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これほどひどい年はないと思われた2022年の最後に、素敵なサンタさんがやってきた!

  • 2022/12/31 21:45

 三年目の今年も相変わらず新型コロナウイルスが蔓延し、鬱陶しい年の初めにそれに輪をかけるように、ロシアのプーチン大統領がウクライナ侵攻の脅しをかけてきた。それが2月24日に爆発し、2週間もすれば部分的にせよ制圧できるとプーチンが豪語する中、なんとそれから10か月たってもどうにもならない暗い日々が続いている。そのことを引き金にして世界中でインフレが加速し、膨大な数の人たちが食糧難にあえぎ、にっちもさっちもいかない、貧困と世界各国の分裂が引き起こされてしまった。いかにプーチンが侵略せざるを得ない瀬戸際に追い込まれたといえども、その混乱が目に見えるような醜い形への引き金を引いたプーチン大統領は、戦争犯罪に値するのであろう。
 一方、国内では政治の貧困が絶え間なく続いている。新しく発足した岸田内閣は、首相が聞く耳を持つと豪語してみてもその効果を発揮することはできず、8月の内閣改造以来4人もの閣僚の交代に追い込まれでしまった。もちろんこの過程では安倍元首相の暗殺事件に見舞われ、かっての新興宗教団体による問題にも巻き込まれることになった。その結果、岸田内閣の支持率は30%台に低迷し、無気力な政治に終始していると感じられる。そんな状況に悪乗りするかのようにかっての”専守防衛”という軍事体制から”反撃能力”を持つ攻撃的なニュアンスをちらつかせる軍事強国への道を歩み始めた。これらをひっくるめて言えば、世界的にも国内的にもお先真っ暗闇の状況と言って間違いではなかろう。

 今年はカタールでのサッカーワールドカップの年であった。その時が来てそうだったな~と思わず新聞の番組表を見る状況であった。しかし、しかしだ、相手はワールドカップを何度も取ったような、ただ国名を聞いただけでちょっと勝てそうもないとすぐ分かるドイツとスペイン、それに中米の強豪コスタリカであった。だから、ほとんどの解説者の予想はコスタリカには頑張って勝ってもらって、ドイツとスペインには一つ勝てれば最高でできれば引き分けをとりたいとの予想がうれしい程度であった。というわけで、それほど盛り上がるという感じではなかったように思う。

 しかし、その後の展開は全く予想とは異なり、存分に報道されているので皆さんはすでによくご存じのはずで、ドイツとスペインに逆転勝ち、コスタリカには敗戦であったが死の組と言われたグループEを首位突破することになった。さらに決勝トーナメントではワールドカップを争うレベルのクロアチアとよもやの1-1で延長の末PK戦となり、無念ではあったが当初からの目標であったベスト8に潜り込むことはかなわなかった。

 そのような結果をもたらしたサッカーの技術的な話については専門家に任せるとして、それとは別にとても印象に残ったのは選手やサポーターの振る舞いであった。数年前から、あるいはもっと前からかもしれないが、サポーターの皆さんはゲームが終了した後に勝敗にかかわらずスタンドのごみ集めをするという習慣である。この習慣あるいは風習は近年他の国のサポーターにも広がりつつあり、うれしい限りである。日本選手はロッカールームを使用後にはきれいにし、美しい折り鶴を置いて出るのも確かである。それはただスタンドをきれいにするというだけではなく、使用させていただいたスタンド、ロッカールーム、ピッチに対する感謝の念の表現である。
 私は野球少年であったが、ゲームが始まるとき、終わるときにはプレートを挟んで相手チームと向き合って挨拶する習慣はアメリカにはないが日本にはある。日本の野球選手は最近多数アメリカでプレーするようになっている。しかし、彼らはベンチでひまわりの種を食べでもごみを吐き出すことはしない。食べるときには紙コップをもってそれに入れてごみ箱に捨てるのである。大谷翔平選手などはグランドのゴミを拾う習慣を見せている。同様に日本のスポーツ選手はプレーする場に入るとき、またそこから退去するときにはおおむねそれぞれ頭を下げるのが習慣である。また食事に際しても程度の差こそあれいただきますと言いながら食事を始めるのが普通である。

 私たち日本人のこのような行動は、多かれ少なかれ私たちの回りにあるものへの感謝であり敬意であろうと私は思う。そのようなことを頭に置いて、森保監督は遠い日本から来て、さらに負けてもゴミ拾いをしてくれたサポーターに対して感謝と敬意を表すために一人でサポーターの前に来て深々と挨拶されたのだろうと思う(ロイター)。理屈なしにその行為は美しいと思う。そのことをこれからも考えていきたい。これが思いがけないサンタさんであった。一つ想い出すことがある。それはまだ小さな子供たちと食事を共にするとき、時々私は次のようなことを子供たちに言っていた。「お肉もお米もみんな私たちのために食べられてるんだから、沢山しっかり食べようね」

北京パラリンピック2022は『平和の旗の下に』では終われなかった

  • 2022/03/19 16:44

 国連で決議されたオリンピック・パラリンピック期間中の「休戦協定」はロシアによって破られたが、幸いにもロシアのウクライナ侵略下に行われ続けた北京パラリンピック2022は3月13日に終了した(1枚目の写真、読売新聞3月14日。しかしやはり最後まで厳しい雰囲気の中でゲームは行われた。ロシアによる侵略下にウクライナを脱出したウクライナ選手団はぎりぎり北京に到達したと伝えられてきた。そんな苦境の中に北京にやってきた選手団は、20人の選手で金メダル11個、そして計29個のメダルを獲得する大活躍であった。もちろん、これまでの最高の成績で、いかにこの苦境に耐え忍び、戦火にあえぐ国民への援護射撃を意識した活躍であったのだろうと推測される

 そんなウクライナ選手団の頑張りや日本選手団をはじめとするすべての参加者の活躍とは別に、このパラリンピック中もウクライナに侵攻し続けたロシアとあからさまにロシアを援助したベラルーシュの選手団は、国際パラリンピック委員会(IPC)によって急遽出場を拒否されることになった。これについては様々な意見はあるが、IPC委員会のパーソンズ会長は、ウクライナで交戦している当事国の選手同士がこの大会で戦うのは極めて危険で、大会中の選手間の紛争を避けることは大変難しいとして出場を許さなかった。

 そのような雰囲気での今回の冬季パラリンピックは、最後までスポーツとはなんであるかを問いかけることから離れることは許されなかったのである。それを体現したIPCのパーソンズ会長が、開会式においてウクライナ情勢を念頭に置き、大声で”PEACE”と叫んだのを沢山の方は覚えておられるであろう。しかしそのスピーチの一部は同時通訳されなかったとの問題が発生した(中国中央テレビ、CCTV)。同様のトラブルは閉会式においてもパーソンズ会長のスピーチの一部で発生した。選手らを「平和の闘士」とたたえた部分は全く翻訳しなかったし、ほかの部分でも言葉を言い換えるなどの問題があったという(2枚目の写真、読売新聞3月14日)。

 ロシアは明らかに中国の同盟国である。しかし、だからと言ってなりふり構わず中国がロシアの片棒を担いでいては、世界平和にかかわる様々な局面においてまっとうな対応をして有意義な貢献をするチャンスを失うことになる。それは中国のためばかりではなく、世界のためにならないことは言うまでもない。そのあたりのことをよく考えて振舞っていただきたいものである。
 実は、3月14日にロシア国営の「第一チャンネル」でのニュースの放送中に、「戦争をやめて」、「プロパガンダを信じないで」などと書かれた紙を掲げた女性スタッフがスタジオに表れ、テレビに映る場面があった。女性が「戦争をやめて」と繰り返し叫んだところで画面は別の映像に切り替わり、女性はその場で拘束されたという(3枚目の写真、読売新聞3月15日)。このように国営テレビの中心でこのようなことが起こるのはこれまでなかったことで、我々から見れば衝撃的に見える。最近ロシア国内からは微妙な不協和音が聞こえ始めていると感じている。こうゆう時であるからこそ、ロシアと話の出来る中国などが適切なふるまいをすることが両国にとってはもちろんのこと世界にとっても大切なことのように思われる。多数の人命を奪いながらの勝手なふるまいは許されない。さもなければ、きっとどこかの局面で大きなしっぺ返しに見舞われるはずである。

『覚悟』、そこには新しい未来を切り開く力が潜んでいる

  • 2022/03/17 21:43

 昨年、覚悟を決めてアメリカにわたって4年目になっていたメジャーリーガー大谷翔平が、投手としてはもちろん打者としても驚くべき成績を残してMVPを獲得したのは記憶に新しい(関連写真は2枚目の写真、読売新聞3月15日)。このように才能を極めて高いレベルで異なる二つの方向に発揮することを二刀流と呼ぶが、例えば野球の世界においてそう呼べる人はアメリカではベーブルース、日本では川上哲治、そして関根潤三などが私の頭に浮かぶが、いずれも最終的には打者としての活躍が評価されたように思う。なぜそうなるかは定かではないが、野球が盛んになり多くの若者が活躍するようになり、また各ポジションの特殊性が強調されるようになると、投手や野手として特出した才能を発揮する選手が現れやすくなる。そしてプロ球団としてもそのような選手を活躍させた方がコスト・パフォーマンスが良いと考えるようになったためと思われる。これはいわゆる社会や産業の近代化、あるいは細分化の流れに沿って引き起こされた例で、個人が持つ多彩な才能が必ずしも十分に引き出されるのではなく、逆に優れた才能がどんどん押しつぶされてゆく例と考えても良いのであろう。いまの時代はそうゆう方向に機能していると考えたほうがよいと思われる。

 ひとつ私の記憶に残る例を挙げてみよう。かってアメリカ・スタンフォード大学に当時カレッジフットボールの司令塔のQBとして全米屈指のジョン・エルウェイという選手がいた。彼は確か3年時のアメリカ・メジャーリーグのドラフトでヤンキースから指名されるほどの野球もできる二刀流選手であった(プロでのプレー経験もあった)。しかし彼は最終学年のフットボールリーグのドラフトでコルツに指名されたが拒否し、最終的には駄々をこねてデンバー・ブロンコスに入ることになった。結果としてはそれが彼にとっては成功でいまでもそのチームの重鎮である。でも、もし物理的にプレーできることが可能であったとすれば、十分に二刀流選手として活躍できたかもしれず、私から見れば極めて残念至極であった。

 一枚目の写真をご覧ください、北京パラリンピック2022で活躍した選手の写真である(読売新聞3月14日夕刊)。特に強調されているのは、アルペンスキー女子スーパー複合(座位)で軽快に滑走する村岡桃佳選手やスーパー大回転や滑走で2個の銅メダルを獲得した森井大樹選手である。彼女は5種類のレースに出場して金メダル3個と銀メダル1個を獲得したが、実は昨年の東京2020パラリンピックに出場しており、なんと陸上100m車いす(T54)で6位に入賞していた。村岡選手はこのレースに出場するために厳しい練習に耐え、おおいに体幹を鍛えたようで、それによって雪上での滑走における安定感を獲得したとされ、森井選手の場合も同様らしい。いずれも「二兎を追うもの一兎をも得ず」とのネガティブな言い分に抗して新しい世界を開いたのである。そこには強い覚悟を持って臨んだのであろう。
 村岡選手をはじめとする障害者スポーツ選手のトレーニングの厳しさと多彩なことは枚挙にいとまがない。そのトレーニング効果の科学的解明からは、思いがけない発見が満ち溢れているようで、私たちの身体に潜んでいる可能性をこれまでとは別の角度から導き出せるかもしれないのである。これも新しい二刀流への挑戦からの成果であろう(http://www.unique-runner.com/blog/index.php/view/333 )。

  二枚目の写真が載っている読売新聞の同じページに編集委員の近藤雄二氏がコラム「フリーラン」に「覚悟」のことを書いている。この私の記事もそれの真似である。そこにはいま悲劇的な瞬間を生きているウクライナの国民と、そこから北京パラリンピックにきっと必死の思いで参加したであろう選手たちのことを書いている。いっそのこと、その文章の一部を書いた方が良いと思うようになってきた。以下コピペである。

 「『レースが始まっても家族や親戚のことを考えていた』『金メダルは犠牲になった子供たちとその母、すべてのウクライナ児へのプレゼント』『胸が引き裂かれる思い』『戦争をやめて』 選手たちが残した言葉には、戦火の故郷を案じながら目前の戦いに挑んだ、悲痛な心の『二刀流』の覚悟がにじんだ。その中で同国史上最多の金11個。鋼の気構えに圧倒される。彼らの奮闘が故郷の光となったこと、そして、困難が予想される帰路の無事を、心から祈る」
 彼ら選手団は20名で構成され、メダル29個をえぐりとったのである。これを書いた近藤雄二氏は、このコラムに「ウクライナ選手 鋼の心」とのタイトルを付けていた。

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