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2017年12月05日の記事は以下のとおりです。

富士山の見え方から大和市の位置が理解・実感できてくる

  • 2017/12/05 13:00

 大阪から引っ越してきたこの神奈川県大和市。そろそろ3年近くになるが、相変わらずよくイメージできず方角やあらゆるものの位置関係がしっくりくることがなく、気軽に車に乗って出歩く気になれない。そんなことはこちらに来た当初から感じており、それは最初の東西南北認識の間違いから生じていると思っている。それをなんとか乗り切る助けになればと、私が住む相模原台地の構造的な視点についてブログも書いた(http://www.unique-runner.com/blog/index.php/view/254 )。また、昨年冬には思いがけずここから見える西の丹沢山地の上にわずかに富士山が顔を見せているのを発見して驚き、そのブログも書いた(http://www.unique-runner.com/blog/index.php/view/258 )。今回はその続編である。
 実は私は一応病人である。3か月に一回は小田急江ノ島線と横浜地下鉄ブルーラインを乗り継いで1時間のところにある横浜市立大学医学部の病院に検査にうかがう。もう何が起こっても不思議でない年齢であるから当然のことであろう。先週の水曜日朝早く快晴の冷たい空気の中、小田急に乗って出かけた。しばらく、およそ20分くらいだったかぼ~と進行方向の右側の西の窓の外を眺めていて驚いた。なんと沿線の建物の間にちらちらと雪をかぶった富士山のようなものが見えた。もう何度となく乗る江ノ島線である。その光景は桜ヶ丘駅から長後駅まで続いていたように感じた。
 どうしてもそれを確認したくなり、5日後の12月4日の朝車に乗って高座渋谷駅(大和市南部)まで南に下りそこで車を預け、駅の西側に出て見晴らしの良いところを探し回った。そして幸い駅西口から歩いて10分ほどのところで視界が広がり富士山が見えるポイントを探し当てることができた。1枚目の組み写真の上の部分がその写真で、思った通り右側に頂上がとがっている大山(標高1252m)が映っている。前回私が中央林間周辺で撮影し、掲載した写真では(上のURLを参照)、すべて大山は富士山の左側に位置していて、富士山の東側(筆者から見て手前側)には大山を含む丹沢山地が立ちはだかっていて富士山の頂上部分以外を見えなくしている。
 1枚目の組み写真の下の部分は東京から見た富士山の様子をかなり詳細に示した写真集の一部を引用させていただいたもので、東京国際空港(羽田空港)のかなり高い位置から長い望遠レンズで撮影した写真のようである(http://yamao.lolipop.jp/fuji/tokyo/fuji.htm )。その位置は前回の私の撮影位置よりまだ北側にあり、当然のように大山は富士山の左側に映っている。東京からの写真の注は次のように言う。「(富士山は)大山と塔ノ岳の間。(富士山の)左稜線は大山の稜線の延長線上にあるかのよう。宝永山が大山の真上。」 宝永山とは1707年の大噴火によってできた側火山で、東側から見て左稜線のこぶとして見える。
 神奈川県のホームページに丹沢山地とその周囲との位置関係を簡潔に表現した一文がある(http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f48/p4878.html )。「丹沢山地は、神奈川県の北西部に位置し、県土面積の約6分の1を占める40000ヘクタール余りの一大山塊です。北は道志川を隔てて道志山地と向かいあい、西は富士五湖地域に接し、南西は酒匂川を挟んで足柄山地と向かいあっています。南東では秦野盆地に接し、東は愛甲台地から相模平野に連なっています。最高地点は1673メートルを誇る蛭ヶ岳山頂で、ほかに1500メートルを超える山は、丹沢山、檜洞丸など9座を数えます。また、丹沢山地の東端に位置する大山(標高1252メートル)は、古くから信仰の対象として最も親しまれてきました。そのために山地の呼び名として、しばしば「丹沢大山」という表現も使われています。」
 つまりは、大山の左稜線を下っていくとそこは秦野盆地を経て足柄山地と向かい合うことになるが、その辺りには相模原台地側から富士山への視界を妨げる高い山々はないと思われる。その空間こそが日本の西と東の交通の要衝になってきたことになる。2枚目からの3枚の富士山の写真はそのことを示している(3枚目と4枚目の組み写真はよく似た写真です。ご容赦ください)。残念なことに撮影当日は強く霞がかかっており、頂上付近が雪に覆われている富士山がよりはっきりと見えるように画像処理をしたことをお伝えしておきたい。したがって、もしより精細で美しい写真が手に入るようなことがあれば、このあたりの写真を差し替えることをお許し願いたい。(実は、ここに掲載した1-4枚目の写真は後日(12月11日)に高座渋谷に三度目の足を運んで撮影し直したものである。)
 今回の観察のために高座渋谷に来て新発見があった(5枚目の写真)。それは、なんと言うこともないが、今回の撮影ポイントのそばを新幹線が東西に走り抜けていたことである。新幹線の路線は掘割式になっていて、住民のための狭い跨線橋には高い目の細かい網が作られていた。でも、かまわずその隙間から上り(右側)と下り(左側)の写真を撮影した。高速で突っ走っている新幹線を撮ったのは初めてのことであった。(4枚目の組み写真の右下の写真は新幹線の線路を渡った側からの写真で、架線の構造物が見える)。
 今回のように自分が住む地域について様々な偶然の機会を生かして観察し、また調べることを通して関心を深めることを何度か繰り返してきた。これまでの私にはなかったことで、遅まきながら自らの見識が広げられてゆくのを感じている。それはそれでうれしい。

追伸:最初の写真は霞がかかってみられるような写真にするのに苦労をした。しかし、どうしても自然ではないので後日また高座渋谷に出向き撮影した。今掲載している写真のほとんどは撮影し直したものである。

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