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「東日本大震災」 (4 )必死の放水と新たな電源確保作戦

  • 2011/12/17 21:16

 前回に書いたように、福島原発事故は背筋が凍るような事故であった。なぜなら、もし1基の原子炉でも致命的な崩壊が起これば、また1基が壊滅すれば4基全ての崩壊につながることであるから、そうなれば少なくとも東日本はチェルノブイリ事故か、それよりははるかに厳しく放射能に汚染され、特に首都圏としての活動はほとんど不可能になると思われたからである。
 実際に、敏腕でなる福島第一原発所長の吉田昌郎氏はこの11月12日に、事故後初めて現場を報道陣に公開した際に、「(震災が発生した)3月11日から1週間が一番厳しかった。死ぬかと思ったことが数度あった」と初めて語った。その新聞報道(読売新聞11月13日朝刊)によると、福島第一原発では、津波が到達した11日午後3時半すぎに、すべての交流電源が喪失。原子炉の冷却機能がなくなり、1号機は翌12日午後、水素爆発を起こして原子炉建屋が大破した。この爆発音を聞いた吉田所長は、現場から戻るけが人を見て「(原子炉を覆う)格納容器が爆発しているとなると、大量の放射能が出てくる」という最悪の事態を想定。原子炉内の圧力が高いため燃料を冷やす水も思うように注入できず、「次がどうなるか想像できなかった。メルト(燃料の溶融)も進んでコントロール不能となる状態を感じた。そのとき、終わりかなと(思った)」とも話した。原子炉の現状については、「作業するには厳しい状況だが、周辺の住民の方に安心していただける程度に安定している」と現場の実感を述べた(5枚目の写真)。
 私は今回このブログを書いていて不思議な感覚にとらわれた。それは、自衛隊ヘリコプターや機動隊や消防庁によるあの手この手の放水によって冷却を試みていたが、一体なにを冷却しようとしていたのかということである。大量の使用済み核燃料が貯蔵されていたプールの水を補給して燃料棒の爆発などを防ぐための放水は蓋がないので容易に理解できるが、同様に危険な原子炉、特に圧力容器にどのように注水していたのであろうか。上に述べられているように「原子炉内の圧力が高いため燃料を冷やす水も思うように注入できず」とあるように、内圧が高くて注入もおぼつかなかったはずである。そばに行って間近に見ながらの放水ではないのであるから、ある意味で無差別放水に近かったのではないかと思う。だから大量の水が必要であったのであろうか。いろいろ調べてみても本当のところは分からないのである。それでも、燃料棒を収めている圧力容器内の水位が放水によって上がることが報告されていたから、確かに効果があったのであろう。幸か不幸か、きっと沢山ある弁の幾つかが壊れていて、そこから水が注入出来ていたという話はある。
 それはともかく、原子炉が破滅的な崩壊に陥ることを避けるためにも、前回と今回に掲載した新聞記事が伝えるように、必死の放水による冷却と電源回復が試みられた。どちらも一刻を争う、途方もない作業であったのであろうが、とにかく新しい電源につなぐことができ、自前のパイプからの真水注入ができるようになったのである。しかし、その間にも少しずつ燃料棒の破損は原子炉内で進行していたようである。11月30日にやはりそうだったかと思わせる東電の解析結果が発表された。

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