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2011年10月25日の記事は以下のとおりです。

[簡易復元] 2010年春 葵祭を楽しむ(2)斎王代の列

  • 2011/10/25 21:32

 葵祭の行列は、勅使代の本列と斎王代の女人列に分けられるが、斎王とは一体何か。京都市観光協会のホームページは次のように言う。
 「斎王(さいおう、いつきのみこ)は、伊勢神宮または賀茂神社に巫女として奉仕した未婚の内親王または女王(親王の娘)。厳密には内親王なら「斎内親王」、女王の場合は「斎王」「斎女王」と称したが、一般に両者をまとめて斎王と呼ぶ。伊勢神宮の斎王を斎宮、賀茂神社の斎王を斎院とも称し、斎宮は古代(天武朝)から南北朝時代まで、斎院は平安時代から鎌倉時代まで継続した。」。
 そしてWikipediaによれば、「1956年(昭和31年)に斎王にちなみ、斎王代と女人列が創設された。京都ゆかりの一般女性から選ばれるので「斎王代」(さいおうだい)となる。唐衣裳装束(からぎぬもしょうぞく)を着用、白塗りの化粧をし、お歯黒も付ける。」とある。つまり、斎王代は斎王の代理である。
 そして、観光協会のホームページは、「斎王は、平安時代には内親王が選ばれて祭に奉仕したものであるが、現在は未婚の市民女性から選ばれるので、斎王代と称される。御禊(みそぎ)を済ませた斎王代は、五衣裳唐衣(いつつぎぬものからぎぬ)、俗に十二単(じゅうにひとえ)の大礼服装で、供奉者にかつがれた腰輿(およよ)という輿に乗って参向する。 」 と書いている。
 その女人列の最初の写真は、武官に守られ風流傘に飾られた女官の列の始まりである。そして、 腰輿(およよ)に乗った斎王代が登場する。その後には駒女(むなのりおんな)と呼ばれるもので、斎王付きの清浄な巫女(みかんこ)で、騎馬で参向するのでその名がある。一種のお守り役であろう。そして、その後に、乗ってはいないが斎王代の牛車である。本列の場合もそうであるが、絢爛豪華な牛車であった。その後には控えの牛が付き添っている。
 総勢500名と言われるこの葵祭の行列は、多彩な色使いとひとりひとりしっかりとした足取りで実に美しい。平安朝時代の皇室の、外面的ではあるがその在り様の一端を見せてくれていて興味深く、葵祭を堪能した。

[簡易復元] 2010年春 葵祭を楽しむ(1)勅使の列

  • 2011/10/25 17:52

(この記事のオリジナルは2010年5月に書かれたが、ファイルが失われたため書き直す)

 2010年5月15日、京都三大祭りのひとつ「葵祭」を初めて観ることになった。どの場所が見るのに好都合かはよくわからなかったが、結局丸太町通りと寺町通り、河原町通りが交差するあたりで見ることにした。その場所に着いた時には既に先導役が通り過ぎつつあった時で、慌ててカメラを取り出して行列を撮影し始めた。それはともかく、葵祭はなかなか難しい祭りのようで、ウェブサイトで少し勉強もした。京都市観光協会のホームページによれば、次のように記述している。
 「葵祭(あおいまつり、正式には賀茂祭)は、京都市の賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)で、5月15日(陰暦四月の中の酉の日)に行なわれる例祭。石清水八幡宮の南祭に対し北祭ともいう。平安時代、「祭」といえば賀茂祭のことをさした。石清水祭、春日祭と共に三勅祭の一つであり、庶民の祭りである祇園祭に対して、賀茂氏と朝廷の行事として行っていたのを貴族たちが見物に訪れる、貴族の祭となった。京都市の観光資源としては、京都三大祭りの一つ。
 葵の花を飾った平安後期の装束での行列が有名。斎王代が主役と思われがちだが祭りの主役は勅使代である。源氏物語中、光源氏が勅使を勤める場面が印象的である。(…中略…) この祭の特徴は、平安時代以来、国家的な行事として行われてきたので、わが国の祭のなかでも、数少ない王朝風俗の伝統が残されているということである。賀茂祭が葵祭と呼ばれるようになったのは、江戸時代の1694年(元禄7)に祭が再興されてのち、当日の内裏宸殿の御簾をはじめ、牛車(御所車)、勅使、供奉者の衣冠、牛馬にいたるまで、すべて葵の葉で飾るようになって、この名があるとされる。」
 行列は本列と斎王代列の二つに区別され、この祭りの主役である勅使(勅使代)の列が最初に登場する。1枚目の写真はそれを護る武官の一人(検非違使志(けびいしのさかん))であろうか。2枚目の牛車は勅使代の乗る牛車で、いまはそれに乗ることはなく、3枚目の写真の主が多分勅使代であろうと思われる(馬の額に特殊な印がかけられている)。4枚目は勅使代に随伴する文官か。5枚目の写真は美しい花をいただく風流傘である。
 すべてがカラフルで、その美しさに魅せられる思いである。

[簡易復元] 2010年 高槻・桜公園の桜

  • 2011/10/25 13:58

(この記事のオリジナルは2010年4月に書かれたが、ファイルが失われたため書き直す)

 高槻北部、京都府亀岡との境界にあたる田能地区あたりから流れ下る小さな芥川は、不思議と巨岩がゴロゴロ立ちふさがる摂津峡を貫き、その川沿いに広がる里山に出て、その里山に貴重な水を供給している。そして、そのあたりは多くの人の散歩道やジョギングコースとなっており、暑い季節には芥川で安全に遊ぶ家族連れの格好の場所となる。また、桜公園近くの川沿いに建っている「あくあピア 芥川」のそばにはバーベキューの場所も用意されており、休日ともなれば寒中を除いて一年中バーベキューの煙の絶えることはない。このあたりは高槻市民のみならず、近隣の人々の憩いの場所になっている。
 そんな里山の入り口ともいえる高台に位置するのが桜公園で、沢山の桜が植えられ、またかなりの種類の遊具も整備されており、桜の季節には多くの観光客が訪れて大いに賑わう。また、秋には紅葉もきれいに色づき、そんな桜公園の桜と公園の雰囲気を写真でお伝えする。
 1枚目の写真は、桜公園から摂津峡方面を見た山肌の満開の桜である。2枚目は、桜公園からJR高槻駅方面を眺めた写真で、数年前から立ち始めた高層ビルがよく見える。この方面は最近関大などが駅近くに大きな校舎を建て始めてさらに再開発され、高層ビルの数はいまはもっと増え続けている。3枚目は、満開の桜の花の下で、家族連れを中心に大いに賑わっている花見である。
 それから1週間。散り始めて傘が要るほどの桜吹雪の中、翌年まで見納めとなる桜を惜しんでなお花見が続く(4枚目、5枚目の写真)。

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