策を見ても朝鮮半島に住む人々の恨みは消しようがないのだろう。北朝鮮を後ろから支えてきた中国にしても同じと思う。いまや安倍内閣と自民党は「100%アメリカと共にある」という。ファイル 275-4.jpgいつからそんなことになってしまったのか。こんな政権は我々のためにはならない。
 北朝鮮を唯一制御可能な中国とのまともな関係を構築できなければ、所詮圧力を声高に叫ぶしかないであろう。同じ9月8日の読売新聞には日中国交回復45周年を前にして、元人民日報論説委員の馬立誠(マーリーチョン)氏の勇敢な意見を掲載している(4枚目の写真)。私が勇敢なと言うのは、いまの中国ではリベラルな発言者がことごとく封じ込められていることを心配するからである。彼の論文は、8日発売の中央公論10月号に「人類愛で歴史の恨みを溶かす・・・『対日関係新思考』を三たび論ず」と題して掲載されているらしい。早く手に入れて読んで勉強したいと願っている。なお、この時期に読売新聞がこの手の論文について掲載しているのは、読売新聞自体が、この現状を完全に行き詰っていると理解しているからであろう。これには最初に述べたEMP攻撃のことも関係していると感じるので、同時にこのブログの話題にした。
 なお、最後に今回の写真の質が特に悪いことをお詫びしたい。

追伸;
 中央公論10月号の馬立誠氏の論文を読んだ。氏は人類愛の基本元素について次のように述べる。「ヴォルテールが『寛容論』で語るように、人類が幸福と安楽を求めるならば、当然、寛容、温厚でなければならないのだ」。簡潔であるが、私には納得がゆく。皆さんにも是非お読みいただきたい。

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