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2011年12月21日の記事は以下のとおりです。

「東日本大震災」 (7 )「安全神話」と「原子力村」

  • 2011/12/21 22:19

 原子力発電所は決して大都市近郊に作られないにもかかわらず、地方に多数作られたのは、それが「安全神話」に護られていたからである。「事故を起こすはずはない」との「安全神話」はどこから出てくるのかは、誰も語ることはなかった。マスメディアも事故の報道はするがそれに切り込んでくることはなかった。きっとそれはタブーだったからだろう。しかし、面白いことにマスメディアではあるが、しかし読売新聞でも朝日新聞でも毎日新聞でもない東京新聞が面白い記事を書いた(1枚目に皆さんがあまり見ることのない東京新聞の1面の体裁をお見せする)。
 それは4月9日のことだった。それを書いた新聞は東京新聞で、元はといえば中日新聞だったのである。そして、驚いたことに、それを書いた記者は私の友人だった。私はその記事を見て驚いた。そこには、「安全神話」を生み出し、原発建設を促進させた「原子力村」の存在が、京都大学原子炉実験所の小出裕章助教(旧・助手)によって赤裸々に語られていたのである。聞くところによると、この記事を表に出すことについては書いた本人も新聞社としても大いに議論しなければならなかったというほど重い課題だったのである(2枚目と3枚目の写真)。
 今回の記事に書かれていることをまとめると次のようなことである。①その時点ではまだ十分に冷却が出来ておらず、冷却が最大の課題であること。放水などによる冷却は綱渡りではあるがそれなりの効果があり、冷却が進んでいることは事実であり、メルトダウンは進んではいるが、完全なメルトダウンの確率は徐々に下がりつつある。②最も危険なことは小規模な水素爆発ではなく、燃料棒の溶融が進んでメルトダウンを起こし、水と反応して水蒸気爆発を起こすことである。それが起これば燃料棒の放射性物質がチリやガスになって飛散し、チェルノブイリ事故の場合のように200-300キロにわたって大規模な汚染を引き起こることになる。③炉心溶融によって再臨界の可能性も存在する。
 また、原子力村については次のように言う。④原発は造れば造るほどもうかるようになっていて、その建設費は電気料金に上乗せできる。それに大手電機メーカーや建設業者が群がってどんどん作られるようになった。さらに、それにお墨付きを与えたのが大学の研究者などで、研究に必要なお金が得られやすいことと地位への欲望などがこの「産官学」共同体への参加を促進し、それが原発の「安全神話」を作り出したという。ちなみに、小出氏は61歳のいまもいまだに昇進できず助教のままである。
 この産官学共同体のような存在は、特に原子力分野の研究にのみ存在するものではなく、私たちの研究分野でも同様に存在した。そして同様の功罪を持っているが、いったん事故を起こせば人命を含めた大惨事を引き起こす原子力問題にかかわることの社会的責任の自覚が、原子力研究者には不足しているといってよい。
 最後に放射線障害について小出氏は、⑤その判断基準については厳密であるべきだと述べ、さらにもっと情報公開に努めるべきだと述べている。それに私も同感であるが、私はその都度その都度情報をどこまで公開するかについての判断はあってよいと考えている。また、小出氏は、「原発はばかげた物」と述べているが、私はこれから減らしてゆくべきものと考える。そのことが再生可能エネルギーの開発意欲を刺激し、必要な電力供給を可能にすると信じるとともに、大量のエネルギー依存型の生活様式の変更も必要になるのであろう。しかし、原子力についての技術開発、あるいは原子力科学の研究をどのように維持してゆくかについては別の議論が必要であると考えている。
 最後に、このような刺激的な内容を発表してくれた新聞社に感謝し、その記事を書いてくれた記者が私の知人であったことをうれしく、そして誇りに思う。

追記:今朝、12月22日読売新聞朝刊を見ていたら面白い記事があった。それは、英科学誌ネイチャーが「科学に影響を与えた今年の10人」に東京大学アイソトープ総合センター長・児玉龍彦氏を選んだという記事であった。彼は今年今年の7月27日衆院厚労委員会に出席して、重要な証言を行い、その中で今回の原発事故によって広島型原爆の29.6個分(熱量)20個分(ウラン)が放出されたことを計算で示し、福島第一原発事故の対応について政府と政治家を激しく批判し、また相馬市などで放射線の測定法やホットスポットの発見法などを関係者に指導していることで知られている。その記事はまさに記憶に残る人物であるとした。私も同感である。

「東日本大震災」 (6 )炉心溶融と「チャイナ・シンドローム」

  • 2011/12/21 11:53

 前回の(5)までは新聞写真の連続的な掲載を行ってきたがそれは前回限りとし、今回からは記事に必要な写真だけを掲載したい。

 さて、この原発事故で何が一番心配されていたかといえば、それは核燃料の状態であろう。このシリーズの最初(2)の記事でも早くから炉心損傷あるいは溶融が懸念されており、3月29日の報道によれば原発敷地内の土壌から微量のプルトニウムが検出されていた。しかし、東電や政府はそのことを認めては来なかった。ところが保安院は4月12日、これまでスリーマイルアイランド事故の「レベル6」としてきたのを修正して、大量の放射能放出を理由に福島原発事故はチェルノブイリ事故と同等で最悪の「レベル7」と認定したと発表した。そしてさらに5月13日東電は、1号機は「炉心溶融」しているとし、一般の予想通り圧力容器の底に穴が開き、そこから漏水していると発表した。
 さらに今月12月1日の読売新聞の報道によれば、「東京電力は11月30日、事故を起こした福島第一原子力発電所1~3号機について、原子炉の温度や水位などのデータを基に炉心の状況を解析した結果を発表した。1号機では最悪の場合、約68トンの核燃料ほぼすべてが溶けて圧力容器を突き抜け、格納容器の底まで落下して堆積した恐れがあるとした。2号機では燃料の最大57%、3号機では63%が落下した可能性があるという。解析は、燃料の冷却状態を把握し、事故終息を目指す工程表で上げた『冷温停止状態』の達成を判断するため実施。」と報道された。
 その報道によれば、「1号機が最も厳しい結果となったのは、3月の事故直後に原子炉への注水が14時間中断したのが原因だ。2,3号機では中断は6~7時間だった。燃料は一時、3000度近い高温に達して溶融した。鋼鉄製の圧力容器の底に穴が開いただけではなく、格納容器のコンクリートの床も最大65センチ浸食されたと推定した。床が最も薄くなった部分では、外側の鉄板までの残りの厚さは37センチしかなかった。」のである。
 あと37センチを突き抜ければ、いわゆる「チャイナ・シンドローム」である。それは有名になったアメリカ映画で、監督ジェームズ・ブリッジス、出演ジェーン・フォンダ、ジャック・レモン、マイケル・ダグラスで1979年に公開された。この映画についてWikipediaは次のように言う。
 「原発事故を描いたサスペンス映画。原発の取材中に事故に遭遇し、真実を伝えようとする女性リポーター、ずさんな管理に気づき事故を防ぐために命を懸ける原発管理者、不祥事を揉み消そうとする利益優先の経営者といった人物たちの対立を描く。タイトルを直訳すると「中国症候群」で、映画の中での台詞から採られた。もし、アメリカの原子力発電所がメルトダウンを起こしたとしたら、地球を突き抜けて中国まで熔けていってしまうのではないか、というものである。
 この映画が公開されたのは1979年3月16日であるが、それからわずか12日後の1979年3月28日に、ペンシルベニア州のスリーマイル島原子力発電所で本当の原子力事故であるスリーマイル島原子力発電所事故が起きた。この事故もあり、映画は大ヒットを記録することとなり、それまで医学用語としてしか使われていなかった「シンドローム」(症候群)という言葉が、他の言葉と組み合わさり、「 - シンドローム」という形で社会現象などを表す言葉としてしばしば使われるようになった」。5枚目の写真は、その映画のタイトル画面の一部である。
 今回の福島原発事故は、その処理を一歩誤ればチャイナ・シンドローム状態に、それは誇張としても何百トンという大量の核燃料とプルトニウムが広く国内外に放出され、取り返しのつかない世界的な大惨事となったことは確実である。国土の狭い日本は、その生きるすべと場所を奪われたのかもしれない。その意味で、よくぞここまで持ってきてくれた(12月16日、「冷温停止状態」宣言)と思うと、評判は良くないが、少なくともその処置を最終的には誤らなかった原発関係者や政府関係者にねぎらいの言葉をかけねばならないであろう。口汚くののしるしか能のない野党やメディアにつける薬はない。

「東日本大震災」 (5 )大量の汚染水と広範囲の環境汚染発生

  • 2011/12/21 09:30

 このシリーズでは、3月11日の大地震と津波発生、それにつづく福島原発事故の様子を一応時間経過を追って知ることが出来るように、3月12日からの読売新聞一面の写真を連続に掲載している。

 前回までに書いたように、とにかく正確に冷却水が必要な場所に入るかどうかはともかく自衛隊ヘリコプターや警視庁機動隊、東京そして後には大阪からの消防隊による昼夜を分かたぬ放水が行われた。その後、新聞の写真でもわかる通り、新たな電源を復旧し、新たなポンプや制御室にも配電され、放水によらない冷却と当時の制御室での出来事が確認できるようになってきた。
 しかし、それまでの大量の放水の水は一体どこに行ったのか誰もが不思議に思ったことであるが、それは高濃度の放射性物質に汚染された水として4つの建屋の地下に溜まり続けたのである。そのことは、放射性物質が爆発という現象によって空気中に放出されただけではなく、なんらかの原因、例えば爆発によっておこった圧力容器や格納容器の破損で大量の放射性物質が建屋内に漏れ出し、それが放水された水に溶け、あるいはそれに混じって建屋の地下に大量の汚染水として溜まり続けたのである。
 この汚染水は地下のコンクリート壁の割れ目から海へ流れ出していることも発見され、その高い放射能のため緊急の防止策が講じられ、数日中に防止された。その後この高濃度汚染水を除染して廃棄するための巨大な装置がアメリカ、フランスそして後に日本側の企業によって製作され、何度もトラブルに見舞われながらなんとか除染を進めながら地下汚染水を処理しつつある。しかし、結果としてわかってきたことは、大量の地下水が流入しており、放水なくしても大量の汚染水が発生し続ける難題が明らかになってきたのである。現在、除染し溜まり続ける水の処理が問題となっている。東電としては海に流したいのであるが、沿岸漁師は海の汚染につながるとして強硬に反対している。はたして増え続ける処理水はどこに行くのであろうか。
 それはともかく、このような汚染は建屋地下の汚染水としてだけではなく、福島第一原発から20-30キロ圏内だけではなく、広く関東一円、また静岡県辺りまで拡大していることが徐々に明らかになってきた。最初は東京都浄水場の汚染として明らかになり、その後牛乳、野菜、そして静岡県では茶葉からも放射能が検出され、どこまで広がるのか懸念されている。秋の収穫時期を迎えた福島県では、当初一定程度のサンプル調査では発見できなかったコメの汚染が山に近い田圃からの収穫米で検出され、広く山が汚染されていることが推定されることとなった。また、原発爆発同時戸外に積みおかれた稲わらを食べさせた牛からも汚染が検出され、食品への汚染チェックが愁眉の急となってきた。
 さらに、食品汚染だけではなく、福島から200キロ以上離れた東京近郊でも、爆発で放出された放射性物質が風で運ばれ、雨水によって地上に落ち、それが流れて集まる水路などの場所にかなり高い放射能が検出されることが多くなり、いわゆるホットスポットとして発見され続けている。今後、原発近くの町や村から、さらには都市に至るまで広い範囲で除染が国の責任において行われるようであるが、いまそのための実験的除染が各地で行われつつある。新しい方法の開発が必要であろう。

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