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[完全復元] たまに積もる雪はきれいだが、うっとうしい話も多い・・・。

  • 2011/09/27 13:05

(この記事のオリジナルは2010年2月8日に書かれたものである。最後に追記あり)

 昨日朝起きてみたら一面の雪化粧であった。私のマンションの北側にある駐車場も小さな公園もすっぽりと雪化粧。南側の植木にも2、3センチの雪が触ればすぐに落ちてしまいそうな感じで積もっていた。本当に何年振りであろうか。私が高槻に来てから数年後、いまから10年ほど前であろうか、その時は車で走るのが怖いくらい道路にも雪が降り積もったことがあった。雪が沢山降って困る人たちが聞いたら怒るであろうけど、たまの雪は悪くはない。
 ところで、相変わらずの新聞報道にはうんざりする。2月7日の読売新聞朝刊の一面冒頭には、「小沢幹事長辞任を」74%、「内閣支持44%、不支持47%」(本社世論調査)とある。読んでみると、何か勝ち誇った雰囲気の漂う記事である。この2字ははたして誰がどのようにして作り上げたのであろうか?小沢氏は容疑者でも犯罪人でもないのである。今回の、あるいは昨年春のと言った方がよいかもしれないが、民主党・小沢氏に関わる新聞やマスメディアによるほうどうには小首をかしげざるを得ないことが多すぎる。そこで報じられていることが事実であれば大問題であることに異論はないが、その報道内容は、はたして自らの調査に基づいてものだけで構成されているかははなはだ心もとない。
 7日日曜日のテレビ番組でも今回の報道の正確性について激論があった。いまこの時期に、昨年の場合もそう言われたが、このような報道をする背景には何が隠れているのだろうかと勘繰りたくなる。リークがあるのではないかなどと報道内容について激論が起こること自体がもはや危ない気がする。その理由については先日どこかに書いたような気がするが、民主党中心のこの政権の後ろに労働組合の「連合」がいることと関連がありそうだと私は直感する。
 そんなことを考えていると5枚目の写真のような記事も気になってくる。1月23日の「元検事 謝罪せず」との見出しの写真である。これは1990年の足利事件で冤罪を問われた菅家さんが再審第5回公判で元検事を追究したことに関してである。元検事はともかく、マスメディアはこの件に関して菅家さんにきちんと謝罪したのであろうか。あるいは、謝罪しなくてもよいような正確な報道をしていたのであろうか。確か、報道の経緯については紙面で見たような気がするが、謝罪とは話は別である。
 このようなことを考えると、またまた、いま公判が行われている障碍者団体向け割引郵便制度の悪用を巡る障碍者団体証明書偽造事件で、虚偽有印公文書作成・同行使罪で起訴され、保釈された厚生労働省元雇用均等・児童家庭局長、村木厚子被告(53)とその上司がともに起訴事実を否定している(2月8日報道)問題も危ない雰囲気がする話である。いまのマスメディアの報道は、小泉首相の名をあげるまでもなく劇場型であるため、我々もまた批判を忘れてすぐに信じてしまうきらいがある。慎重であるべきである。NHKの夜7時のニュース報道の仕方ですらそうである。
 私は2002年2月6日、ホームページに「自主規制より正確な報道を」という文章を書いた(http://www.unique-runner.com/media.htm )。それは読売新聞が報道した、元クリントン政権で情報技術諮問委員会の副委員長を務めたビル・ジョイ氏が、かって日本への原爆投下について問われたときに、「ドイツに対する脅威から米国が原爆を開発し、広島、長崎に投下した不幸な出来事以来、我々はNBC(「核・生物・化学)兵器の使用を未然に防ぐ努力をしてきた。」と述べたことについてである。私はある理由から原文を読んでみたいと思い、インターネットでDairy Yomiuri On-lineを検索し、その原文を見つけ、読んでみて驚いた。以下の原文を読んでいただければわかるが、原爆投下はその威力を知るためのテストだったと言っているのである。はっきり言えば、広島、長崎の市民はモルモットになったのである。
"Because of the threat from Germany, the United States developed the atomic bomb, and in order to test its power, two of them were dropped on Hiroshima and Nagasaki. Since that unfortunate event, we have avoided the use of NBC weapons."
 なぜ新聞はこの2行目の重要な部分を削除して報道したのであろうか?新聞の意図は明白である。こんなことをするなと言うのが私の言い分である。しつこく言うが、マスメディアの報道は正確さが命で、世論操作の意図など完全に排除することを切に望みたい。そんなことは我々一般国民に対する侮辱である。

追記:最後の文章に次の一言を追加する。「我々は太平洋戦争時に日本のマスメディアが果たした破廉恥な役割を忘れてはいない。」

[完全復元] 鳩山首相施政方針演説と「いのち」、そして新聞報道

  • 2011/09/27 09:44

(この記事のオリジナルは2010年1月31日に書かれたものである)

 2010年1月29日に行われた鳩山首相初の施政方針演説についてマスコミは騒々しい。私が購読している読売新聞は翌日の朝刊で、「『情』アピール鳩山色」、「『いのち』連発 施政演説」、そして「側近二人 作・演出」と報じた。この見出しでの大きな記事がなんと一面の右上にドカンと出されたのである。その内容は、脚本家は元通産省OBで参議院議員の松井孝治官房副長官、演出家は劇作家で内閣官房参与の平田オリザ氏と伝えている。そしてそこに書かれている内容は、「いのちを、守りたい」と始まった演説の中で「いのち」を24回も連発したとか、どのようにしてこの演説内容が作られたか、に焦点が当てられ、「労働なき富」という言葉には野党席から激しいヤジが飛んだと書かれ、首相には危機感がないとまとめられている。
 この記事では、鳩山演説には情緒的な言葉があふれていたと書かれているが、上のような記事はまさに情緒的な反応でしかない。それが一面トップに来るのだから驚く。確かに鳩山首相は情緒的な人間であると言われているようであるし、宇宙人と言われているのは有名である。逆に言えば、彼はこれが持ち味であり、彼のような演説のできる人はこれまでほとんどいなかったことに違和感を感じる人が多い可能性はある。
 むしろ問題は、これまで理念を語る人がいない歴代首相の連続であったことだったのではないか。まずは政治家、特に首相は理念(ビジョン)を語るべきと私は信じている。「理念」があればこそ具体的なことで道を誤っても修正は可能であるが、「理念」なき考えからは修正機能は働かないと考えるのが普通であろう。こう考えると、彼のような人間をしっかりとサポートする体制がきちんと整備されることを期待したい。
 
 実は、上の記事が出たと同じ日の読売新聞に、1月20日に行われた読売新聞、日本経済新聞、朝日新聞の論説責任者による鼎談(ていだん、3人が向かい合って話し合うこと)の抜粋が掲載されていて興味深いものであった(全文はhttp://allatanys.jp/ )。三紙の担当者とも現鳩山政権のこれまでについては様々な批判を持ちつつも、そのニュアンスには大きな違いがあることが読み取れるのである。例えば「コンクリートから人へ」についても、読売が「選挙のキャッチフレーズとしてはいいけれども・・・」と言うのに対し、朝日は「理念としては正しい。これに沿って、大胆に医療や、福祉、環境…投資をやってゆくことがとても大事だ」と語る。
 また、「政治主導、脱官僚、マニフェストの実現」などについては、読売は「政治ショー、あるいはパフォーマンス」だと断じるのに対し、朝日は「有権者との契約であり、基本的には民主主義にはとても大事なことだ。必要なのは鳩山さんの主導性」だと述べている。また日経は、「政治主導、脱官僚というのは当然で、民主主義の大前提だと思う。問題はどう機能させるかだ」、また「もっと官僚をうまく使いこなすことが必要で、政治家は、本来の役割である国家ビジョンを示していく。政治主導は、是非続けて本格的に取り組んでほしい」と述べている。
 その鼎談の最後に朝日の編集責任者は興味深いことを言っている。「景気回復の原動力は経済合理性とかではなく、人間の心理の持ちようであり、政治家と国民がいわば共通の『物語』を持つことが大事だ。そうゆう政治が行われる年になればいいと思う。もう一つ言えば、女性をもっと活用できる日本に是非したい」。新聞の論調というのは面白いものである。しかし、ここで語られるようなことが新聞の見出しに大いに踊るようではまた困るのである。そのような主張は論説でお願いしたい。それ以外は事実のありのままの報道でよい。そしてその評価は読者自身にさせていただきたい。

[完全復元] 「アバター」は反米映画と批判しているらしいアメリカ保守派

  • 2011/09/26 22:49

(この記事のオリジナルは2010年1月31日に書かれたものである)

 ジェームズ・キャメロン監督の米英が「アバター」が現在世界興行収入の記録を更新中だとのことである。これまでの記録も同氏が監督した「タイタニック」であったとのことで驚いている。しかしこれ以上に驚いていることがある。これを報じた1月31日の読売新聞朝刊には、この映画では米兵・軍が悪役に描かれており、米国の保守派が批判を強めていると報じている。
 さらに、同紙によれば、“自然の中に神が宿るという、キリスト教などの一神教とは相いれない信仰をナヴィが持っている”点にも批判が出ているという。また、保守派コラムニスト、ロス・ドーサット氏はニューヨーク・タイムズ紙で“映画は神と世界が同一という汎神論的な考えに共鳴するキャメロン監督の長い弁明”であると伝えている。同様の懸念はカトリック教会の一部からも出ているという。
 このような批判に対してキャメロン監督は、この映画の内容には次のような意志が込められているとのことである。すなわち、同氏は“この映画はわれわれが戦っている戦争を反映している。兵士は不当に戦場に送られている。この映画で目覚めてほしい”とイラクとアフガニスタンでの戦争に反対の意思を込めたという。しかし、米軍批判との指摘には、“心外だ”。私の弟は海兵隊員だが、彼らを心から尊敬している”と反論したようである。
 私はまだこの映画を観ていないのでわからないが、なにかというと世界の警察官的な発想や一神教的な批判が出てくる最近のアメリカは一体どうなっているのであろうかと、心配になる。オバマ大統領もこの洗礼を浴びて苦心しているようである。驚くべきことに、アメリカでは未だに進化論をまともに講義することが許されない州が沢山あるのであり、人は他の生き物とは基本的に異なる存在なのである。2004年11月のCBSの調査では、55%のアメリカ人が神が人を創造したと考えているという(Wikipedia)。

 私はこのブログの「2010年、新春のジムで想うこと」(http://www.unique-runner.com/blog/index.php/view/23 )で、「そうは言っても私も日本人で、八百万の神の世界に生きてきた。なににでも命はあるし、様々なものの恩恵の中に生かされていることも分かる。その意味で一神教の世界に生きてこなかったことに感謝している。」と書いた。やはり、一神教的な世界とはどこかそりが合わないのかもしれないと感じている。それはともかく、映画が好きな私としては是非観てみたい映画のひとつである。

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