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カムバックへの光が見えた神戸マラソン2017

ファイル 280-1.jpg 2013年の大阪マラソン以来著しい下降線をたどってきた私に久しぶりに明るい希望が見えてきたこともあり、少しばかり楽しい気分でこのブログを書く気持ちになった。この神戸マラソンは今回で3回目の参加で、幸い今年と昨年の参加は一昨年から始まったシード枠という年代別順位による参加である。私の場合には75-79歳までの参加者のうち10位までのものが翌年のシード権を得られことになっている(残念ながら参加費は自弁である)。その意味で来年も走らせてもらうためには、同じ枠に新しく入ってくる、相対的に若い人たちに負けぬように頑張らなければならない。
 一枚目の写真にあるように、今年から最後のきつい神戸大橋の後のだらだらとした部分が短縮されたのはうれしく、より気合を入れて最後の長い橋を上ることができるような気がしていた。当日の気象予報では、冷たくて強い西風が吹くとされていたが、スタート時には10.4度と意外に高く、よく晴れて風も思ったほどではなく安堵したことを覚えている。しかしスタートまでの待ち時間の寒さと走り出して風に当たった時の防寒のために二重の備えをした。私は普通のT-シャツ、短いランパンと首にバフで走る予定だったからである。ファイル 280-2.jpgまずT-シャツの上に透明の45リットルのごみ袋に頭と腕のところに穴をあけたものをかぶり、その上に百均で手に入れたフードつきで長めのレインコートを着て走った。この手のレインコートは2006年の第1回東京マラソンの時の冷たい土砂降りの雨にもすごく効果的だったことを覚えており、自信満々であった。いずれも雨に関係なく防寒具として優れている。このような防寒対策をしたのは、地図でお分かりのように10キロ近くからほとんど海辺を走り冷たい風をまともに受けることが分かっていたからである。
 2枚目3枚目の写真は、ネットタイムとラップタイムである。目標としていたのはキロ6分30秒で、できるだけ安定したペースで走ることであった。この目標はうれしいことにほぼ35キロまでは達成されているとみてよいであろう。しかし、実際問題としては10キロを過ぎたあたりから強く冷たい西風の向かい風に会い、かなり消耗を余儀なくされた。しかし、20キロあたりで折り返した後はその風が追い風と変わり、それから約10キロの間ではそれに助けられたような気がしている。しかし全体としてみれば、元気のある時の向かい風に苦しみながらも、疲れてきてからの追い風でむしろ助けられたことの方が多かったようにも思えた。
 防寒対策は十分に機能し、走り出してすぐに体があたたまってきたので5キロでレインコートを給水所で捨て、折り返して25キロあたりでゴミ袋を捨てた。ファイル 280-3.jpgそれでも最後までいつものように体に水をかける必要もないほど寒い一日であったことは間違いなかった。
 しかし、42キロは長く厳しい。当然のように30キロ過ぎからじりじりと疲労が表れ始め、35キロからはキロ当たり10~20秒ずつラップを落とし始めてしまった。40キロあたりからの神戸大橋ではその疲れは最大となったが、しかしそれを越したところにはゴールが待ち構えていると信じて最後まで歩くこももなく、走りきることができた。私のゼッケンには名前が大きく書かれており、35キロ過ぎあたりからは市民の皆さんの必死とも思える名前での呼びかけが続き、神戸大橋を走り終えてからゴールまでの間ではそれが最高潮に達した。もちろん目頭は熱くなり、そしてそれに支えられつつ最後まで歩くことなくゴールできた。そして、いつものように“あ~ぁ、おわったんだ”と幸せな気分がわいてきた。
 4枚目の写真は、私のGPS時計、Garmin Forerunner 225、に記録されたデータの一部分である。ピンク色は心拍数でいつものように走りはじめの1キロ前後は180前後の高い数値となるが、それ以降は落ち着き、後半36キロあたりからスピードが落ち始めると心拍数も下がるといういつもの状態が表れている。これは安全な証拠である。また黄色はペースを表しており、2か所のペースダウンのピークはふくらはぎ防御のレックカバーが下がってしまってので止まって引っ張り上げた時と、初めてのことだがシューズの紐がほどけたので締め直しなおしたときのものである。ファイル 280-4.jpg終盤のダウンは給水所でのゆっくりした給水行動が表れている。緑色は標高差を表しており、終盤の大きなピークのほかに全体に細かいアップダウンが多くあることがわかる。
 今回のマラソンでは全体としていい状態で走れたように思っている。その最大の原因は、NHKBS1「ランスマ」でも紹介された“ガチユル走法”と呼ばれるトレーニング法の導入のような気がする。それは、まず1キロを全力で走って3分休み、その後また1キロを全力で走り、その後休むことなく遅いペースに切り替えておよそ8キロ走る(私は10キロ)というトレーニングである。これを週2回ほど組み入れるのである。これをやり始めてから、5キロくらい過ぎてから楽に走れるような感覚があった。やはり、何らかの効果があり、脂肪燃焼が進んでいる可能性がある。それもあってか今回のレース前とレース中にはあまり炭水化物の補給に神経を使うことはなかったし、体も要求しなかったように思う。今年の結果は、まだ正式通知はないが、75-79歳での年代別順位は完走者30名中危うく10位だったようである。神戸マラソン当局の方針が変わらなければ次回もシードされる可能性はあるが、このままではその次はないと思わざるを得ない。
 今年は前年の神戸マラソンに比べて2分、今年冬2月の京都マラソンより6分のタイム短縮を果たすことができた。もちろん、毎年体と頭の衰えは十分自覚できているが、さらなる努力をして生き生きと毎日を過ごせるように心掛けたい。

富士山の見え方から大和市の位置が理解・実感できてくる

ファイル 279-1.jpg 大阪から引っ越してきたこの神奈川県大和市。そろそろ3年近くになるが、相変わらずよくイメージできず方角やあらゆるものの位置関係がしっくりくることがなく、気軽に車に乗って出歩く気になれない。そんなことはこちらに来た当初から感じており、それは最初の東西南北認識の間違いから生じていると思っている。それをなんとか乗り切る助けになればと、私が住む相模原台地の構造的な視点についてブログも書いた(http://www.unique-runner.com/blog/diary.cgi?no=254 )。また、昨年冬には思いがけずここから見える西の丹沢山地の上にわずかに富士山が顔を見せているのを発見して驚き、そのブログも書いた(http://www.unique-runner.com/blog/diary.cgi?no=258 )。今回はその続編である。
 実は私は一応病人である。3か月に一回は小田急江ノ島線と横浜地下鉄ブルーラインを乗り継いで1時間のところにある横浜市立大学医学部の病院に検査にうかがう。もう何が起こっても不思議でない年齢であるから当然のことであろう。先週の水曜日朝早く快晴の冷たい空気の中、小田急に乗って出かけた。しばらく、およそ20分くらいだったかぼ~と進行方向の右側の西の窓の外を眺めていて驚いた。なんと沿線の建物の間にちらちらと雪をかぶった富士山のようなものが見えた。もう何度となく乗る江ノ島線である。その光景は桜ヶ丘駅からファイル 279-2.jpg長後駅まで続いていたように感じた。
 どうしてもそれを確認したくなり、5日後の12月4日の朝車に乗って高座渋谷駅(大和市南部)まで南に下りそこで車を預け、駅の西側に出て見晴らしの良いところを探し回った。そして幸い駅西口から歩いて10分ほどのところで視界が広がり富士山が見えるポイントを探し当てることができた。1枚目の組み写真の上の部分がその写真で、思った通り右側に頂上がとがっている大山(標高1252m)が映っている。前回私が中央林間周辺で撮影し、掲載した写真では(上のURLを参照)、すべて大山は富士山の左側に位置していて、富士山の東側(筆者から見て手前側)には大山を含む丹沢山地が立ちはだかっていて富士山の頂上部分以外を見えなくしている。
 1枚目の組み写真の下の部分は東京から見た富士山の様子をかなり詳細に示した写真集の一部を引用させていただいたもので、東京国際空港(羽田空港)のかなり高い位置から長い望遠レンズで撮影した写真のようである(http://yamao.lolipop.jp/fuji/tokyo/fuji.htm )。ファイル 279-3.jpgその位置は前回の私の撮影位置よりまだ北側にあり、当然のように大山は富士山の左側に映っている。東京からの写真の注は次のように言う。「(富士山は)大山と塔ノ岳の間。(富士山の)左稜線は大山の稜線の延長線上にあるかのよう。宝永山が大山の真上。」 宝永山とは1707年の大噴火によってできた側火山で、東側から見て左稜線のこぶとして見える。
 神奈川県のホームページに丹沢山地とその周囲との位置関係を簡潔に表現した一文がある(http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f48/p4878.html )。「丹沢山地は、神奈川県の北西部に位置し、県土面積の約6分の1を占める40000ヘクタール余りの一大山塊です。北は道志川を隔てて道志山地と向かいあい、西は富士五湖地域に接し、南西は酒匂川を挟んで足柄山地と向かいあっています。南東では秦野盆地に接し、東は愛甲台地から相模平野に連なっています。最高地点は1673メートルを誇る蛭ヶ岳山頂で、ほかに1500メートルを超える山は、丹沢山、檜洞丸など9座を数えます。また、丹沢山地の東端に位置する大山(標高1252メートル)は、ファイル 279-4.jpg古くから信仰の対象として最も親しまれてきました。そのために山地の呼び名として、しばしば「丹沢大山」という表現も使われています。」
 つまりは、大山の左稜線を下っていくとそこは秦野盆地を経て足柄山地と向かい合うことになるが、その辺りには相模原台地側から富士山への視界を妨げる高い山々はないと思われる。その空間こそが日本の西と東の交通の要衝になってきたことになる。2枚目からの3枚の富士山の写真はそのことを示している(3枚目と4枚目の組み写真はよく似た写真です。ご容赦ください)。残念なことに撮影当日は強く霞がかかっており、頂上付近が雪に覆われている富士山がよりはっきりと見えるように画像処理をしたことをお伝えしておきたい。したがって、もしより精細で美しい写真が手に入るようなことがあれば、このあたりの写真を差し替えることをお許し願いたい。(実は、ここに掲載した1-4枚目の写真は後日(12月11日)に高座渋谷に三度目の足を運んで撮影し直したものである。)
 今回の観察のために高座渋谷に来て新発見があった(5枚目の写真)。それは、なんと言うこともないが、今回の撮影ポイントのそばを新幹線が東西に走り抜けていたことである。ファイル 279-5.jpg新幹線の路線は掘割式になっていて、住民のための狭い跨線橋には高い目の細かい網が作られていた。でも、かまわずその隙間から上り(右側)と下り(左側)の写真を撮影した。高速で突っ走っている新幹線を撮ったのは初めてのことであった。(4枚目の組み写真の右下の写真は新幹線の線路を渡った側からの写真で、架線の構造物が見える)。
 今回のように自分が住む地域について様々な偶然の機会を生かして観察し、また調べることを通して関心を深めることを何度か繰り返してきた。これまでの私にはなかったことで、遅まきながら自らの見識が広げられてゆくのを感じている。それはそれでうれしい。

追伸:最初の写真は霞がかかってみられるような写真にするのに苦労をした。しかし、どうしても自然ではないので後日また高座渋谷に出向き撮影した。今掲載している写真のほとんどは撮影し直したものである。

少年や女性たちの加入でアンプティサッカーはさらに拡がりつつある

ファイル 278-1.jpg 昨年、大いに感動した下肢や上肢に障害を持つ人たちのサッカー、いわゆるアンプティサッカーの第7回アンプティサッカー日本選手権を今年もまた観戦する機会に恵まれることになった。なお今年の観戦記を書く前に、このサッカーの成り立ちやルールなどの基本的な情報は昨年書いたブログ“アンプティサッカー(Amputee Soccer)、その凄さを知る”(http://www.unique-runner.com/blog/diary.cgi?no=253 )にかいてあるので、ぜひそれをご覧いただきたい。
 1枚目の写真は、大会のパンフレットの写真と観客席に立ち並んでいた旗、それにこのアンプティサッカー協会に多大な貢献をされているセルジオ越後氏の閉会式での挨拶と彼の穏やかな表情の写真である。
 さて、今年は日曜日に会場の富士通スタジアム川崎に訪れたからかもしれないが、ファイル 278-2.jpgバックスタンドにまで多くの観客の姿を見ることができ、大きな広がりを肌で感じうれしい限りであった。とにかく、できるだけ写真で今回の観戦記を書いてゆきたいと思う。
 前回も書いたが、松葉杖、すなわちクラッチを巧みに使っての攻防は、スローインの代わりにキックインを使うルールの影響もあってかゴール前の闘いが激しい。そのシーンの写真を数枚掲載した。それが2枚目3枚目の写真に表れている。3枚目の写真を少し解説すると、右上は強烈なシュートのキーパーによるパンチング、右下は少年選手が左サイドに入ってきてゴール前にボールをあげたいのだが、キックする脚は右足なので非常に苦しいのがよくわかる。また、左上の写真は左側からの8番の選手の強烈なシュートだったのだが、そのシュートを打った選手を拡大したのがその下の写真である。要するに、キックするときには完全に上半身が宙に浮くことになり、その時体を支えるのは2本のクラッチであることがよくわかる。ファイル 278-3.jpgこのようにクラッチをいかにうまく操るかがスピードあるランニングやドリブル、そしてシュートのカギを握っているように感じる。
 4枚目の写真は決勝戦、東京都のFCアウボラーダ vs 大分市のFC九州バイラオールの戦いの様子である。聞くところによれば今回を含めてこの同じ組み合わせの決勝戦が4年連続で続いているようで、強豪同士の戦いが予想されたがその通りであった。左上は決勝戦の前に関係者から激励を受ける選手たち、その右の2枚はゴール前での戦いである。前半1点を先行したFC九州が押し切るかと思われたが終盤に追いつかれて延長戦となった。延長戦でもつばぜり合いは続き、逆に先行したFCアウボラーダだったが終了直前にFC九州チームが追いつきPK戦に突入した。しかし、信じられない強烈なシュート合戦が続いてなかなか決着がつかなかったが、やっと6人目(おぼろげだが)にFCアウボラーダが外し遂に決着がついた。右の真ん中はPK戦の様子、ファイル 278-4.jpgそして右下は最後のシュートが決まって歓声を上げて飛び出している白いユニフォームのFC九州、そして抱き合って喜ぶ選手たちの姿が左下の大きい写真である。
 5枚目の写真は優勝チームの写真を真ん中に、さらに左上にはもっとも私の印象に残り、最優秀選手(間違いないと思いますが)のFC九州バイラオールの萱島比呂選手の写真である。今年6月ポーランドで行われた第6回Amp Futbol Cup 2017で日本は3位となり、萱島選手は最優秀選手賞を受けた世界のトップ選手である。そのドリブルのスピードやシュート力、そしてゲームコントロールには驚かされた。もちろん、それ以外にも多くの優れた選手が見られ、中でも活発なコーチングや正確極まりないゴールキックを蹴るFC九州のキーパーはすごく印象的であった。
 そのような優秀な選手とは別にこの大会を盛り上げたのは多くの少年や女性の参加だったようだ。ファイル 278-5.jpg閉会式では関係者の皆さんがこぞってそのことに言及したのは印象的で、写真に撮れていた皆さんはできるだけこの5枚目の写真に入れようと努めた。新しい世代と女性の参加はこれからのアンプティサッカーの未来に明るい光をもたらすと確信する。また来年が楽しみである。

追記:
 書き忘れていたことがあった。それは、アンプティサッカーにはサッカー好きの子供や女性たちも参加し始めており、下肢を失うなどをした彼らにとってアンプティサッカーの存在はどれほど希望に満ちた未来を約束するだろうかと伝えたかったことである。

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