「東日本大震災」 (3)福島第一原子力発電所の爆発・崩壊
- 2011/12/17 10:27
このシリーズの(1)に掲載した3月12日の読売新聞報道にあるように、全電力喪失が明らかとなり、冷却機能喪失に伴う炉内圧力の上昇がその後1号機建屋での大爆発を招くこととなった。その後の様子を3月14-18日の新聞一面の写真で紹介する。
私は当初それに関するブログを書いた際、心底“背筋が凍る思いがした”と書いた。私は放射線科学の専門家ではないが、私に放射化学を教えてくださった名古屋大学名誉教授の古川路明氏から、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故の恐ろしさは聞いていたからである。それは原子炉爆発による大量の放射性物質の飛散で、200-300キロ離れたところでも強い放射能が掲出され、またヨーロッパ各国にも広く飛散したという事実であった。さらに私を驚かせたのはチェルノブイリ事故の数日後、古川氏や私が職場としていた名古屋のビル屋上に設置されていた空気中の集塵装置のフィルターから高い放射能が検出され、当時簡易測定によく用いられていたガイガーカウンターが鳴り響いたと聞かされたことであった。ガイガーカウンターの音は、ある種の危険信号の音であったからである。
チェルノブイリの場合には1基の原子炉の爆発であったが、福島第一原発には4基の原発があったことがさらに私の恐怖感を増幅した。もし制御不能になって1基でも“原子炉(圧力容器)爆発”となれば、福島第一原発の周辺には何人も居ることはできず、4基全ての原子炉の爆発に至ると考えられた(後で分かったことであるが、4号機は定期点検中で原子炉には燃料棒は入っていなかった)。
幸いだったのは爆発は建屋での爆発であって原子炉ではなかったのである。ただ、2号機は格納容器が破損したと報道され、1-3号機すべてにわたって水位不足からの燃料棒の露出、炉心溶融(メルトダウン)の危機が叫ばれ続けたのである。それを回避すべく、東電福島の吉田所長をはじめとして所員を含む作業員、自衛隊、警視庁機動隊、東京都消防庁の職員らの必死の作業が続いた。私などはなす術もなく、かたずをのみながらそれを眺めるしかなかったのである。
ただ、建屋が爆発した時東電は第一原発から撤退したいと官邸に伝えたところ、菅首相は激怒してそれをやめさせたとも伝えられた。菅首相にはいろいろと批判もあるが、もしこれが事実であるならば、当時の官房長官であった枝野氏の言うように、“菅氏が首相でよかった”というのは本当であろう。日本を救ったのかもしれないのである。