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2012年08月21日の記事は以下のとおりです。

この“うっとうしい”問題はいつまで続くのか?

  • 2012/08/21 11:27

 ロンドンオリンピックの男子サッカー(U-23)の三位決定戦で韓国と戦うその前日の8月10日、韓国の李明博大統領は韓国が自国領土とする独島(日本名 竹島、島根県)に大統領として初めて上陸した。そのうっとうしい気分の中で行われた日本対韓国戦は、案じたように0-2で韓国に敗れ、44年ぶりのメダル獲得はならなかった(http://www.unique-runner.com/blog/index.php/view/161 )。そのときの映像で私は気が付かなかったが、勝利した韓国のMFが「独島は我が領土」と書いた紙を掲げてピッチを駆け巡ったことが、ネットに溢れる写真から判断できた。この政治的パフォーマンスに反発したIOCは直ちにそのMFの表彰式参加を阻止し、メダル授与を中止して、そのパフォーマンスの実態調査に入っている。場合によってはメダルのはく奪もあるとされる。
 そんな嫌な雰囲気の中8月15日、今度は香港の活動家ら5名が尖閣諸島の魚釣島に上陸し、船にとどまっていた9名ともども海上保安庁に逮捕された。当然であるが、香港は中国領でありこの発生源は中国であることは明らかであるが、中国としてはある意味自制した行動の範疇のつもりであろう。これら二つの問題に対する政府の対応を記事にしたのが、18日の読売新聞の1枚目、2枚目の写真である。
 私の評価基準からすれば、今回の政府の対応は的確だったと考えている。この日中、日韓のそれぞれの島の領有権の問題は、中国侵略、韓国統治の問題が戦後明確にその責任と反省という意味で処理されてこなかったことに起因している。私のつたない感覚で言えば、過去の戦争についての詳細な解析はそれほど行われてこなかったように思う。そして、意外なことだが、「読売新聞 戦争責任検証委員会」が2006年に出した「検証 戦争責任I II」(中央公論新社)が網羅的に検証した数少ないものだと感じている。そのII巻目の帯に次のように書かれている。「近隣諸国の悲惨な歴史の記憶が『靖国』を争点にする」。いまはこの「靖国」を「竹島、尖閣諸島」と書き換えればいいだけである。
 また思いがけないことであったが、8月19日東京都議や島根県議など地方議員5名が尖閣諸島に上陸した。ただただ馬鹿げているというしかない。その背景にはこれらの問題に対する国内の強硬論がある。野党自民党も彼らのこれまでの無策を恥じることなく政府を攻撃して政局にしたいと考えているようであり、とにかくどんな事態においても政局にすることが野党の第一の仕事であると考えているのだから始末が悪い。強攻策をとって突き進んで一体どんなメリットがあるというのだろうか。何ができると思っているのだろうか。かって拉致問題で北朝鮮に強硬策をと言って出来る限りの強攻策をとって一体どんなメリットがあったのであろうか。一触即発の強攻策をとって国内を引き締めよう、支持率を上げようと考えるのは相手の国がやることであって、我々がやることではないだろう。
 あと3年すれば戦後70年である。それでも世界中で過去の大戦の亡霊が動き回っている。それほど「悲惨な歴史の記憶」は人間の気持ちを荒んだものにするのだと実証しているようである。そんな「悲惨な歴史の記憶」が私たちの想像以上に韓国や中国の民衆を、あるいはまたこの日本の国の一部の政治家を思いがけない行動に突き動かしている。そのような行動は決して自分たちのためにはなってゆかないのだと自覚していただきたいのである。そんな意味もあって2枚目の写真にある「よみうり寸評」(読売新聞8月20日夕刊)をお届けする。それはアンブローズ・ビアス著の「悪魔の辞典」からの引用で書かれていて、私ha
何度も読んだ覚えがある。
 私は1939年に今の韓国・仁川で生まれた。だから朝鮮半島のことは気になり、拉致問題に関しても私なりの意見をホームページにも書いた(http://www.unique-runner.com/korea1.htm )。それでもそれらの国において簡単に反日運動が盛り上がるのにはほとほとうんざりするのが本心である。その裏には我が国の当該国への対応の問題の他に、それらの国において徹底した反日教育が行われているからでもあろうし、一方日本では現代史の教育がほとんど行われていないという弱点があるという状況があるからでもあろう。この二つの問題が解決されない限り、日中、日韓双方の国から相手を刺激する行動や発言が絶えず溢れ出ることが予想される。現状のままでも、また日本や相手国が強攻策をとろうとも、まだまだ長い年月にわたって様々な形で紛争が勃発することが予想される。日本としては、過去の戦争の正確な分析とそれに基づく反省と誠心誠意の外交努力を続けるしかないのであろう。それが何年何十年かかろうともである。それが「悲惨な歴史の記憶」を少しずつ癒してくれるのを期待するしかないのであり、それほど過去の負の遺産は“超”がつくほど大きいと自覚するしかないのであろう。だから私は、物議をかもした韓国男子サッカー選手が政治的主張を掲げて走る写真をここに掲載しなかった。
 なお、私のブログの写真は全てクリックすれば拡大できます。拡大してご覧ください。

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