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とうとう引っ越してしまった!

  • 2015/04/10 11:12

 定年退職後も未練がましくしがみつき、合計25年も住み続けた大阪・高槻を離れる決心をして1年、それを具体化して半年、とうとうそれを実行する時が来た。他人に引越の話をすると必ず言われることがある。それは、“歳をとってからの引っ越しはやめた方がよい”、“大変だよ”、のオンパレードである。そんなことを言われると心が折れそうになるが、逆に、それではうまく転居をやってやれという気にもなるから不思議である。その引越し準備をしながら、また引っ越した後の片づけをしながら感じたことは、日記帳にでも書いておかないとどんどん記憶があやふやになるということであった。また、私の関東への転居を知って2つの同窓会が私を誘ってくださり、その時に意外に私の日記帳を読んでくださる方々もいることを知った。そんなこともあって、また少しずつ日記をつけて頭の体操をしてゆくことにした。
 荷物の片づけや荷造りは昨年11月後半から始まったであろうか。物を捨てられない私はどんどんものを溜め続けてきた。それをちびりちびりと捨て始めたがなかなか減らない。特に減らないのが本の類であったが、それらのうち専門書は近くの大学に勤める知人に貰ってもらい、一般的な本は附属病院の待合室にでも置いてもらおうとお世話をかけることになった。少しずつしか捨てられない私なので、何度も何度もお世話をかけることになってしまって申し訳なかった。でも、それが私である。
 捨てられない資料もたくさん抱えていた。STAP細胞問題が注目を集める中、実験資料の保管が問題になったこともあり捨てるに捨てられない気持ちに悩まされた。かっての学者さんのように割にスペースのある家に住んでいる時代はともかく、我々のような貧乏なサラリーマン生活を余儀なくされてきたものにとっては保存スペースなどありはしない。これまで住んでいたマンションには幸いトランクルームがあったのでそこに放り込んでおけばよかったが、今度の引っ越し先にはトランクルームもなく、どうしようもなかった。思い切って論文として公表されなかったものの資料だけを残すことにした。STAP問題の時の判断とは逆の対応をしたのである。
 とにかく、できるだけ荷物を減らして段ボールに詰め引っ越しに備えた。一枚目の写真で分かるように、何週間か段ボールに囲まれた、ただ寝るだけの空間がある部屋に住んでいたのである。そして、今年の1月14日についに引っ越した。2枚目の写真にあるように、引っ越しは大手ではなく、比較的新しく、対応の良かったマイスター引越センターにお願いした。引っ越しの様子を見ていると目からうろこが落ちるようなことの連続で、あっという間に積み込み、翌日雨中での搬入でもあっという間の離れ業であった。ただただ感心した。
 引っ越し荷物をあけながら、どこに何を入れたかがはっきりしないのにはいささか驚いた。百何十箱をあけてもなお見つからないものがかなりの数に上ったのである。それらはこの3か月の間に徐々にどこからともなく現れてはきたが、それでもなお見つからないものがあるのである。まったくどうしようもないというのが本音である。
 そんなことはいろいろあるが、終の棲家となるであろう今回の引っ越し先は神奈川県の小田急沿線で、最寄の駅からも近く買い物にも不自由せずで問題はない。そのあたりのことはまた折に触れて書くとして、引っ越しの当初疲れた私を和ませたのは、私の部屋の眼下に広がる幼稚園や小学校のグランドである(3枚目の写真、下2枚は1月30日の大雪の時の写真である)。緑にもあふれ、週末を除いて朝早くから子供たちが集まり、授業が始まる前にグランドでサッカーボールを蹴ったり一輪車で駆け回ったり、鉄棒やブランコで遊んだりする姿を見ることは気持ちの良いものである。大阪にいるときもマンションの前の通りを多くの子供たちが朝夕通って話し声が聞こえていた。いまもそうである。厚木基地発着のジェット戦闘機の轟音にさえぎられてもなお聞こえてくる。この日記帳を机に座って書きながら、左を見れば子供の姿が見え、耳を澄ませば声が聞こえる。それを楽しみながらこれからこの街になじんでゆきたいと思う。第一段階は終わりである。(写真はクリックで拡大してご覧ください)

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