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2011年12月の記事は以下のとおりです。

「東日本大震災」 (6 )炉心溶融と「チャイナ・シンドローム」

  • 2011/12/21 11:53

 前回の(5)までは新聞写真の連続的な掲載を行ってきたがそれは前回限りとし、今回からは記事に必要な写真だけを掲載したい。

 さて、この原発事故で何が一番心配されていたかといえば、それは核燃料の状態であろう。このシリーズの最初(2)の記事でも早くから炉心損傷あるいは溶融が懸念されており、3月29日の報道によれば原発敷地内の土壌から微量のプルトニウムが検出されていた。しかし、東電や政府はそのことを認めては来なかった。ところが保安院は4月12日、これまでスリーマイルアイランド事故の「レベル6」としてきたのを修正して、大量の放射能放出を理由に福島原発事故はチェルノブイリ事故と同等で最悪の「レベル7」と認定したと発表した。そしてさらに5月13日東電は、1号機は「炉心溶融」しているとし、一般の予想通り圧力容器の底に穴が開き、そこから漏水していると発表した。
 さらに今月12月1日の読売新聞の報道によれば、「東京電力は11月30日、事故を起こした福島第一原子力発電所1~3号機について、原子炉の温度や水位などのデータを基に炉心の状況を解析した結果を発表した。1号機では最悪の場合、約68トンの核燃料ほぼすべてが溶けて圧力容器を突き抜け、格納容器の底まで落下して堆積した恐れがあるとした。2号機では燃料の最大57%、3号機では63%が落下した可能性があるという。解析は、燃料の冷却状態を把握し、事故終息を目指す工程表で上げた『冷温停止状態』の達成を判断するため実施。」と報道された。
 その報道によれば、「1号機が最も厳しい結果となったのは、3月の事故直後に原子炉への注水が14時間中断したのが原因だ。2,3号機では中断は6~7時間だった。燃料は一時、3000度近い高温に達して溶融した。鋼鉄製の圧力容器の底に穴が開いただけではなく、格納容器のコンクリートの床も最大65センチ浸食されたと推定した。床が最も薄くなった部分では、外側の鉄板までの残りの厚さは37センチしかなかった。」のである。
 あと37センチを突き抜ければ、いわゆる「チャイナ・シンドローム」である。それは有名になったアメリカ映画で、監督ジェームズ・ブリッジス、出演ジェーン・フォンダ、ジャック・レモン、マイケル・ダグラスで1979年に公開された。この映画についてWikipediaは次のように言う。
 「原発事故を描いたサスペンス映画。原発の取材中に事故に遭遇し、真実を伝えようとする女性リポーター、ずさんな管理に気づき事故を防ぐために命を懸ける原発管理者、不祥事を揉み消そうとする利益優先の経営者といった人物たちの対立を描く。タイトルを直訳すると「中国症候群」で、映画の中での台詞から採られた。もし、アメリカの原子力発電所がメルトダウンを起こしたとしたら、地球を突き抜けて中国まで熔けていってしまうのではないか、というものである。
 この映画が公開されたのは1979年3月16日であるが、それからわずか12日後の1979年3月28日に、ペンシルベニア州のスリーマイル島原子力発電所で本当の原子力事故であるスリーマイル島原子力発電所事故が起きた。この事故もあり、映画は大ヒットを記録することとなり、それまで医学用語としてしか使われていなかった「シンドローム」(症候群)という言葉が、他の言葉と組み合わさり、「 - シンドローム」という形で社会現象などを表す言葉としてしばしば使われるようになった」。5枚目の写真は、その映画のタイトル画面の一部である。
 今回の福島原発事故は、その処理を一歩誤ればチャイナ・シンドローム状態に、それは誇張としても何百トンという大量の核燃料とプルトニウムが広く国内外に放出され、取り返しのつかない世界的な大惨事となったことは確実である。国土の狭い日本は、その生きるすべと場所を奪われたのかもしれない。その意味で、よくぞここまで持ってきてくれた(12月16日、「冷温停止状態」宣言)と思うと、評判は良くないが、少なくともその処置を最終的には誤らなかった原発関係者や政府関係者にねぎらいの言葉をかけねばならないであろう。口汚くののしるしか能のない野党やメディアにつける薬はない。

「東日本大震災」 (5 )大量の汚染水と広範囲の環境汚染発生

  • 2011/12/21 09:30

 このシリーズでは、3月11日の大地震と津波発生、それにつづく福島原発事故の様子を一応時間経過を追って知ることが出来るように、3月12日からの読売新聞一面の写真を連続に掲載している。

 前回までに書いたように、とにかく正確に冷却水が必要な場所に入るかどうかはともかく自衛隊ヘリコプターや警視庁機動隊、東京そして後には大阪からの消防隊による昼夜を分かたぬ放水が行われた。その後、新聞の写真でもわかる通り、新たな電源を復旧し、新たなポンプや制御室にも配電され、放水によらない冷却と当時の制御室での出来事が確認できるようになってきた。
 しかし、それまでの大量の放水の水は一体どこに行ったのか誰もが不思議に思ったことであるが、それは高濃度の放射性物質に汚染された水として4つの建屋の地下に溜まり続けたのである。そのことは、放射性物質が爆発という現象によって空気中に放出されただけではなく、なんらかの原因、例えば爆発によっておこった圧力容器や格納容器の破損で大量の放射性物質が建屋内に漏れ出し、それが放水された水に溶け、あるいはそれに混じって建屋の地下に大量の汚染水として溜まり続けたのである。
 この汚染水は地下のコンクリート壁の割れ目から海へ流れ出していることも発見され、その高い放射能のため緊急の防止策が講じられ、数日中に防止された。その後この高濃度汚染水を除染して廃棄するための巨大な装置がアメリカ、フランスそして後に日本側の企業によって製作され、何度もトラブルに見舞われながらなんとか除染を進めながら地下汚染水を処理しつつある。しかし、結果としてわかってきたことは、大量の地下水が流入しており、放水なくしても大量の汚染水が発生し続ける難題が明らかになってきたのである。現在、除染し溜まり続ける水の処理が問題となっている。東電としては海に流したいのであるが、沿岸漁師は海の汚染につながるとして強硬に反対している。はたして増え続ける処理水はどこに行くのであろうか。
 それはともかく、このような汚染は建屋地下の汚染水としてだけではなく、福島第一原発から20-30キロ圏内だけではなく、広く関東一円、また静岡県辺りまで拡大していることが徐々に明らかになってきた。最初は東京都浄水場の汚染として明らかになり、その後牛乳、野菜、そして静岡県では茶葉からも放射能が検出され、どこまで広がるのか懸念されている。秋の収穫時期を迎えた福島県では、当初一定程度のサンプル調査では発見できなかったコメの汚染が山に近い田圃からの収穫米で検出され、広く山が汚染されていることが推定されることとなった。また、原発爆発同時戸外に積みおかれた稲わらを食べさせた牛からも汚染が検出され、食品への汚染チェックが愁眉の急となってきた。
 さらに、食品汚染だけではなく、福島から200キロ以上離れた東京近郊でも、爆発で放出された放射性物質が風で運ばれ、雨水によって地上に落ち、それが流れて集まる水路などの場所にかなり高い放射能が検出されることが多くなり、いわゆるホットスポットとして発見され続けている。今後、原発近くの町や村から、さらには都市に至るまで広い範囲で除染が国の責任において行われるようであるが、いまそのための実験的除染が各地で行われつつある。新しい方法の開発が必要であろう。

「東日本大震災」 (4 )必死の放水と新たな電源確保作戦

  • 2011/12/17 21:16

 前回に書いたように、福島原発事故は背筋が凍るような事故であった。なぜなら、もし1基の原子炉でも致命的な崩壊が起これば、また1基が壊滅すれば4基全ての崩壊につながることであるから、そうなれば少なくとも東日本はチェルノブイリ事故か、それよりははるかに厳しく放射能に汚染され、特に首都圏としての活動はほとんど不可能になると思われたからである。
 実際に、敏腕でなる福島第一原発所長の吉田昌郎氏はこの11月12日に、事故後初めて現場を報道陣に公開した際に、「(震災が発生した)3月11日から1週間が一番厳しかった。死ぬかと思ったことが数度あった」と初めて語った。その新聞報道(読売新聞11月13日朝刊)によると、福島第一原発では、津波が到達した11日午後3時半すぎに、すべての交流電源が喪失。原子炉の冷却機能がなくなり、1号機は翌12日午後、水素爆発を起こして原子炉建屋が大破した。この爆発音を聞いた吉田所長は、現場から戻るけが人を見て「(原子炉を覆う)格納容器が爆発しているとなると、大量の放射能が出てくる」という最悪の事態を想定。原子炉内の圧力が高いため燃料を冷やす水も思うように注入できず、「次がどうなるか想像できなかった。メルト(燃料の溶融)も進んでコントロール不能となる状態を感じた。そのとき、終わりかなと(思った)」とも話した。原子炉の現状については、「作業するには厳しい状況だが、周辺の住民の方に安心していただける程度に安定している」と現場の実感を述べた(5枚目の写真)。
 私は今回このブログを書いていて不思議な感覚にとらわれた。それは、自衛隊ヘリコプターや機動隊や消防庁によるあの手この手の放水によって冷却を試みていたが、一体なにを冷却しようとしていたのかということである。大量の使用済み核燃料が貯蔵されていたプールの水を補給して燃料棒の爆発などを防ぐための放水は蓋がないので容易に理解できるが、同様に危険な原子炉、特に圧力容器にどのように注水していたのであろうか。上に述べられているように「原子炉内の圧力が高いため燃料を冷やす水も思うように注入できず」とあるように、内圧が高くて注入もおぼつかなかったはずである。そばに行って間近に見ながらの放水ではないのであるから、ある意味で無差別放水に近かったのではないかと思う。だから大量の水が必要であったのであろうか。いろいろ調べてみても本当のところは分からないのである。それでも、燃料棒を収めている圧力容器内の水位が放水によって上がることが報告されていたから、確かに効果があったのであろう。幸か不幸か、きっと沢山ある弁の幾つかが壊れていて、そこから水が注入出来ていたという話はある。
 それはともかく、原子炉が破滅的な崩壊に陥ることを避けるためにも、前回と今回に掲載した新聞記事が伝えるように、必死の放水による冷却と電源回復が試みられた。どちらも一刻を争う、途方もない作業であったのであろうが、とにかく新しい電源につなぐことができ、自前のパイプからの真水注入ができるようになったのである。しかし、その間にも少しずつ燃料棒の破損は原子炉内で進行していたようである。11月30日にやはりそうだったかと思わせる東電の解析結果が発表された。

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