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2011年10月の記事は以下のとおりです。

[簡易復元] 2010年の暮れ、浅草寺と葛飾柴又へ(1)浅草寺から東京スカイツリーが見える

  • 2011/10/22 15:53

(この記事は2010年暮れに書かれたがオリジナルが失われたので、新たに書き直す)

 2010年暮れ、私用で東京に出かけたのを機に浅草・浅草寺を訪れた。浅草寺そのものを訪れるのは今回で確か3度目だが、私にはもっと違う印象がある。それは東京マラソンに出場した2度の経験である。2007年に新しく始まった東京マラソンは3万人が走るビッグな市民マラソンとして人気を集め、私も幸い2007年と2009年の2回幸運にも抽選に当たり出場することが出来た。
 浅草寺は東京都庁をスタートしてからおよそ28キロあたりにあり、中間地点を過ぎてこれからゴールに向かうという位置にあることから、浅草寺の雷門を見ると勇気100倍である。ランナーは雷門の大提灯(松下幸之助の寄贈品)に向かって真っすぐに突っ込んできて、その直前で右に90度曲がって銀座に戻ってゆくのである。私の出た2回とも雨に降られ、2009年の時の写真が残っている(1枚目の写真)。非常に元気そうであるが、銀座を過ぎて30キロを越えたあたりから頻拍が発生し、タイムを大幅に落としてとても考えられないほど苦しいレース展開になり、4時間31分54秒にゴールした。
 そんなことを考えながら浅草寺を訪れた。浅草寺は推古天皇の頃(628年)からの由来が伝えられ、徳川家康が江戸に幕府を開いてから徳川家に重用され、それを元に栄えたといわれる。それにしても相変わらずの観光客の多さに驚いた。雷門(2枚目の写真)を過ぎて宝蔵門に向かう参道の両側におよそ100軒近い店が並んだ仲見世の途中(3枚目の写真)、右を見て驚いた。建設中の東京スカイツリーがほとんど邪魔になるものもなく、くっきりと見えるのである(4枚目の写真)。
 そして宝蔵門をくぐって本堂に至るのであるが、5枚目の写真のように本堂に入る階段のところからも、お正月用の飾りの間からでもスカイツリーがまた見えるのである。庶民の人気の的である浅草・浅草寺、それにまた強力な援軍がやってきたものであり、さらなる観光客増加は間違いないと断言できそうである。

「長野オリンピック記念長野マラソン」とは10年以上のお付き合いへ

  • 2011/10/21 22:20

(この記事のオリジナルは今年の3月に書いたものであるが、オリジナルが失われたので改めて書き直す)

 1996年1月21日、初めてマラソンと名のついたハーフマラソンを「高槻シティ国際ハーフマラソン」で走り、2時間3分3秒のタイムを刻んだ。それから3年後の1999年11月28日の「尼崎シティマラソン」(ハーフ)で初めて2時間を切って1時間57分18秒で走り、それ以来2002年1月20日の「高槻シティ国際ハーフマラソン」を1時間44分24秒で走るまで9回ハーフマラソンに参加し、ほぼコンスタントに1時間40分台の前半で走れるようになった。
 その年の4月13日、横浜での娘の結婚式後に長野に直行し、翌日の暑い4月14日、定年一年前の62歳で初めてフルマラソンである「長野オリンピック長野マラソン」に参加したのである。その大会は第4回の大会で、期待してはいたものの思わず“やったー!!!”と叫んだはずの3時間57分01秒のサブフォーで走りきったのである(http://www.unique-runner.com/nagano.htm )
。それが1枚目の写真で、長野スタジアムにゴールしてうれしい、しかし消耗した表情が読み取れる。
 それから10年間、組織と応援の素晴らしい長野マラソンへの参加を躊躇したことはなく、そこで鍛えられ、子供たちとも何度も楽しませてもらった(2枚目の写真)。2005年12月11日には思い切ってホノルルマラソンに参加することになった。なんの因果か、偶然長男と走ることになり、レースの前日カピオラニ公園で一緒にジョギングしている写真が3枚目の写真である。そしてリタイアするわけにいかない本番で、それまでの自己ベストを2分弱短縮して3時間51分45秒という思いがけないベストタイムを出すことが出来た。4枚目の写真は、そのゴール直前の写真を放映されたテレビ映像から取り出したものである(http://www.unique-runner.com/honolulu.htm )。
 丁度そのホノルルマラソンの少し前から発作性の頻拍に悩まされる苦しい時期が始まり、いくつかのハーフマラソンやフルマラソンでリタイアすることとなり、長野マラソンでもNHK長野放送局前で2度のリタイアを余儀なくされた。その頻拍を思い切って昨秋阪大附属病院でカテーテル手術によって完治させ、満を持して今年4月17日開催予定の長野マラソンへの参加を目指してトレーニングに励んでいた矢先の3月11日、東日本巨大地震が発生した。後にそれは「東日本大震災」と呼ばれるようになり、1200年に一度かという超巨大地震に福島第一原子力発電所の爆発・崩壊という未曾有の大災害に発展してしまったのである(このことについては後に最低限の記事の復元を目指している)。
 この事態に直面した長野マラソン組織委員会は3月23日付で参加予定者に手紙を送り、「第13回長野オリンピック記念長野マラソン 大会開催中止のお知らせ」を通告した。そこには「・・・青森県・岩手県・宮城県・秋田県・山形県・福島県・茨城県・栃木県・千葉県・長野県栄村在住の参加者で、被災・避難しておられる方には、追って参加料を返金させていただきます。(中略)なお、エントリーの際に、皆様にお支払いいただきました参加料の全額76,270,500(8,973名分)は、すべて義援金として被災地に送らせていただきます。大会要項の規約にございますように、添えぞれの参加者の皆様には返金をいたしませんが、参加賞Tシャツとナンバーカードを4月下旬に参加者全員に郵送いたします。フィニッシャータオル、スタッフウェア、スタッフキャップは救援物資として被災地に送ります。・・・」と書かれていた。私はこの組織委員会の英断に深く感動した。
 そしてまた私は、諦めていた10回連続出場のシルバーゼッケンと通常のゼッケンの両方(5枚目の写真)とTシャツを手に入れることが出来た。最近さらに思いがけないことに、来年4月に行われる第14回大会に、中止になった今年の大会参加予定者に優先的エントリー権を与えると発表された。このことは大変ありがたい決定で、10回を超えてさらに出来るだけ長く長野マラソンとつき合ってゆきたいと思わせてくれた。マラソンには暑く苦しい時期のマラソンで、完走するのもなかなか大変な大会であるが、素晴らしい応援と組織の優しさを感じて、さらに長いつき合いをと決意している。

高槻の秋(5) 芥川周辺の田圃では炭焼きが!?

  • 2011/10/20 23:08

 収穫の秋が終わりに近づくと私の育った三重県の田舎には見られない、ちょっと変わった光景があちらこちらの田圃(たんぼ)で見られる。それは、炭焼き?である。田圃で炭焼き? 不思議だがやはり炭焼きというしかない。この現象はこの地方独特のものかもしれないと思うが、本当かどうかは定かではない。
 私が住む高槻の北部地方の特産品に「服部の白瓜」があり、それを奈良漬にした特産品が売られている(http://takatsuki.osakazine.net/e167252.html )。実はこの白瓜作りは、「名人」がいるほど難しい作物のようで、そのために最近まで作る農家が減ってしまっていたと言われていたが、町おこしの一環としてじりじりと復活しつつあるようである。どうもこのことと炭焼きが関係ありそうなのである。
 さて、まずその炭焼きの話から始めよう。炭の材料はなにかと言えば、それはもみ殻である。そのもみ殻を1メートルほどの高さに積みあがったもみ殻の山に煙突がついていて、そこから煙が出ている(1枚目2枚目の写真)。中に火がついているのであろう。しかし、外側がぼうぼうと燃えているわけではなく、中が高温になって蒸し焼きになっているようである。
 私は子供の頃よく親戚の人に山にある炭焼き小屋に連れて行ってもらい、炭焼きを手伝いながらいろいろなことを教えてもらった。炭焼き窯に入れた木を高温にするために火をつけるのであるが、どの程度燃やすのか、いつになったら入口(酸素の取り入れ口)を閉めて中で木を蒸し焼きにするかはなかなか微妙だが、面白い見方をいろいろと聞かせてもらった。要するに、温度は高く酸素は限定的にし、気の主成分である炭素は燃やさずに“炭”にし、他の成分はガスにして煙突から放り出すのである。これを間違いなくやるために、煙突から出る煙の色や煙の温度を注意深く観察して(煙でマッチに火がつくかどうかとか)、燃えすぎていないきれいな炭を創り出すのである。炭焼きに興味のある方は、サイトは沢山あるが、たとえば、次のサイトをご覧ください(http://www.sumibito.com/yama.htm )。
 私はどうやってもみ殻の中に火をつけるのかは知らないが、朝8時ころには火をつけて焼けば夕方には十分炭のようなものなっており、火を消して安全を確保するようである。3枚目4枚目の写真は炭のように真っ黒になったもみ殻である。このもみ殻をどう使うのであろうか。私はひょっとしたら田圃に漉き込むのかと思ったがどうもそうではなく、野菜つくり、とりわけ白瓜の栽培に使うのだという。
 白瓜は、聞くところによると非常に病気にかかりやすいようである。それを防ぐために、様々なものの吸着力が非常に高い炭―ここではもみ殻の炭ーを苗の根元に敷いて病気の感染から守るということである。このもみ殻の炭はきっと白瓜のみならず様々な野菜の栽培に役に立つものと思われる。昔はもみ殻そのままを野菜つくりの畝に使ったり、リンゴを送るときに箱に入れたり、サツマイモなどを床下に保存するときにもみ殻の中で保存したのはよく覚えている。それにしても炭にするのは、なかなか面白いもみ殻の使い方ではある。
 収穫の終わった里山の田圃や畑では、これから春野菜を作るための整備が行われている。そのために枯れ草や芋の蔓などを焼く煙がたなびき、独特のにおいがして子供の頃の田舎の風景が懐かしく思い出される。そんな写真を最後にご覧いただきたい。草の匂いがしてくるであろう。写真はすべてクリックすれば拡大できます。

追記:私が炭焼きにかなりこだわるのは、子供の頃炭焼きの話を見聞きして、それを遊びに取り入れて楽しんだことがあるからである。我が家の庭の端っこに小さな炭焼き窯を造り、小枝を入れて炭焼きをやろうと何度も試みた経験がある。結局、失敗したが、そのことを今でも思い出せるほどその話は面白かったのである。そんな遊びを残念ながら今の子供たちに味わあせることはほとんど不可能である。そんな現状も書いておきたかったのである。

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