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2011年11月11日の記事は以下のとおりです。

[簡易復元] 寅の年 2010年1月 信貴山朝護孫子寺に初詣

  • 2011/11/11 09:45

(この記事のオリジナルは2010年1月に書かれたものであるが、ファイルが失われたため新たに書き直す)

 初詣では混雑することが知られていたので、それが一服したであろう1月10日に車で信貴山に出かけた。標高437メートルとかなり高い山で奈良県北西部の生駒郡平群町にあり、その南東中腹に信貴山朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)がある。この寺についてWikipediaは次のように言う。
 「寺に伝わる国宝『信貴山縁起絵巻』は、平安時代後期、12世紀の成立とされ、日本の絵巻物の代表作とされている。この絵巻は通常の社寺縁起絵とは異なって、朝護孫子寺の創建の経緯等については何も述べておらず、信貴山で修行していた命蓮(みょうれん)という聖(ひじり)の奇跡譚が中心主題となっている。絵巻の中巻では延喜の帝(醍醐天皇)の病を命蓮が法力で治したという話が語られている。『信貴山縁起絵巻』の詞書とほぼ同様の説話が『宇治拾遺物語』にあり、『今昔物語』にも信貴山寺の草創に関する説話が収録されている。(聖の名は『宇治拾遺物語』には「もうれん」、『今昔物語』には「明練」とある。)(…中略…)
 以上のことから、醍醐天皇の時代、平安時代中期の10世紀頃には信貴山に毘沙門天を祀る庵があり、修行僧が住んでいたことは首肯される。当寺の創建について、聖徳太子を開基とする伝承もあるが、これは太子が物部守屋討伐の戦勝祈願をした際に、自ら四天王の像を刻んだという伝承に因んだ後世の付託と思われる。伝承では、寅の年、寅の日、寅の刻に四天王の一である毘沙門天が聖徳太子の前に現れ、その加護によって物部氏に勝利したことから、594年(推古2年)に毘沙門天を祀る寺院を創建し、「信ずべき貴ぶべき山(信貴山)」と名付けたとする。また寺の至る所に虎の張り子が置かれているのは、その逸話に由来している。その後、902年(延喜2年)に醍醐天皇が、「朝廟安穏・守護国土・子孫長久」の祈願寺としたことから、「朝護孫子寺」の勅号を賜った。」
 参道からお寺の本堂まではかなりの距離と高低差があり、お年寄りにはちょっと苦しい。参道には聖徳太子の勇壮な馬上姿の像があり、また、このお寺の守り神と言われる大きな虎がお参りに来る人たちの大人気である。さらに本堂への道を外れて山を登ってゆくと信貴山城址がある。見晴らしは良いが城跡だけで何も残されてはいない。
 本堂はかなり大きく舞台のような作りで、写真からもお分かりのように崖っぷちに立っていて眺望は素晴らしい。寅が守り神のこの舞台から多くの虎(寅)ファンは優勝を叫んだのであろうし、「寅の年、寅の日、寅の刻」に願をかけたファンもまたいたのだろうと思うが、残念ながら2010年も今年2011年も真弓監督の元では無残な結果に終わってしまった。はたして来年は和田新監督の元、何年振りからの美酒を飲むことが出来るのであろうか。その結果がいまから楽しみである。

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