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2011年11月の記事は以下のとおりです。

『ワシントン・ナショナル・ギャラリー展』を楽しむ

  • 2011/11/06 10:14

 11月初めのウィークデー、京都市美術館に「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」を観ようと友人ともども訪れた。ウィークデーであろうと京都は多くの人でにぎわっているのが普通で、美術館も同様であった。それでも週末の混雑に比べればましで、まあゆったりと楽しむことが出来た。この「ワシントン・ナショナル・ギャラリー」とはなにか、また今回の展示の見どころはなにかについては主催者側の次の説明を聞こう。
 「12世紀から現代までの世界有数の西洋美術コレクションで知られるこの美術館は、一人の男の壮大な夢と情熱で創設されました。
その男の名はアンドリュー・メロン。19世紀末から20世紀にかけて銀行家、実業家としてアメリカ屈指の財を築き、1890年代末にはジョン・ロックフェラー、ヘンリー・フォードらと並んでアメリカ合衆国を代表する大富豪となった人物です。(…中略…)
 その後も氏の志に賛同する人々が作品の寄贈を続け、今日に至るまで同館の所蔵品約12万点はすべて一般市民による国への寄贈で成り立っています。寄贈は美術品そのものであったり、美術品を購入するための資金であったりしますが、それはまさに、「アメリカ市民が創った奇跡のコレクション」と言えるでしょう。
 本展では、ワシントン・ナショナル・ギャラリーの所蔵作品の中でも特に質が高いことで知られる印象派とポスト印象派の作品から、日本初公開作品約50点を含む全83点を展示します。出品作品の約半数は、創設者アンドリュー・メロンの遺志を受け継いだ娘のエルサ・メロン・ブルースと、息子ポール・メロンのコレクションに帰属するもので、同美術館の心臓部ともいえるこれらの作品が、これほどの点数でまとまって館を離れるのは極めて稀なことです。
(…中略…)ワシントン・ナショナル・ギャラリーが所蔵する12万点の作品の中でも、特に質の高さと絶大な人気を誇るのが、その数およそ400点の印象派とポスト印象派の作品群です。本展では、その中から日本初公開作品約50点を含む、全83点を紹介します。
 クールベやコローらバルビゾン派や写実主義を導入部とし、印象派の先駆者といわれるブーダンやマネを経て、モネ、ルノワール、ピサロ、ドガ、カサットら印象派に至り、セザンヌ、ファン・ゴッホ、ゴーギャン、スーラなど、それぞれの表現によって印象派を乗り越えていったポスト印象派に続きます。17年ぶりに来日するエドゥアール・マネの《鉄道》、日本初公開のフィンセント・ファン・ゴッホの《自画像》、ポール・セザンヌの《赤いチョッキの少年》、そして同じくセザンヌが父を描いた初期の名作《『レヴェヌマン』紙を読む父》など、いずれもワシントン・ナショナル・ギャラリーの「顔」、美術史において印象派、ポスト印象派を語る上で欠かせない名作の数々です。まさに、「これを見ずに、印象派は語れない。」(http://www.ntv.co.jp/washington/exhibition/04.html )。
 少し長くなったが説明文を引用した。貴重な財産であることはよくわかるし、沢山の絵を観せてもらってその素晴らしさは言葉通りだと受け取れた。日本人は印象派好きと言われているが私もそうである。その理由はよくわからないが、西欧特にヨーロッパの絵画は元来宗教画が全盛で、宗教に依存した内容の絵画が大半であったように思う。そしてそれは、当然のように私たちが日常生活で見聞きするものとは圧倒的な隔たりがあり、それが私たちには違和感として感じられるのであろうか。
 この展覧会では、その後の、しかし印象派と呼ばれる直前の絵がかなり展示されていた。それらの絵は新たに対象として身近な風景や人物像、なにげない人の動き、あるいはお皿に乗っている牡蠣など、それまでにはなかったようなものが画題として選ばれているという意味で、私には新鮮であった。ただ、まだ重苦しい感じは否めなかったような気がした。しかし、それが印象派の作品と定義されるようになってくると、描く対象が全く日常となり、チョットした表情の変化をも描く者の興味の対象になっていく。また、色使いも私にも一気に明るく、光り輝く、明快になっていることが分かるように感じられた。
 その印象派の巨匠たちのドガ、モネ、ルノワールなどの絵はそれぞれどこかで観たことがあり驚かなかったけれど、後期印象派のセザンヌの「アントニー・ヴァラブレーダ」の直線的な輪郭で、分厚く塗った黒の色調には圧倒される感じだったし、「『レヴェヌマン』紙を読む画家の父」は凄く印象的だった。また、ロートレックの線で描いていた「アン・パサドゥールの粋な人々」には、画家は必死に何か新しいものを引き出そうとのた打ち回っていたんだと強く感じた。でも、最後の展示室で観たロートレックの「カルメン・ゴーダン」というごく小さな絵が私の興味を一番引いた絵であった。それに、ゴッホの白い「薔薇」もこれまでのゴッホの感じとちょっと異なり大好きな絵になった。
 1枚目の写真は、入場券にあるゴッホの「自画像」、2枚目はモネの「日傘の女性、モネ夫人と息子」、3枚目はルノワールの「カルメン・ゴーダン」(ちょっと色がうまく出ない)、4枚目はゴッホの「薔薇」(いずれも販売されていたハガキから)、そして5枚目は美術館と神宮道にある美味しい京うどんの店「京菜家」の前の友人である。

[簡易復元] 2010年11月 貴船と鞍馬を行く(1)貴船神社

  • 2011/11/05 09:52

(この記事のオリジナルは2010年11月に書かれたものであるが、ファイルが失われたため新たに書き直す)

 かってこの地域を訪れたことはあったが紅葉の季節ではなかったこともあり、今回は友人と一緒に紅葉を楽しもうとやってきた。鞍馬の方から貴船に歩いたほうが楽ではあるが、むしろ汗をかく方を選んだ。そこで京都・出町柳で叡山電鉄鞍馬線に乗り、貴船口で下車してバスに乗り5分、貴船神社の近くに到着した。貴船神社は水の神さんであるとは薄々知ってはいたが、詳しいことをWikipediaに訊いてみた。
 「貴船神社(きふねじんじゃ)は、京都府京都市左京区にある神社である。式内社(名神大)、二十二社の一社で、旧社格は官幣中社。日本全国に約450社ある貴船神社の総本社である。地域名の貴船「きぶね」とは違い、水の神様であることから「きふね」という。
貴船神社(きふねじんじゃ)は、京都府京都市左京区にある神社である。式内社(名神大)、二十二社の一社で、旧社格は官幣中社。日本全国に約450社ある貴船神社の総本社である。地域名の貴船「きぶね」とは違い、水の神様であることから「きふね」という。
 水神である高龗神(たかおかみのかみ)を祀り、古代の祈雨八十五座の一座とされるなど、古くから祈雨の神として信仰された。水の神様として、全国の料理・調理業や水を取扱う商売の人々から信仰を集めている。古来より、晴れを願うときには白馬が、雨を願うときには黒馬が奉納されたが、実際の馬に代わって木の板に描いた馬が奉納されたこともあり、このことから絵馬が発祥したとも言われる。
 また、縁結びの神としての信仰もあり、小説や漫画の陰陽師による人気もあり、若いカップルや女性で賑わっている。その一方で縁切りの神、呪咀神としても信仰されており、丑の刻(うしのこく、午前1時?、筆者注)参りでも有名である。ただし「丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻」に貴船明神が貴船山に降臨したとの由緒から、丑の刻に参拝して願いを掛けることは心願成就の方法であり、呪咀が本来の意味では無い。平安時代には丑の刻であるかどうかは不明だが貴船神社に夜に参拝することが行われていた。時代の変遷と共に本来の意味が変質したものと思われる。付近は京都でも有名な紅葉の名所のひとつである。」
 少しだけ雨が降ってはいたが傘を差すほどでもないしっとりとして天候で、なかなかいい感じだったがちょっと暗いだけが難点であった。そんな中、紅葉の落ち葉を掃いている割烹着姿の料理屋の女性の姿はなかなか絵になる風景である(1枚目の写真)。ゆるい傾斜の石段(2枚目の写真)を登ってゆくとすぐに貴船神社である。お参りをして周りを見渡すと本殿の脇、それから貴船川を挟んで前に広がる鞍馬山、ともに優しい色の紅葉に満ちていた(写真3、4、5枚目)。
 貴船神社の雰囲気を楽しんだ後、貴船川を渡って鞍馬寺西口から鞍馬山に入っておよそ1.5キロほど先の鞍馬寺を目指した。その途中の小さな看板を写したのが5枚目の下部分である。この山の道は,
看板の後ろに少しは見えるが、至る所木の根が道にむき出しになっている。看板の説明を見ると、この山は砂岩、それが固まって剥がれ易くなっている頁岩が露出していて木の根が地中にもぐりにくくなっているためだと考えられているようである。さらには、砂岩、頁岩が剥がれ易くてより根がむき出しになるような気がする。そんな勉強もしながら鞍馬寺に向かった。

[簡易復元] 2011年3月、南紀白浜を訪ねる(3)巨星を知る! 南方熊楠記念館

  • 2011/11/04 10:50

 南方熊楠は和歌山が産んだ巨星だった。この生物学者について何か書きたいと思うが、その巨人ぶりに私などが何かを書けそうもないとつくづく思う。Wikipediaに彼の巨人ぶりを聞かせてもらうしかないであろう。
 「南方 熊楠(みなかた くまぐす、1867年5月18日(慶応3年4月15日) - 1941年(昭和16年)12月29日)は、日本の博物学者、生物学者(特に菌類学)、民俗学者である。菌類学者としては粘菌の研究で知られている。主著『十二支考』『南方随筆』など。投稿論文や書簡が主な執筆対象であったため、平凡社編集による全集が刊行された。「歩く百科事典」と呼ばれ、彼の言動や性格が奇抜で人並み外れたものであるため、後世に数々の逸話を残している。
 南方熊楠は和歌山県に生まれ、東京での学生生活の後に渡米、後にイギリスに渡って大英博物館にはいる。後に日本に戻って、和歌山県田辺市に居を定めた。多くの論文を著し、大学者として名を知られたが、その生涯を在野で過ごした。彼の学問は博物学、特に植物学を基礎とするが、熊楠の学風は、ひとつの分野に関連性のある全ての学問を知ろうとする膨大なものであり、土蔵や那智山中にこもっていそしんだ研究からは、曼荼羅のような知識の網が産まれた。
 1892年(明治25年)にはイギリスにわたって、ロンドンの天文学会の懸賞論文に1位で入選した。大英博物館東洋調査部に入り、資料整理に尽くし、人類学・考古学・宗教学などを独学するとともに、世界各地で発見、採集した地衣・菌類に関する記事を、科学雑誌『ネイチャー』などに次々と寄稿した。
 帰国後は、和歌山県田辺町(現、田辺市)に居住し、柳田國男らと交流しながら、卓抜な知識と独創的な思考によって、日本の民俗、伝説、宗教を、広範な世界の事例と比較して論じ、当時としては早い段階での比較人類文化学を展開した。菌類の研究では新しい種70種を発見し、また、自宅の柿の木では新しく属となった粘菌を発見した。民俗学の研究では、『人類雑誌』『郷土研究』『太陽』『日本及日本人』などの雑誌に数多くの論文を発表した。」
 上に書かれているようにロンドンで日本の星座について論じたようで、彼の活躍はあらゆる分野に及んだようであるが、それも彼の強烈な知識欲と並はずれた記憶力、そして19か国語を使えたという天性の語学力によるものだろうと思う。例えば、彼は9歳の頃に「和漢三才図会」105巻を人から借り、それを14歳の時に読んで記憶し写し終えたと言われる。また、薬用植物の本である「本草綱目」や「大和本草」も12歳までに筆写したとされるなど、並外れた才能の持ち主だったようで、まったく底が知れない人物というしかない。彼についてこれ以上言うことは私にはできないので、ウェブサイトなどでご覧いただきたい。
 南方熊楠記念館は、京都大学白浜臨海実験所のそばの小さな高台にあり、南方熊楠の意志にちなんでかよく整備された森になっている。その頂にこじんまりした記念館がある。その前庭には、昭和天皇行幸時に、かって熊楠に講義を受けたことを懐かしく思って詠んだ歌「雨にけふる神島を見て 紀伊の国のうみし南方熊楠を思ふ」の歌碑が建てられている(1枚目の写真)。記念館(2枚目写真)には彼の残した膨大な資料が保管されているようで、展示されているものを見ても彼の仕事の凄さが感じられてただ圧倒される。2枚目下部分は彼の胸像である。
 その記念館屋上は絶景ポイントで、きれいな白浜とともに彼が生物学の観点から神社合祀反対を唱えた神島と思える島が見える(3枚目の写真)。白浜を去る前に特産品を売る大きなショッピングセンターに入ると、なんと彼の名前を付した日本酒が売られていてあまりに珍しいので買ったがすぐに飲んでしまった(4枚目の写真)。
 実は自宅に帰って面白いものを見つけた。それは記念館の入場券で、そこには八咫烏(やたがらす)の絵が描かれていたのである(5枚目の写真の上部分)。どこからこれを南方熊楠が写してきたのかは全く分からなかったが、あてずっぽうであったが子供時代に彼が筆写したという「和漢三才図会」かもしれないと想い、直感的にそれを調べようと思った。実は近代デジタルライブラリー(http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/898160/1 )というところにこの本がデジタル化されて公表されており、第1巻の「天文」の部の「天部」というところに5枚目組み写真の下にある絵を見つけ出した(「日」の説明のところに出ていて、次のページを開くと「月」の説明にウサギが出ている)。だからどうなるというものでもないが、これには興奮した。というのも、八咫烏は太陽の化身として熊野三山の信仰の対象であり、「日本に初めて近代サッカーを紹介した中村覚之助に敬意を表し、出身地である那智勝浦町にある熊野那智大社の八咫烏をデザインした物であり、1931年に採用された」(Wikipedia)と知ったからである。
 5枚目の写真の上は入場券で、下は「和漢三才図会」(もとは中国のものであるが、日本風にアレンジされたもの)の一部である。調べてゆくと次から次へと興味深い事柄が現れる見本のような話で、興味は尽きない。
 南紀白浜への旅からわずか1週間後に、あの1200年に一度かもしれないという大地震が発生したのである。いまから思えば夢のような時間だった。

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