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2011年10月の記事は以下のとおりです。

[完全復元] 夏の高校野球、終盤の決戦を暑い甲子園で観る!

  • 2011/10/05 19:45

(この記事のオリジナルは2010年8月21日に書かれたものである)

 暑い、とにかく猛烈に暑い!一応野球少年で、夏の暑さにはかなり強いと自認する私だが、今年の暑さはちょっと異常だ。自分が歳をとって暑さへの抵抗力が落ちてゆくので異常とはなかなか言いにくいが、でもやっぱりそう言うしかない。そんなことで甲子園行きを少し自重していたが、遂に我慢できずに私が好きな島袋投手のいる興南ー報徳学園戦を観戦に出かけた。
 試合開始は午前11時なのでネット裏の銀傘の下に入るためにと9時45分に球場に着いたが、驚いたことに中央特別自由席の切符売り場には長蛇の列(1枚目の写真)、それ以外の写真もご覧ください)。地元報徳の出番だとは計算に入っていたが、それにしてもびっくり。切符を買ってやっと中に入ってもほとんど席がなく、ネット裏の最上段に近いところに座ることになった。そこの後方は壁があり、外からの風が入らず、蒸し暑いことといったらなかった。試合開始までの1時間以上うちわであおぎ続ける始末。でも、試合開始の頃には少し風が出てきて一息ついた。
 試合が始まって1回の絶好のチャンスを興南がつぶした後、報徳の鋭い攻撃が2回までに5点を先取するというゲーム展開にはびっくりさせられた。しかし3回以降島袋投手が立ち直り、ジリジリと押し寄せる興南の圧力に報徳が失策、暴走を見せるようになる一方、興南は着実な打力と素晴らしい走塁と守備をみせて形勢は逆転、遂に7回2点を取って6-5で報徳をねじ伏せてしまった。
 なんと素晴らしいチームなんだろうとただただ感服するばかりである。5点のリードをものともせず、着実に追い上げる精神力に脱帽するとともに、中盤から終盤に見せた島袋投手の圧倒的な力投はまさに見ものであった。きっと非常に疲れているであろうが、それを超える自分なりのトルネード投法なのであろうか。実は準決勝第二戦成田―東海大相模も観戦したが、あまりの暑さに負けて中途退散してしまった。
 今日は決勝戦で、当初はこれも観戦するつもりであったがあまりの暑さに自重して、自宅観戦に切り替えた。興南と東海大相模の素晴らしい戦いを期待するとともに、出来るるならば史上6校目となる興南の春夏連覇の偉業達成を見たいものである。そして、“苦しきことのみ多かりき”の沖縄に凱旋させてやりたい気持である。
 それにしても、沖縄・九州はもちろん、北海道、東北、北陸、などに多くの強豪校が出現し、これまでの関東、東海、近畿、中国・四国のチームが目立たなくなっているのはどうしてだろうか。21日付読売新聞朝刊の「ニュースが気になる!」に面白いことが書いてあった。昨夏・今春の甲子園では近畿勢は1校も8強に入れなかったようである。また、今年の大阪大会では、8強の内4校が公立校だったという。このことが示すように良い選手・指導者が地方に分散した結果のようである。これがスポーツにおける地方主権なら大変うれしいことであるが、これまで多くの強豪校がいた地域が、それにただおごっていただけであるとすれば悲しいことである。
 あと30分もすれば決勝戦が始まる。興南、東海大相模がともに力を発揮して素晴らしいゲームで今年の甲子園の有終の美を飾っていただければ幸いである。さて、どちらに栄冠は輝くのであろうか?

追記:午後3時前に遂に決着がついた。沖縄興南高校が投打に東海大相模高校を圧倒し、沖縄に初の深紅の優勝旗を持って帰るとともに春夏連覇の偉業を達成した。興南高校の選手の皆さん、おめでとう! 東海大相模高校の選手諸君、残念でしたがよく戦いました。おめでとう!

以下に「栄冠は君に輝く」を皆さんに贈る。高校野球を観ながらこの歌を聴くと、躍動感あふれていたであろう高校生時代を思い出す。
全国高等学校野球選手権大会歌
『栄冠は君に輝く』
作詞:加賀大介 作曲:古関裕而
1.雲は湧き 光溢れて 天高く 純白の球 今日ぞ飛ぶ
  若人よ いざ まなじりは 歓呼に答え
  いさぎよし 微笑む希望 ああ栄冠は君に輝く

2.風を打ち 大地を蹴りて 悔ゆるなき 白熱の 力ぞ技ぞ
  若人よ いざ 一球に 一打にかけて
  青春の 賛歌をつづれ ああ栄冠は君に輝く

3.風を切る 球の命に かようもの 美しくにおえる健康
  若人よ いざ 緑濃き しゅろの葉かざす
  感激を 目蓋にえがけ ああ栄冠は君に輝く
                (2010年8月21日午後4時)

[完全復元] 下鴨神社 糺の森にて古本を探す

  • 2011/10/04 18:00

(この記事のオリジナルは2010年8月14日に書かれたものである。なお、最後に追記あり)

 あの葵祭の主な舞台のひとつである下鴨神社で古本市があるとニュースで知り、お盆の最中の凄く蒸し暑い14日、思い切って出かけてみた。目的は2つあった。ひとつは、私が小学校の高学年か中学生になりたての頃、当時住んでいた三重県多気郡三瀬谷町(今の大台町)の私の部屋には父親の本棚があり、そこには「サイパン」という名の写真集があった(http://www.unique-runner.com/saipan.htm )。そんな写真集があった理由は、父の兄弟がサイパンで戦死したことから、生きてジャワから帰還した父がその本を入手したのだと思う。確か、多くのむごい写真の中にはバンザイ岬から投身自殺する女性の写真があったように記憶しており、戦争のむごさを実感させられ、その後の私の人生に少なからず影響を与えたように思う。そんなこともあってその本を探し続けてきたもののめぐり逢えず、何とかそれを見つけたい気持ちが第一の理由であった。
 もうひとつの理由は、黒澤監督の映画「羅生門」のシナリオを探すことであった。先に阪大病院に入院したことをブログに書いたが、その際に、これまでなかなか観ることが出来ていなかった「羅生門」のDVDを持参し、幸い再生機があったので二度も観ることが出来た。やはりすごい映画だと実感したが、古い映画のDVDであまり音質が良くなく、セリフをはっきり聞き取りがたい個所がいくつかあり、その部分を正確に知るためにできればシナリオを読みたいと思ったからである。
 糺の森は雨こそ降ってはいなかったがどんよりとして天気で湿度が高く、紙芝居(1枚目の写真)をしばし楽しんだ後で汗をかきながらの本屋巡りであった(2枚目、3枚目の写真)。約40の古書店がテントなどに店を開いていたが、古本がきちんと分野別などに必ずしも分けられているわけではないので、本を探すのは大変であった。そして、残念ながら目的を果たすことはできなかった。
 でも、ある古書店店主が「サイパン」は根気強くネットで捜すことを教えてくれたし、「羅生門」のシナリオについては1960年ころの月刊「キネマ旬報」が時々さまざまなシナリオを掲載していたので、必ずその中にあるはずと確信を持って答えてくれたので、今後その時代の「キネマ旬報」を捜すことにした。
 今回古書店を訪れて一番うれしかったことは、当時田舎にいた私が写真集「サイパン」や正木ひろし八海事件について書いた「裁判官一人の命は権力で奪えるものか」(1955年、カッパブックス、この本の書名については上の「サイパン」と題した私のホームページに誤って書かれている)などを眺めていた頃、一番上の姉が「映画の友」という、主に外国映画ばかり扱うカラー刷りの美しい本を毎月購入して読んでいたのだが、その本を何冊か発見したことだった。1953年1月号は当時で133円というかなり高い本だが、うれしくなった私は今回それを1200円で手に入れることが出来た(4枚目の写真)。
 私はここ数年いつでも楽しめるように多くの映画やドキュメンタリーをDVDとして保存し始めており、特に最近は1940-1970年頃の外国映画をよく見ている。今回購入した「映画の友」(1953年1月号)には、そんな時代の沢山の映画が紹介されており、180ページのすべてがエリザベス・テイラー、ヴァージニア・メイヨ、ゲイリー・クーパー、ジョセフ・コットン、ヴィクター・マチュア、アラン・ラッド、ドリス・デイ、アン・バクスター、リチャード・ウィドマークなどスターの写真や、「激戦地」「探偵物語」「白熱」「別離」「超音ジェット機」「ボージェスト」などなど無数といってよいほどの映画の紹介や、今や懐かしい淀川長治や津村秀夫、荻昌弘、岡俊雄、南部圭之介などなどによる真面目な論評に埋め尽くされている。広告までも映画の紹介であるから、初めから終わりまで映画オンパレードで、いまは亡き姉の本を見せてもらっていた私には懐かしい限りである。
 今回の古書店巡りで、それがなかなか楽しいものであることを実感した。これからは古本市を巡って歩き回ることが多くなる気がする。秋には百万遍知恩寺で10月30日から11月3日まで行われるようである。

追記:ネットで調べると、今年は10月29日から11月3日の予定らしい。(2011年10月4日)

[完全復元] 日韓併合100年の節目に思う

  • 2011/10/04 10:04

[この記事のオリジナルは2010年8月12日に書かれたものである。なお、最後に追記あり)

 菅民主党政権は8月10日、民主党政権として初めて歴史認識としての日韓併合についての首相談話を閣議決定した。その骨子は読売新聞(8月10日夕刊の一面と二面)にあるように、韓国に対する植民地支配を「韓国の人々の意に反して行われた」と位置づけ、痛切な反省と心からのお詫びを表明した。その談話は未来志向の関係構築を目指したもので、「これからの100年を見据えた」ものだと言われ、「朝鮮王朝儀軌」の引き渡しなどいくつかの項目が含まれている。
 この歴史認識の意義については、「自らの過ちを顧みることに率直でありたい」との意識を評価したいと思う。私はこの併合の時代に韓国・仁川で生まれた世代であることもあり、それなりに関心を持っている。歴史というものは、どこに力点を置いて評価するかによって結果は180度異なることは当たり前で、そのために政府は率直な評価を恐れ、常に玉虫色の決着を図ろうとする。そのことが1995年の村山談話までアジア諸国に対する明確な謝罪が行われてこなかった理由であろう。大戦終結後60年経ってやっとだったのであり、このことが韓国や中国との間で常に、例えば靖国問題などで執拗な論戦が交わされてきた理由だと私は考えている。
 今回の首相談話については政府・与党や野党にそれなりの批判が存在するようであるが、私はこの思い切った談話を歓迎する。それにしても自民党総裁の谷垣氏が「後ろ向き」との談話を発表しているのは不思議である。彼は来る15日の終戦記念日に靖国神社を参拝すると言う。彼は、首相になったら参拝はしないと依然述べているようであるが、立場が変われば行動が180度変わるというようなことは、国民を牽引する立場にある政治家としては慎んでいただきたい。ただただ馬鹿馬鹿しい!
 
 今回、この件をブログに書いた理由は、私たちの世代はもちろん今の若い世代も我が国の近代史・現代史はほとんど知らない現状を指摘しておきたいからである。別の言葉で言えばほとんど教育されていないのである。どの視点に立った歴史館であるかは別にして、考える材料が提供されていないのである。上にも述べたように歴史は複雑怪奇である。しかし、私たちには考える材料が提供されるべきで、それが教育というものであろう。いまはひょっとすると、NHKの大河ドラマなどの歴史ものの方がはるかに多くの事実を提供してくれている。
 確かに中国や韓国での歴史教育がどんなものであるかよくは分からないが、とにかく「行われている」のは確かであろうが、わが国では残念ながら「ほとんど行われていない」のである。その差が、論争になった時に私たちの世代ですら後ろ向きになってしまう理由である。
 この「日韓併合」にしても日清・日露戦争と複雑に絡んで起こったころであり、この100年の節目になにがしかの勉強をしてみたいものである。

追記:8月14日夜、NHKが「ともに語ろう 日韓の未来」という若い人たちによる討論番組を放映していた。そこでは貴重な有益な議論が行われていたが、その中で特に日本人の無知が問題になっていたようである。その意味でも私たちは少しでも勉強せねばと思う(2010年8月14日夜)。

追記2:復元のついでなので、読んで勉強になると私が思う本を紹介しておきたい。(2011年10月4日)
(1)「検証 戦争責任I、II」(読売新聞戦争責任検証委員会、中央公論新社、2006)
(2)「昭和史 1926-1945」(半藤一利、平凡社、2004)
(3)「昭和史 戦後篇」(半藤一利、平凡社、2009)

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