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山崎JR西日本前社長に無罪判決

  • 2012/01/12 13:30

 2005年4月、乗客106名を含め計107名が死亡したJR西日本福知山線脱線事故で、業務上過失致死傷罪に問われたJR西日本の山崎正夫・前社長(当時鉄道本部長)の判決が11日、神戸地方裁判所であった。同日の読売新聞夕刊によれば、「運行に直接関与しない鉄道会社幹部の責任が問えるかどうかが焦点だったが、岡田信裁判長は『現場の危険性を被告が認識していたとは言えず、自動列車停止装置(ATS)整備を指示するほどの予見可能性は認められない』として無罪(求刑・禁錮3年)を言い渡した。」
 私はこの裁判は正当だと理解している。もともとこの裁判は刑事責任として立証は困難だと検察も理解していたようであるが、「あらゆる事故を想定し、事故を未然に防ぐ高度な責務が鉄道事業者には課せられていると考え」(同読売新聞)たから、敢えて高い壁に挑戦したと言われている。
 私がここに書きたいのは、判決内容がどうのこうのと言うよりは、悲惨な事件が起こった時とその裁判結果などに対するマスメディアの報道姿勢がいつも気になるからである。昨夕の夕刊に見られるこの裁判関連の記事3つの写真をお見せしよう。1枚目は、一面の判決内容の冷静な報道である(写真はすべてクリックで拡大可能)。それには何の問題もない。しかし2枚目の大見出し「前社長 無言の退廷」は、まるで山崎氏がなにか悪事を犯したとみなしているような雰囲気を与えるものである。さらに3枚目の見出しは「『無罪』 天仰ぐ遺族」となり、この無罪判決は遺族の味方ではなかった、いや正しい判決ではないと伝えているように感じる。
 しかし今回の裁判は、1個人に対する刑事裁判である。かっていかなる大事件があったにせよ、この判決は個人の命運を握っているのである。さらに、今回の裁判は事故調査委員会の場でもない。確かに107名が亡くなった事件は悲惨な大事件であり、遺族の悲しみや悔しさは部外者に分かろうはずもないが、とてつもなく大きいものと察することができる。また、どこかにその事件を引き起こした原因が隠れていると遺族のみならず一般の我々も考えるのは当然であろう。
 しかし、だからと言って誰かを有罪にすればこと足りる訳でもない。遺族の言葉の中にそのように響く言い分を述べられる方もおられたようであるが、それはちょっと私には残念である。読売新聞の2枚目3枚目の写真に見られる記事は、そのような方々、あるいは悲惨な事故を起こしたJR西日本に対して怒りを感じている一般の方々に迎合しているように私には見えて仕方がない。
 しかし、一夜明けた今朝1月12日の朝刊には、4枚目の写真のような記事が書かれていた。その見出しは、「JR西の責任と区別」とある。これは山崎前社長無罪の判決は、JR西の責任と全く別の話であって、無罪となったからと言って組織としての責任問題とは別であるとの主張である。そして、幹部の過失を裁判で認定するには限界があることを認めるもので、問題はむしろ刑法に法人罰と言う概念がないことを問題視し、それを持ち込まなければ裁判において原因究明などを求める方向性を見出すことは難しい、と述べている。これは非常に重要な議論で、この記事がなぜ昨日夕刊の記事と同時に出されなかったのかと疑問がある。そうすれば、判決に対する読売新聞というメディアの正確な評価が読む人に伝わったはずである。
 私は大きな事件や悲惨な事件が起こるたびに、メディアが見せる読者への迎合姿勢が大変気になっている。今回もそのひとつであったように思う。そして大きな事件が起こるたびに残された人たちはマスメディアによって“遺族”という烙印を押されて、その立場を固執・維持せざるを得なくなっているように見える。凄く気の毒なことで、その方が新たな別の人生を歩むのを妨げている、としばしば感じるのである。また、北朝鮮に拉致された家族の発言や行動に対してもマスメディアはほとんど何も言わないが、私にはそれが不思議であり、読者に対する迎合と見える(http://www.unique-runner.com/blog/index.php/view/38 )。それは正しいことを伝えることが身上であるはずのメディアの姿勢ではないように見えるが、そんなことは私の勝手な推論であってほしいと祈るのみである。

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