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2011年11月23日の記事は以下のとおりです。

第1回神戸マラソン 復興の街にひとが溢れた!

  • 2011/11/23 20:08

 私はこの記念すべき第1回大会への参加も大阪マラソン同様に抽選に漏れ、写真屋として参加するしかなかった。しかし私の仲間が3人参加し、その内の2人がカメラを持って参加したので、ランナーが見た神戸マラソンを話してもらうことにし、私の写真もそこに加えることにした。彼らや私の見た神戸マラソンとは次のようなものである。
 前日までの激しい雨が嘘のように快晴に転じた日曜日、ちょっと風が強く気温も高かったがとても気持ちよく走れ、特に30キロまではゆっくりしたペースであったが周辺の景色を楽しみながら、また人々の応援を受けながら気持ちよく走り続けられたと言う。写真屋として参加した私は、9時過ぎから往路10キロ、復路25キロ地点であるJR須磨駅前でカメラアングルの良い場所を探し、コースの歩道に約4時間立ち続けた。
 その10キロ地点に9時33分ころトップ集団がやってきた。ゲストランナーのステファノ・バルディニ選手(アテネ五輪金メダル)と若い長身の選手が走ってきた(1枚目の写真)。この若い選手が中山卓也(早稲田大)で、復路の25キロでもぶっちぎりのトップで折り返してきた。彼が優勝したこととあの中山竹通氏の御子息とは後で知ったが、これが良い転機になることを期待したい。しばらくして、女子のトップと思われる選手が男子に混じってやってきた。招待選手の小崎まり選手(ノーリツ)で、その写真を2枚目として掲載する。
 私と違って実際に走った仲間の1人は次のように言う。「大会は良い天気で当日をむかえた、寒さ対策のポンチョやレインコートは全く不要だった。神戸育ちの私が郷里を走れることは感慨深かった。スタート前のオープニングセレモニーでは遠路仙台からの八軒中学校『あすという日が』の素晴らしいメロデーの合唱が22,958人ランナーの胸を打った。
 いよいよスタート、大集団がソロリと動き出した、まるでベルトコンベアーに乗っている感じでこのままゴールへ運んでくれたら楽ちんてな事を考えながら逸る心を極力抑えて走り出した。阪神・淡路大震災で壊滅的な被害を蒙った長田区では、沿道の声援は大変素晴らしかった。地元の中学生がズラリ並び日曜にもかかわらず全校生徒が制服姿で力一杯ランナーに応援して貰い、自然と足取りが軽くなった。
 また、コース途中で色々なパフオーマンスがランナーを癒してくれた、和太鼓・獅子舞・音楽演奏・サンバチームのダンス等で須磨海岸では大漁旗をなびかせた数十隻の漁船のパレード、とくに私はゴール近くのしおさい公園でのフラダンスに興味をもった。コース終盤給水の紙コップが無くなりやむ得ず手に水を注いで貰って飲んだ、時間のかかるランナーには給水が欠かせないので次回は改善を望みたい。しかし、市民の方が自宅から水をくみランナーに手渡す情景もありグッと胸にくるものがあった。市民の応援者が入れない浜手バイパスでは、大会ボランティアの方々が急坂の難所で一般観衆に代わり一生懸命応援してくれたこと、それもひとりでなく全員が声をからしてランナーを後押ししてくれて大変有り難かった。
 ゴールの関門時間には少しの余裕をもってゴール出来た、これも沿道の声援や支援のおかげだと思い完走に感動した。ゴール後に手荷物を引き取るため指定のブロックへ着くとボランティア(高校生)がもう荷物を抱えて渡してくれた、早いのに一瞬驚いたがどうやら遠くのゼッケンナンバーを見て素早く荷物を探し出している様子、他のランナーへも同様の気配りで疲れた時のこの対応に感謝した。」
 そんな感謝の気持ちを持ちながら走り続けたというが、30キロを過ぎると心配したように脚が動かなくなり、歩くことが多くなってきたらしい。そんな歩く姿がテレビカメラに撮られていたと、あとから私から聞かされて彼は苦笑いをしたが、それも練習量を考えるとやむを得ないことだと自覚していると言う。

 走り終わってからこんなことも考えた、と彼も言うし私も思う。それは、神戸は阪神・淡路大震災以来16年間、街は見かけ上はほとんど回復したが、今回ほど多くの人々が沿道に集まり(52万人以上と言われる)、“がんばって!”と大きな声を上げて人々を励ましたことはなかったのではないかと思う。それは、まるでかっての大震災時に数えきれないほど多くの人々から被災地に向けられた激励の言葉へのお礼のようにも聞こえた。あるいは、今までこれほど大きな声を出すことを控えてきた人々の心からの叫びだったのかもしれない。また私がいた須磨駅前では、コース沿いに水道のホースを引っ張ってきて、そこでコップに水を入れてランナーに水や食べ物を差し出していたグループもいくつか見かけた。今回の神戸マラソンが、そんな小さなボランティア活動や大声を出してランナーを応援する活動を手助けできた大会であったとしたら、それはおそらく他の都市の大会にはできないユニークな役割だったのかもしれない。そんな想いを、走るランナーも写真撮影で沿道にいた私も感じた神戸マラソンであった。ひょっとするとその点が、大阪マラソンに比べてユニークだったかもしれないと思う。
 なお、3枚目と4枚目の写真は、走った彼らが撮ったものや私が沿道で撮ったものをコラージュ風にまとめたもので、走った仲間3人の姿とマラソン当日の様々な風景である。その雰囲気を感じていただければ幸いである。

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